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2020. 07. 07  
先主日の説教録画は、もうしばらくお待ちください。担当長老が昨晩遅くまで出張でした。献身的なご奉仕に感謝します。

今週は球磨川流域の大洪水に、胸を痛めております。熊本にいた時に、人吉や宮崎での集会のために球磨川沿いの道を走ったものです。

毎年のように起こる大水害は、間違いなく全世界的な気候変動の影響にあるものでしょう。

私たちは、人類の歴史の中で、そういう苦悩の時代に生を受けたのです。茅ヶ崎に住んでいると、南海トラフ地震や富士山噴火など、起こりうる災害をいつも想定して生きてますが、それらもまた味わわねばならない世代があります。

あのアダムの堕落の時に、人間の罪のゆえに大地は呪われ、私たち人間と大地との関係に根源的な歪み・ひずみが生じました。そこに、あらゆる災害の神学的な根拠を求めることも可能ではないかと、私は考えています。

私たちの罪のゆえに、被造世界全体もまた私たちと共にうめいているとパウロも言います(ローマ8:22)。

人類の歴史の展開と共に、大地との関係はどんどん悪化し、「よき管理者」としての責任(創世記1:28)を果たせないまま、地球温暖化現象をも招き寄せてしまったと、考えることもできます。

最近のローマ書の御言葉で考えれば、創造主なる神は、そういう人間の欲望の暴走を、そのまま放任して、静かに見つめておられるのかもしれません。きっと、はげしく胸を痛めながら。

こういう時に、神の御心を問いますが、私にそのすべてが分かるはずもありません。

ただただ、祈るのみです。


主よ、深い淵の底から、あなたを呼びます。大水が私たちに襲い掛かりました。亡くなられた方、甚大な被害に遭われた方々に、どうかあなたの憐れみがありますように。私たちもまた、同じ時代に生きる者として、不安を覚え、悲しみを共有いたします。主よ、嘆き祈る私たちの声に耳を傾けてください。あなたがすべての罪を心に留められるなら、私たちは誰も耐えられません。主よ、憐れんでください。私たちの時代を、泥沼から救ってください。



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2020. 07. 03  
次の主日には久しぶりに聖餐式が予定されています。コロナ禍の中、最新の注意をしつつ、教会の活力の中心である聖餐の食卓を回復したいと願います。

ウェストミンスター小教理97問によれば、「聖餐をふさわしく受ける」ために以下の心備えが必要です。

何より求められるのは、自分の現状の信仰と生活について、よく「自己吟味する」ことです。

キリストを我が命の力とし、彼にのみより頼む信仰をもって与らねば、聖餐は無意味です。

そしてそういう信仰は、悔い改めや、神と人への愛、そして新しい服従の生活と表裏一体です。

「今の自分はどうであろうか」と、聖餐に際して、毎回セルフチェックすることへと招かれています。

そういう厳しい「自己吟味」は、自分の信仰者としての不完全さ、ダメさを浮かび上がらせます。

でも、「こんな自分には聖餐を受ける資格がない・・」と、辞退をすべきではないのです。

むしろ、そういう不完全な者だからこそ、聖餐の恵みにあずかって、恵みのうちに成熟していくことが必要です。


ここ数回の主日礼拝説教において、ローマ書の御言葉を通して、私たちは自分の罪深さを痛感させられました。

でも、その私を赦し、きよめ、最後の審判にさえ耐えられるものにしてくださるのが、キリストの救いの恵みです。

それが、目に見える形で差し出されるのが、聖餐です。その救いの恵みを、しっかりその手で受け取り、味わわせていただくのです。

先主日の説教の最後に、「キリストが、十字架の傷のついたままの手を大きく広げて、滅びの道を行く私たちを止めてくださった」と申し上げました。

そのようにして主は、大きな手を広げて、私たちを聖餐に招いてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ、蒸し暑い日々が続きますが、あなたの恵みと慈しみに追いかけられて歩む、私たちの日々に感謝します。今週の週末の歩みを整えてくださって、主の日に、感謝と喜びをもって主の食卓に臨むことができますように。ひとりひとりの自己吟味を、ふさわしく導いてください。
2020. 04. 07  
緊急事態宣言が出されるということで、ウイルスの猛威に気持ちもふさぎがちな日々です。でも、まもなくイースター、命が勝利した日です。

十字架の悲しみの中で太陽を覆った闇も、やがて光に凌駕されて、復活の希望の朝にいたります。

4月より、このブログ・配信を「日々の祈り」と名前を変えて、再開したいと思います。

まだ本格的な再開は、来週以降にお待ちください。今週は今日だけ、予告コマーシャルのような感じで(笑)。


湘南では、先の主日は30名を超える出席で、4年の無牧の時を耐え忍んだ皆さんの喜びにあふれていました。

残念ながら、次の主日のイースター礼拝からは、「礼拝に集まる」のをやめることを忍耐し、牧師と長老以外は自宅で礼拝を守っていただくことになりました。

本当はこのような時こそ、神の家族が集まって励まし合い(ヘブライ10:24-25)、「一人の人」のようになる一致をもって(ネヘミヤ8:1)、この試練を乗り越えたいのです。

しかし、今は忍耐の時です。

でも、聖書の言葉遣いにおいて「忍耐」とは、やがて必ず訪れる希望の時の到来を待ち望んで、今の時を迎え撃つという積極的な信仰の姿勢をいいます。

「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:4-6)」

皆さんそれぞれに、教会においても、日常の生活においても、忍耐の時を過ごしておられることでしょう。

しかし、今の時は、特別な意味のある試練の時です。今こそ、主に信頼して、地上の生命よりもはるかに大きな希望を見上げましょう。
神の愛は、確かに私たちに注がれています。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの時代に与えられたこの試練の意味を、どうかはっきりと悟らせてください。あなたは生きておられます。今この時に、私たちがあなたに立ち帰り、なすべきことを忠実になすことができますように。どうぞこの忍耐の時が、かえってひとりひとりの霊性を高めますように。
2020. 03. 20  
今週は、私自身が日ごとに与えられ続けている御言葉の励ましを、お裾分けさせていただいてきました。

昨日、神戸改革派神学校の吉田隆校長から、文書が届きました。

現在の状況下において、各個教会が事柄を神学的視座をもって考察することができるように、それに資するための文書を書いてくださいと、大会常任書記長として神学校校長にお願いしていたのです。

それが、届いたのです。すばらしい文書でした。心を深く燃やされました。

皆さんには、一足早く、そのさわりのところだけお伝えします。

主なる神は、愛する者たちを「暗黒の中を行く疫病」や「真昼に襲う病魔」からもお守りくださる御方です(詩編91章)。しかし、たといそうでなかったとしても、病に侵された者を深く憐れんで触れてくださるのが、私たちの主イエス・キリストです(マルコ1:41)。

・聖書の神は、疫病をもたらすことも止めることもできる全能の神です。しかし、それ以上に、病に倒れようが人々から遠ざけられようが、ただ一人どこまでも関わってくださる愛の神です。病を支配する方であると同時に、病の如何にかかわらず、私たち人間を愛してくださる御方なのです。

・このような神の愛を信じ、この神の愛によって救われたキリスト者もまた、この世の病を恐怖の的のように見る必要はありません。剣であろうと飢えであろうと、キリストの愛から引き離すことができるものなどないからです(ローマ8:35)。


共に祈りましょう。

主よ、愛の主よ、あなたの愛を私は疑いません。あなたは私の人生に、なにひとつ悪いことをなさいませんでした。これからもそうなのでしょう。主よ、私が愛されているのと同じように、今、病に苦しみ、不安の中におののくすべての人のことをも、あなたは愛しておられることをも知っております。主よ、あなたの御心がなりますように。
2020. 03. 13  
次の主日のために、早めに説教原稿を準備しましたので、原稿をお送りすることができます。

後ほどメールや郵送でお送りしようと思っていますが、ご希望の方はお伝えください。

今この時、大事をとって、集いたくても礼拝に集えない方々がいることを、痛切に覚えています。私もまた、皆さんで共に礼拝したいですが、今は耐える時です。

カトリック東京教区では3月8日まで公開ミサを中止され、大司教より「礼拝の義務を免除する」という声明も出されました。

そのことを先の礼拝後に皆さんにお伝えしたら、笑い声が起きました。

確かにプロテスタント教会では、びっくりしてしまうようなことですね。

首をかしげておられる方もいました。それは、私が思うに、「義務で礼拝に来ているわけではない」という思いがあったのではないかと勝手に想像しました。

わたしたちは、礼拝がしたいのです。礼拝がしたくて礼拝をしているのだということが、今、とてもよく分かるようになりました。

「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。(ネヘミヤ8:10)」

本当にそうだと思います。主を礼拝することが、私たちの命です。

たとえ共に集えなくても、ひとつの御言葉に共にあずかり、主を見上げて命を得たいと思います。

繰り返しますが、原稿送付をご希望の方は、ぜひお伝えください。


共に祈りましょう。

主よ、今の不自由な日々から解放してくださって、私たちが共にあなたの御前に相集う喜びを回復してください。今日もおひとりおひとりの心身の健康を守ってくださり、経済的な混乱からも守ってくださいますように。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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