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2020. 01. 16  
昨日の祈祷会では、ルカ福音書のクリスマス物語の中にある、母マリアの信仰の姿勢に目を留めました。

あのイエス様がお生まれになった夜、天使のお告げを聞いた羊飼いたちが駆け付け、証しをします。

「おれたちのための救い主がお生まれになったと聞いたんだ!」と、高揚して伝えたことでしょう。

それを聞いた周囲の人々は、みんな、羊飼いたちの話を不思議に思ったといいます。

しかし、マリアは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」というのです(ルカ2:19)。

特に、「心に納めて」という言葉に注目します。

これは、いろいろな影響から守るために、不用意に外に出して発散してしまわないで、じっくりと心の中にとどめることだと、書かれていました。

同じようなマリアの姿勢は、2:51にもあります。

この時は、少年イエスが神殿にあって「ここが自分の父の家だ」とおっしゃる言葉に面食らい、「イエスの言葉の意味が分からなかった」といいます。

その前には、もう数年前の記録として、老シメオンの預言としてイエス様の十字架の死も予告されます(ルカ2:25-35)。

一連の出来事は、驚くべきことばかりで、当惑するよりなかったと思います。

でも、「母マリアはこれらのことをすべて心に納めていた」とあるのです。


自分にはまだ受け止めきれないようなこと、今は意味が分からないこと・・・でもそれを安易に意味づけて受容しようとしないで、ただ「心に納めて」、神様の導きをしずかに待った・・・。そういうことではないでしょうか。

そうして心に納められたことを、ゆっくり思い巡らす中で、やがて、すべての意味が明らかにされる時がくるのです。


共に祈りましょう。

主よ、今倒れている方、臥せっている方、弱っている方、慌てふためている方、納得できなくて苦しんでいる方・・・いろんな思いを、どうか受け止めてくださって、その魂に平安をお与えください。やがてすべての出来事の意味が、恵みの中で明らかにされますように。
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2019. 12. 24  
今日は12月24日ということで、世間ではクリスマスイブとして盛り上がることでしょう。

勝田台教会では行いませんが、イブ礼拝ということで、今晩に集会をされる教会も多いことでしょう。

それぞれに、救い主イエスのご降誕を記念して、喜びの礼拝をささげていただければと願います。

いつも申し上げますが、12月24日あるいは25日という日付は、聖書のどこにも書いてありません。

それは三世紀か四世紀かから始まった慣習で、正確な誕生日ではありません。

こんな寒い時に野宿をしていたら、羊飼いたちは凍え死んでしまいます。

古代のクレメンスという教父は、5月20日と推定したそうです。

あるいは、東方正教会の伝統では、今でもクリスマスは1月7日にお祝いします。

だから、何か12月24日という日が特別な聖なる日として、神様に取り分けられているわけではないのです。

むしろ私たちの弱さのために、こういう一日を設定するのを大らかに許容してくださって、信仰奮起の機会として用いてくださっていると、私は考えます。

現に、せめてクリスマスだけはと教会に集われる方も多い。

大事なのは、私たちの側の信仰のアクションです。この日を覚えて、私たちひとりひとりの心に、正しく救い主イエスをお迎えすることです。

あの日、主がお生まれになった日、「宿屋には彼らの泊る場所がなかった(ルカ2:7)」と言われていました。

彼らのいる場所がなかった、という翻訳もあります。

イエス様に宿っていただくための「場所」は、私たちの中にあるでしょうか?


共に祈りましょう。

主よ、今日の日に、私たちの信仰を燃やしてくださって、イエス・キリストの命をしっかりと受け取ることができるように導いて下さい。
2019. 06. 05  
主イエスは、弟子たちを祝福しながら天に上られたと、先の主日に教えられました。

祝福しながら上られ、今も、祝福し続けて下さっている。

そのことに今まで気づかなかったと、伝えて下さった方もいました。私自身、今回の説教の大きな発見でした。

今週は、祝福の両手をあげてくださっている主イエスを想いながら、平安の中で、祈ることがゆるされています。


さて、そのようにして天に上られたイエス様は、その至高の場から「聖霊」を遣わしてくださいます。

ルカ24:49では、イエス様が聖霊様のことを、「高い所からの力」と呼んでいます。

聖霊はミステリアスなお方で、風のように自由ですから、とらえどころがないように感じます。

でも、自分の思いを超えた不思議な「力」に満たされて、確かにこの方の実在を悟るということが、信仰生活にはしばしばあります。


そして面白いのですが、その「力」に「覆われる」という言葉遣いがされています。

「高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

「覆われる」は「(服を)着せる、身にまとわせる」という言葉です。

エフェソ6:11「悪魔の策略に対抗して、神の武具を身に着けなさい」というのと、同じ言葉です。

そしてルカ福音書で言うと、15章の放蕩息子のたとえの記事で、お父さんが帰って来た息子に「服を着せてやれ」という、あれが同じ言葉です(ルカ15:22)。

私たちは誰も、聖霊の力をまとわせていただかねば何もできない、無力で愚かな、放蕩息子なのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの赦しと恵みによって、天よりの力をまとわせてくださって、悩み多い世の旅路を、今日も歩み切らせてください。安心して行きなさいとの、あなたの祝福が聞こえます・・。

2019. 06. 04  
先の主日には、ルカ福音書の最後に記された「イエス様の昇天」の記事を分かち合いました。

天に上っていかれたというのが、実際にはどういう出来事だったのか、想像を絶します。

でも、それに立ち会った弟子たちは「伏し拝んで、大喜びしてエルサレムに帰った(ルカ24:52)」とありますから、

イエス様の偉大な神的権威を目の当たりにして、人知を超えた平安と心強さを覚えさせられたのでしょう。

それは、「天」に触れた瞬間と言ってもいいと思います。

天に触れるその時、地上に生きるわたしたちの、悲しみや不安のすべては、大きな喜びでおおわれます。

天とは、宇宙の果ての果てにある遠いところではありません。

イエス様は、遠い所に離れていってしまわれたのではありません。

天は、じつは私たちのすぐそばにあるのです。

天は、時間も空間も超えた、神の世界です。(聖書の言葉遣いでは、それを「永遠」とも言います)

礼拝後に、一人の方がこのように伝えてくれました。

私たちは、時間と空間の中でしか生きることができないから、それを超えた世界のことが分からないのだ、ということが分かりましたと。

とても大切な気づきだと思います。

ともすると私たちは、「自分たちには分からないのだ」ことを分からないまま、自分たちの分かる範囲で、神様について、天について、考えてしまいます。

天が、すぐ近くにあるということも、よく分からないかもしれません。

でも弟子たちは、イエス様が天に上られたことで、前よりもいっそう近くに主を覚えているように思います。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの御心がこの地上世界においてもことごとく実現し、この地が、天に変えられていきますように。天におられるあなたをあがめます。私たちの心を、天に引きつけてくださって、いつも喜びに満たしてください。

2019. 05. 31  
次の主日に分かち合うルカ24:36-50の最後は、イエス様の昇天について伝えてくれる貴重な記事です。

「イエスは・・手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。

彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」


「手を上げて祝福する」これは、レビ記9:22「アロンは手を上げて民を祝福した」とあるように、旧約の昔に由来します。

今、私たちのささげる礼拝でも、最後に牧師が手を上げて祝福の宣言をいたします。

牧師は、あの祝福の宣言に、アロン以来の神の民の礼拝の歴史を背負っています。

そして、イエス様が地上において最後に残してくださった思い出を、強くイメージしています。

みなさんも、そういう思いで、明後日の礼拝の「祝福の宣言」を受けていただけましたら、恵みはいっそう豊かです。


イエス様は、「祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」というのが、どういう光景だったのか、想像を絶します。

「上げられた」という言葉は、「上に登る」という意味だけでなく、「いけにえをささげる」という時に使われることが多い言葉です。

あるいはここでも、そういう意味が込められているのか?興味深いところです。これから調べます。

いずれにしろ、ただ単に物理的な上昇ということだけではないようです。

そして、なにより大事なのは、「祝福しながら」ということではないかと思います。

イエス様は、地上を呪って去るのではなく、祝福して天へと去っていかれました。今や、地上のすべては、この主の祝福の中にあると言う事さえ、ゆるされるかもしれません。


この祝福を受けて、弟子たちは「大喜び」しました。疑い沈んでいた者が、大喜びに変えられました。

主イエスの祝福には、そういう力があります。


共に祈りましょう。

主よ、あなたに祝福をいただいて歩みだしたこの一週間も、金曜日まできました。疲れを覚えている者もいるでしょう。主よ、どうぞ、心の曇りを除いてくださって、大喜びを与えてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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