FC2ブログ
2020. 01. 07  
年明け早々、イランのソレイマニ司令官殺害のニュースが流れ、アメリカとの実質的な開戦に心痛めています。

多くの方が不安を覚えて、祈っておられるのではないかと思います。

また昨日の新聞で、2016年に起きた相模原市の障碍者施設「やまゆり園」での殺傷事件の、植松被告の初公判の様子が知らされ、大変悲しくなりました。

その中で、彼がドナルド・トランプ氏に大きな影響を受けたと繰り返していると、知りました。

あまりにも分かりやすすぎる、マンガのようなことですが、本当にそういうことが起きているのです。

排外主義的な発言に、「真実が語られている。自分も真実を言っていいんだ」と思ったそうです。


今は、悪魔的な力が勢いを増している時代であることを痛感します。

先の主日に分かち合った創世記1章の言葉で言えば、「混沌」が顔を出しているのです。

人間を死とむなしさの暗黒に引きずり込もうとする「混沌の波」は、繰り返し襲ってきます。

しかし、神は「光あれ」と、その「混沌」を制する、根源的な命の光を与えてくださいました。

その根源的な光の中で、この天地は創造されました。

そして、どんなに闇が濃くなっても、この光は決して消えることなく、必ず朝をもたらします。

夕べがあり、朝があった。

絶望の夜がおとずれても、それで終わりではない。必ず朝が来る。この世界はそのようにできている。そして最後は、永遠の朝に至る。

そのように確認したのでした。


共に祈りましょう。

主よ、祈ります。我らの心の目を開いて、暗い世を照らす命の光を、どんな時も仰ぎ見させてください。どうか悪の力を打ち破って、あなたの愛と正義と平和の支配を打ち立ててください。主よ、私たちは祈り続けます。
スポンサーサイト



2019. 12. 26  
今朝は大変寝坊をしてしまいまして、申し訳ありません。

次の主日は、今年最後の礼拝です。いろいろと祈って思い巡らした結果、「御心がなりますように」という祈りを分かち合いたいと思いました。

私たちが生涯で何千回と繰り返し祈ってきた「主の祈り」にも、この祈りがあります。

この祈りこそ、主の祈りの頂点であると言う人さえいます。

今日は、ハイデルベルク信仰問答の主の祈りの解説を確認しましょう。

問124 第三の願いは何ですか。答 「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」です。

すなわち、わたしたちやすべての人々が、自分自身の思いを捨て去り、唯一正しいあなたの御心に、何一つ言い逆らうことなく聞き従えるようにしてください、
  
そして、一人一人が自分の務めと召命とを、天の御使いのように喜んで忠実に果たせるようにしてください、ということです。
 
これが伝統的な解釈です。今この私たちの心が作り変えられ、御心に従って生きることができるように・・という理解です。

「自分自身の思いを捨て去り」とあるのが特徴的です。「我意を捨てる」との翻訳もあります。

この言葉を覚えたいと思いました。唯一正しい神の御心の前で、私たち人間の思いは、間違いだらけです。


共に祈りましょう。

主よ、自分自身の思いを捨て去り・・・そんなことができるのでしょうか。私にはできません。あなたの恵みによって、そのような私であらせてください。今日の日を、そのように生きさせてください。
2019. 12. 04  
昨日まで、三浦海岸での牧師研修会に行っておりました。

牧田吉和先生をお迎えして、「神の国の前衛としての説教と説教者―三位一体論的説教を求めて―」という主題で、学ばせていただきました。

無理を承知で、その要点だけをお伝えします。

牧田先生の神学の屋台骨は、「救いの歴史」という概念です。

天地の創造から終末の新天新地にいたる、宇宙論的な神の国の展開に思いをはせる、スケールの大きな神学です。それは、「改革派神学」の本流に沿うものです。

その「救いの歴史」は、三位一体の神の「語りの歴史」でもあります。

すなわち、「救いの歴史」とはいつでも、神の言葉が語りかけられることによって展開していく、そういう歴史であるということです。

その神の「語り」のひとつのクライマックスは、「神の言が受肉した(ヨハネ1章)」方であるイエス・キリストの到来でした。

あのキリストの到来とその生涯・教え、そして十字架と復活、これこそが「救いの歴史」の中心点です。

神はあの主イエスの言葉と行いを通して、この世界へのメッセージを語り尽くされました。

そして今や、キリストのからだとしての教会に、そのメッセージ=福音が託されました。

今や、キリストは、聖書を通して、教会が立てる説教者を用いて、聖霊において語られます。

これが、「説教」という営みです。

それは、「救いの歴史」を進展させ、神の国を完成へと向かわせるという、大いなる目的をもった神の「語り」です。

「説教」がなされる。それは、最新の神からの語りかけであり、「救いの歴史」の最新の1ページが開かれる時です。

それは、終末の新天新地を望み見させ、神の国を力強く形成していくことへと人間を突き動かす、そういう語りかけであるはずなのです。


共に祈りましょう。

主よ、アドベントのこの時、イエス・キリストが私たちのところに来てくださったことの喜びが胸に広がります。今、心身の弱っている者もいますから、王なるキリストの恵みの支配の下で安らわせてください。
2019. 10. 23  
昨日は教師会の一泊研修会に出かけていて、配信をお休みしました。

折しも、新天皇の即位の日ということで、厳戒態勢が敷かれたり、巷では異様なムードだったようですね。

神道儀式の一番ディープなところは一般公開されないので分かりにくいですが、天皇という存在が極めて宗教的な存在だということが明らかになったと思います。

そのようなものを「国家統合の象徴」として持つという点が、日本という国の際立った特殊性です。

先日、サウジアラビアに駐在された方から、かの国におけるイスラム原理主義による国家統治の徹底という特殊性を教えていただきましたが、日本という国もまた特殊な宗教国家なのです。

今日の日本で、そういうことを意識しているのは、国家神道体制の復興を願う人たちくらいかもしれませんが、その怨念にも似た願望が、今また、この国のかたちを歪めつつあります。

それは、まさしく、この国に働いている悪霊の力です。

私たちはキリスト者として、日本という国の特殊性をよく認識し、天皇という存在の偶像性を見抜き、まことの崇拝の対象である主イエス・キリストをまっすぐに見上げたいと思います。

エフェソ書2:1-6を分ち合って、共に祈りましょう。

ここにあるように、私たちはかつてはこの国にあって、無自覚のうちにも悪霊的な支配の中にいて「死んでいた」のですが、今は、キリストと共に生きる者とされたのです。

「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。

わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。

しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。」


神よ、あなたに背き続けてきたこの異教の国を憐れみ、悔い改めへと導いて下さい。このあまりに特殊な国に、あなたを知る知識が満ち、キリストと共に生きる喜びをみなが知り、信仰と希望と愛に生きる人が増し加えられますように。
2019. 10. 15  
昨日は、私の友人である石川ヨナさんのライブで、ぜいたくな一時間を過ごしました。

台風19号の大きな被害に苦しむ人たちがいる中で、今自分たちに与えられた命の意味を問い、神からの「生きろ」との声を明確に覚えた時間でした。

ヨナさんは、クリスチャンロックミュージシャンとして、改革派信仰に基づく独特の言語世界をもって、この萎えた時代にどこまでも希望のメッセージを発し続けようと、戦っている人です。

命の水の水源は、もうすぐそこにあるから、だから信じて井戸を掘れ!!、などと歌うのです。

それは、歌という仕方での説教であり、叫びという仕方での祈りであり、私は彼女と共にまぎれもなく礼拝体験をしたと感じています。


「流れ星ひとつ願うなら、御心がなるようにと祈れますように。弱き私のそばにいて、思いと言葉とすべてを支えておくれ。

こぼれ落ちそうな想いを御手にゆだねて、星空にこの祈りよ、届けーーー!!・・・・」

細身の体をしぼりあげるようにして叫ぶ彼女の祈りと共に、私の魂は天の高みへと引き上げられました。

そのとき、祈りを聞いて下さる主イエスが、確かに私たちのそばにいてくださいました。

イエス・キリストとの神秘的結合。

私の言葉が貧しすぎて、言葉にするたびに、あの喜びがひとつひとつこぼれていくのが残念でなりません。

永遠に触れたとしか言いようがない。いや、触れられたのです。

渇いた魂に命の水が注がれて、それでも私は牧師をしたいと、もう一度、自分の声を聞きました。


「声」というものの大切さということも、改めて考えさせられました。

声は空気をふるわせながら、発する者の命を届けます。

命を削るようにして届けられた声と響き合って、私の体の中の水がゆらめき、よどみが流され、忘れかけていた情熱が沸騰します。

神は、土くれから創造なさった人間に、命の息を吹き入れて、「生きる者」としてくださいました。

今も、歌をとおし、礼拝説教を通し、神は小さな存在の「声」を用いながら、命を吹き入れてくださっているのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日の日に、あなたの御心がなりますように。今、憔悴しきっている方を慰めてください。それができるのはあなただけです。主よ、助けてください。自分の無力を知った人間を救ってください。


プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR