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2019. 09. 20  
次主日は使徒言行録26:19-32を分かち合いますが、その直前の12-18節に、パウロの回心の証しがあります。

彼は天からの光を見たといいます。それは真昼の太陽よりも明るく輝く、根源的な光であったと証言しています(13節)。

それが、復活の主イエスの栄光でした。パウロたちは、この光に圧倒されて地面に打ち倒れました。

そのとき声が聞こえた「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか。」

そして面白い言葉が続いていますね「とげの付いた棒をけると、ひどい目にあう。」(14節)

これはこの当時の格言でして、自分よりも大きな力に逆らうのは無益だという意味です。要するに、私にこれ以上歯向かうな!!

こういうイエス・キリストの圧倒的な権威と栄光によって、打ちのめされ、イエス様に降参した。私はイエスに支配された。それがパウロの証しなんですね。


これは非常に興味深いことです。

教会では様々な機会に、「証し(入信記)」を聞かせていただくことがありますが、なかなかこのように、「自分はイエスに負けた」という証しをなさる方はいない。

でも、私たちが信仰を持つときというのは、誰でもこのような敗北を経験するものです。

私たちというのは傲慢ですから、神様、イエス様を、「自分」の枠の中に取り込もうとしてしまうものです。

聖書の教えを読んでも、自分の考えに合うことだけを受け入れて、他は耳に入らない。

「難しいことは知らない。私にとっての神様はこういう方なの。それで十分だ」と、自分本位な、自分なりの信仰の教祖となってしまう。

でも本当の神体験というのは、そういう意固地で自分勝手な私たちの枠組みそのものを、外側からぶちこわしてしまうものです。

今まで正しいと信じ込んでいたことが、間違っていたと知る、今までとまったく違うものの見方が示される。

それが本当の神体験、イエスとの出会いです。


共に祈りましょう。

主よ、どこまでも自分本位な私を砕いてください。そして、今まで味わったことのないような信仰の喜びの世界を開いてください。
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2019. 09. 19  
次の主日は、使徒言行録26章を分かち合いますが、これは先主日の24章の記事から2年後のことです。

総督フェリクスのもとで2年間も放置されるようにして、パウロは監禁されていました。

新しく交代した総督フェストゥスのもとで、また事態が動き出します(25章)。

再びユダヤの祭司長たちが罪状を訴えますが、やはり立証することはできません。しかし、ユダヤ人の機嫌をとりたい新総督は、パウロをエルサレムに引き渡そうとします。

そこでパウロは、皇帝に上訴するという行動に出ました。

それゆえに、護送されてローマに向かうことになります。こういう形で、ローマへの道が開かれたのです。神の摂理の不思議です。


さて26章は、アグリッパ王の前でのパウロの弁明を記します。

この人は「ヘロデ・アグリッパ2世」です。ガリラヤ・ペレア地方の王という称号をローマからゆるされていました。

ヘロデ王家の最後の王でもあるのですが、ヘロデ王家といえば、キリスト教とは切っても切れない因縁のあいだがらです。

①クリスマスの物語に登場します、あの残虐な「ヘロデ大王」は、この人のひいおじいさんになります。

②その次に出てくるヘロデは、イエス様の裁判の時に出てきて、主をなぶりものにしたあのヘロデです。あのヘロデは、「ヘロデ・アンティパス」。

今話をしているアグリッパ2世にとって、大叔父にあたります。

③そして、もう一人いました、使徒言行録12章にもヘロデ王が出てきます。

この人は、使徒ヤコブの首を切ったり、ペトロを逮捕したり、最終的には演説の最中に天使に打たれて絶命して、うじに食い荒らされて息絶えたとありました。

あのヘロデ王は、「ヘロデ・アグリッパ1世」、アグリッパ2世のお父さんです。


そんな具合に、いずれも残虐非道なキリストの敵として、世の闇を象徴するような存在として登場した三人のヘロデ王。

彼らに続く四代目の前にパウロは立ち、堂々と福音を宣べ伝えます。

悪しき力はどれほどに強大でも、やがては自滅します。不滅の福音の光のみが、最後まで輝くのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちのまことの王よ、今日もあなたの守りの中に置いてください。体を弱めている者、台風の被害の大きい者、思いがけない出来事に不安や動揺の大きい者に、イエス・キリストにある信仰と希望と愛を満たし、平安を与えてください。



2019. 09. 18  
先の主日は、使徒言行録24章を分かち合いました。

総督フェリクスの前での裁判において、パウロが無実を弁明しているところでした。

特に注目したのは24節以下のところ。

話を聞きに来たフェリクス夫妻に対して、パウロが「正義と節制と来たるべき裁き」について話したというところ。

その結果どうなったかというと、悪名高いこの夫妻は後ろめたさを覚えて、「恐ろしく」なったとあります。


ここで面白いのは、地上の現実における裁判と、「来たるべき裁き」すなわち、最後の審判の対比です。

パウロは今、現実の法廷において生々しく争っている。

しかし、彼の意識はそこにではなく、最後の審判のほうにあります。

フェリクスは暗に賄賂を求めていましたから、パウロとしては彼に取り入って、裁判を有利に進めることもできました。

でも、いつも最後の審判を意識しているパウロには、そんな選択肢はありえなかった。

完全無欠にはなれないけど、すべてを見ておられる神の御前で、良心の責められるところのないように、最善を尽くして生きていきたい。


神は、パウロの無実を知っていてくださいます。

そしてキリストという弁護者が、最後の審判における彼の「無罪」を勝ち取ってくださいました。

だから、その神の御前で、この地上において最善を尽くす。その結果、たとえ地上の裁判で敗訴してもかまわない。

そういう生き方があるのです。


共に祈りましょう。

主よ、私の道筋をまっすぐにしてください。悪しき力に囲まれても、動揺せず、ただキリストに信頼し、自分の歩んできた道を曲げてしまうことのないように。
2019. 09. 17  
先主日に分かち合った使徒言行録24:16の、パウロの言葉を振り返っています。

「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」

「責められることのない良心を絶えず保つ」、言い換えれば、後ろめたさのない歩みをする。

これがパウロの人生の指針であったことでしょう。

とはいえ、それが不可能だということも、一番知っていたのはパウロだったはずです。

良心、これはやっかいなものです。

自分には責められることはない、自分の主張は絶対に正しいと確信するなら、その瞬間から何かがわたしたちのうちで壊れ始めます。

自分が正しいと思いこんでいる人ほど、恐ろしいものはありません。


でも、多くの場合、そういう状態になっている人は、自覚がありません。

今もこれを読んでいたとしても、「そう、あの人のこと!!」とは思っても、自分のことだとは思わないことでしょう。

かくいう私自身が、他者から見れば、自分の主張を押し通そうとする恐るべき者に映っているかもしれません。

みんなが、みんなが、主の御前で、そのことに気付けたら・・・。


共に祈りましょう。

主よ、願わくは、私たちが気づかずに犯している罪から離れさせてください。盲目な私の願いではなく、あなたの御心がなりますように。そして、私たちに愛をください。
2019. 09. 13  
次主日は、使徒言行録の24章全体から分かち合うと予告しています。

その中でも、特に注目したいのは24節以降です。1-23節については、できるだけ簡略にお伝えしたいと思います。

ですから、前もってよく理解しておいていただければ幸いです。


ここは、総督フェリクスの前での裁判の記録です。訴えられているのはパウロです。

訴えの内容は、3つです。

●第1に、この男は世界中至る所で騒ぎを起こす危険人物で、疫病のような男だ。

●第2に、ナザレ人の分派の首領だ。つまり、ナザレのイエスを信奉する過激な異端グループのリーダーだ。

●第3に、神殿さえも汚そうとする冒涜者である、ということです。


それに対するパウロの弁明も、3つです。

●第1に、世界中を乱す者などというのは嘘八百であって、誰かと論争したり、群集を扇動したりなどしたことはない。

エルサレムに来たのも、あくまで礼拝のため、また同胞に救援金を渡すため(17節)であって、ローマの平和を乱すためでは断じてない。

●第2に、確かに自分はイエス・キリストの弟子であるが、それは決して異端的な教えではない。

むしろ我々こそが、聖書に忠実に生き、死者の復活を信じ、ユダヤ教の本当の精神を実現するものである。

●第3に、神殿を汚そうとしたどころか、自分は供え物をささげて清めの式にあずかるために神殿に行ったのである(17節)。


以上のように整理をして読んでいただくと、読みやすいかと思います。ぜひ、前もって読んでおいてください。

イエス様と同じように、パウロも無実の罪で訴えられているのです。

無実であるのに、不当な追及を受けて苦しむダビデの、その悲しみを歌う嘆きの詩が、詩編35編にあります。

その嘆きの日々を支えているのは、主はすべてを見ておられ、私の正しさを知っておられるという確信です。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの前で決して正しくはありえない私たちですが、しかし願わくは、だれも見ていないところでも、あなたの前で、恥じない生活を送ることができますように。主よ、そのように歩む力を与えてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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