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2022. 12. 02  
今朝はサッカーワールドカップの観戦で寝不足の方も多いでしょうか。

今週は列王記上18章に記された、預言者エリヤの戦いを思い巡らしながら過ごしてきました。

特に、36-37節において、主なる神が火をもって答えてくださるのを願うエリヤの祈りに、自分の祈りを重ねながら過ごしています。

「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられることが・・・、今日明らかになりますように。(列王記上18:36)」

先祖たちを守り導いてきてくださった神様が、今も確かに生きておられることを、みんながはっきりと知ることができるように、どうか今、あなたのお力を明らかにしてくださいと、私も願います。

「わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。(18:37)」

人々が、「主こそ神である」と知るように。 そして、彼らの心を元に返してくださるように。今、アドベントの時、教会の内外の、たくさんの人の心が信仰に燃やされるように・・・。

ちょうど今日のタウンニュース茅ヶ崎版で、湘南恩寵教会のクリスマスの案内が掲載されています。

あらゆる手段を用いて、主なる神がご自身の栄光をあらわし、私たちの心を燃やしてくださるように。


共に祈りましょう。

わたしたちに答えてください。主よ、わたしたちに答えてください。日本チームを応援する人たちの心を燃やしてくださったように、キリストにつく者たちの信仰の炎を燃やしてください。特にクリスマスに向けて、あなたのお力を明らかにしてください。
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2022. 12. 01  
湘南恩寵教会の夕礼拝では、ミュージシャンの石川ヨナさんのリードによって豊かな賛美をすることがゆるされています。感謝です。

次の日曜日のために選んでくださったのは、「主に罪を赦され」です。すてきな賛美動画がこちらにあります。https://youtu.be/exRy7FEMd4s

古い讃美歌集においても「ああうれしわがみも」と始まる歌詞でよく知られた有名な歌です。

この朝、わたしは、この賛美と、アドベントに際して読んでいる説教集に大変深い慰めを受け、胸が熱くなりました。


昨日もお伝えしたように、今週は「あなたがたはいつまでどっちつかずに迷っているのか(列王記上18:21)」との預言者エリヤの問いかけを前にして立ち止まらされています。

特に、彼の呼びかけに対して「民はひと言も答えなかった」との記録が、心に重くのしかかります。

わたしもまた、答えに窮してしまう様な信仰の弱さを抱えています。でも、そういうダメな自分を振り払おうと、自分で信仰を燃やそうとしたところで、それは偽りの熱さにすぎません。

自分自身も、自分の周りの人たちにも、大きく広がっていく炎にはなりえません。

信仰の炎は、自分で着火することはできない。そのことを痛感しました。でも、そんなわたしに、主が火をつけてくださいました。「火をもって答える神(列王記上18:24)」である主が、確かに祈りに応え、火をつけてくださいました。

この偽りだらけの罪深き私のために、人となって来てくださり、十字架で身代わりの死をとげてくださったイエス・キリスト。

彼の真実、彼の偉大な愛によって、わたしの罪は赦された。アーメン主よ、わたしはあなたに従います。


共に祈りましょう。

主よ、わが罪のため、栄えを捨てて、天よりくだり、十字架につけり、わが主イエス、わが主イエス、わが主イエスよ。わたしを愛してくださったあなたの愛の真実に感謝します。わたしもあなたを愛します。あなたの道を歩ませてください。
2022. 11. 30  
先の日曜日の礼拝は、子ども中心礼拝で預言者エリヤの物語をみんなで分かち合いました。特に、有名なバアルの預言者たちとの対決の場面です。

イスラエルに偶像崇拝をもたらした悪しき王アハブ、彼を裏で操る王女イゼベル。そして、彼らが保護するバアルの預言者450人にアシェラの預言者400人に、エリヤはひとりで立ち向かいます。

でも、エリヤが本当に立ち向かったのは、イスラエルの民衆だったのだと、私は申し上げました。

列王記上18:21「エリヤはすべての民に近づいて言った。あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし神が主であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」

「熱いか冷たいかどっちかにしなさい」と、なまぬるい信仰を叱られた主イエスを思い起こします(黙示録3:15)。

このエリヤの呼びかけに、民はなんと答えたでしょうか・・・。

哀しいかな、「民はひと言も答えなかった(列王記上18:21)」と書かれています・・・。

どういう思いだったのでしょう。とても他人事とは思えません。私には、この一節が深く深く心に残りました。


共に祈りましょう。

約束をもって先祖たちを導いてきてくださった力ある主よ、今、アドベントの時、あなたの力ある訪れを待ち望みます。どっちつかずの私たちの弱さを、どうか赦してください。きよめてください。この心を、作り変えてください。あなたが確かに生きておられることをはっきりと示してくださって、私たちに燃える信仰を与えて下さい。
2022. 11. 29  
教会の暦では、アドベントが始まっています。クリスマスに向けて、心わくわくしながら、祈りをもって備える時です。

「アドベント」とは「来る、到来する」を意味します。

かつてクリスマスの時、神の御子イエス・キリストが、この世界に救い主として生まれて来てくださいました。

同じように、主はやがてすべての終わりの時に、再臨の主イエス・キリストが、この世界のすべての悲しみをぬぐい去るために、再び来てくださいます。

今の時代に生きる私たちは、このアドベントの時に、かつてイスラエルの人々が救い主の到来を待ち望んだように、再び来てくださる主イエスの到来を待ち望んで過ごします。

聖書の最後、黙示録22:20で主イエスが約束してくださいました。「然り、わたしはすぐに来る。」

この約束に、わたしたちの希望があります。かつて来てくださり、救いの光をともしてくださった方が、必ず再び来てくださり、光という光を満たしてくださる。わたしたちは、そう信じます。

だからわたしたちは、どんな時も絶望しません。どれほど闇が深くなろうとも、闇を照らす光の勝利はもうすぐです。

アドベントは、この希望を確認し、希望に生きるべき時です。

「アーメン、主イエスよ、来てください。主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。(黙示録22:20-21)」


共に祈りましょう。

主よ、今日は曇り空です。体調のすぐれない者、しばらく寝込んでいた者、毎日の忙しい日々にクタクタな者、不安や恐れを抱えている者・・・、私や私の愛する人たちすべてを、今このアドベントの時、確かな希望によって立たせてください。
2022. 11. 25  
今週は、過去の配信から「善きサマリア人」に触れているものをピックアップしていきます。今日は、2014年1月7日のものです。

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日曜日は「よきサマリア人」のたとえを分かち合い、愛の業に生きるための心を学びました。

隣人を自分のように愛する。この隣人愛こそ、聖書の教えの中心です。

「では、私にとって「隣人」とは誰なのですか?誰を愛せばいいのですか?」こういう問いに対しイエス様は、「よきサマリア人」のたとえを語られました。

血まみれで倒れている旅人を見捨てていく人たちと、危険もかえりみずに旅人を助けて介抱したサマリア人・・・。

そして、イエス様は言われました。

「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。(ルカ10:36)」

ここで大事なのは、「『隣人になった』のは誰だと思うか?」と、問うておられることです。

イエス様への質問は「私にとって隣人とは誰なのですか?」でしたが、イエス様は、そんな問いは無視されます。問うべきことは、それではないからです。

だれを愛せばいいのか・・・、そんなことを考える前に、いつでもまずあなた自身が、誰かの『隣人になる』ことを考えなさいと言われているのです。



共に祈りましょう。

主よ、愛することに決定的に貧しい私たちをお赦しください。今日、誰かの「隣人になる」べき時には、私のわずかな時間や体や財産をあなたに用いていただくことができますように。

また主よ、傷んでいる者のための祈りを、愛の業として用いてください。また、傷んでいる者が他者のためにささげるとりなしの祈りをも、愛の業として用いてください。
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プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
茅ヶ崎にある改革派教会、湘南恩寵教会の牧師です。
茅ヶ崎駅南口から徒歩8分の教会です。
御茶ノ水聖書学院の聖書科講師をしています。
ネット番組「がっつりコミュニケーション」のパーソナリティーです。

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