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2019. 01. 18  
次の主日には、箴言1:1-19を分かち合う予定にしています。

この日々の御言葉の配信でも、箴言の御言葉を取り上げてきました。私たちの生活に直結する言葉ですから、受け取りやすいのです。

ただ、主日の礼拝説教としてこれを取り次ぐというのは、私にとっても初めての経験で、どう取り組めばいいのかと思案しているところです。

この箴言の言葉を通して、生きておられるイエス・キリストが立ち現われてこられる、その瞬間を祈り求めて待っているような感じです。

貧しい説教者のために、どうぞ祈ってください。

箴言1:7の有名な言葉が、箴言全体のカギとなっているのは間違いありません。

「主を畏れることは、知恵の初め。無知な者は、知恵をも諭しをも侮る。」

面白い解説がありました。エイトケンという注解者の解説です。長いですけど、おもしろいので、せめて最後の行だけでも読んでください。



「箴言が教えているのは、実際に役立つ経験的な教訓であって、信仰に関する霊的な教えではない。・・・彼は人生から最高のものを得る方法を心得ており、可能なかぎり十分に人生を生き尽くすやり方も心得ている。

しかし建物にはしっかりした基礎が必要である。だからこそ著者である賢者は、信仰こそ、しあわせに栄える良い人生の根源的基礎であると主張しているのである。

真に賢明な世俗の人は、信仰をもつ人である。そしてまた、基礎とはその上に建物を建てるためのものであるから、信仰のある人はまた世俗の人間であらねばならない。

したがって、知恵を軽蔑する愚者とは、神のために使う時間をもたない世俗の人間か、あるいはまた、この世のために使う時間をもたない神を敬う人かのどちらかである。

言い換えれば、天国で役に立たないほど世俗的な人か、この世で役に立たないほど天上の人間かのいずれかなのである。」


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちを世に遣わしてくださることを感謝します。それぞれの家庭、職場、学校、地域にあって、あなたにあって知恵深く、賢く歩ませてください。
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2017. 09. 07  
昨日から夜の祈り会も再開しました。十戒の最後の戒め「あなたは、むさぼってはならない」を分かち合いました。

「むさぼる」すなわち、「人のものを欲しがる、貪欲」。その心が、盗みや姦淫、嘘、争い・・、あらゆる悪の根っこにあると教えられました。

このような貪欲の恐ろしさに鈍感で、「むさぼる」ことに歯止めを持たないのが、今日の日本の価値観のようです。

会社社会の真っただ中で、葛藤しながら歩んでおられる兄弟から、現状をうかがうこともゆるされました。


私は、この「むさぼることなかれ」という戒めをものにできるかどうかは、神様への信頼にかかっていると思っています。

神様が、私に必要なすべてのものを、いつも必ず備えて下さる。この単純素朴な信頼こそが、要です。

この信頼をもてない時、「もっとほしい」「もっと強く、大きく、賢くなりたい」という心が、制御不能になって暴れ出します。

この信頼をもてない時、わたしたちは劣等感に苦しみ、人をねたみはじめます。

アダムとエバの堕落の時からずっと、人間のあやまちは、そういうところから始まっているのです。


二つの聖句を見ましょう。

旧約聖書の箴言28:25「貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。」

ここでも、「貪欲な者」の対義語として「主に依り頼む人」となってます。

「貪欲な者」の反対は「清貧な者」ではないのですね。神様に深く信頼する「主に依り頼む人」なのです。

新約聖書のヘブライ人への手紙13:5「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神ご自身、『わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました。」

ここでも、「満足しなさい」という教えと、必ずあなたと共にいると約束してくださった神様への信頼がセットになっています。


共に祈りましょう。

すべてを与えてくださる愛なる主よ、今日私たちが、あなたから注がれる様々な恵みに目が開かれ、満たされた一日を過ごすことができますように。ねたみや劣等感から解放してください。向上を求める心を、上手にコントロールできるようにしてください。
2014. 07. 24  
昨日の夜の祈祷会で、神様の「摂理」の御業について学びました。

「摂理」とは、宇宙全体とあらゆる被造物の営みを保ち、統べ治め、一瞬一瞬の時を創り出していかれる神の御業です。

イエス様は、この神様の大いなる「摂理」の中で、あなたがたの髪の毛一本さえ無駄に落ちることがないように、配慮されていると教えてくれました。(マタイ10:29-31)

神様が必要なすべてを備え、すべてを最も善く導いてくださる。だから、恐れることはない。

独り子イエスを与えてくださったほどに、私を愛しておられる父なる神が、決して悪いようにはなさらない。

こういう「摂理」を信じる信仰をもって、今日備えられる、一瞬一瞬に取り組みたいのです。

今日、思いがけないアクシデントが与えられるかもしれません。

でも、それは無意味で空しいものではありません。主が、今日のあなたのために備えられた、あなたに必要な試練です。

今日、やる気が起きないようなつまらない仕事、避けたい人間関係もあるかもしれません。

でも、それもまた、今日のあなたに必要な導きです。

すべては、神の栄光に向かう永遠のご計画において定められた、熟慮に満ちた、神からの最善の備えです。

「人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。(箴言20:24)」


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたの愛を信じます。あなたが備えてくださるすべてのことを、感謝して受け取り、前向きに取り組むことができますように。逆境の時にも、心落ち着け、強く雄々しくあることができますように。
2014. 07. 18  
昨日、他教派の友人である牧師夫妻と食事を共にしました。

人格的に豊かな信頼する先輩たちなのですが、そんな方々でも、一時は霊的・精神的にどん底だったという話を伺いました。

その時は、自分のことを犠牲にして会員のため、教会のため、苦悩する求道の友のため・・と、自分を追い詰めていたそうです。

でも、自分のためにもっと時間を使っていいんだと、ある集いで教えていただき、窮地を脱したそうです。


先に、「自分の栄光のため」という生き方は、「神の栄光のため」と対極にある、罪深さを本質としていると指摘しました。

でもそれは必ずしも、自分を犠牲にしてということではありません。

神の栄光をあらわすためには、私たちが、神の最愛の作品としての私たち自身を、心から大切にし、喜ぶことも必要です。

まず自分自身を大切にしてあげなくては、他者を大切にはできません。疲れてしまうだけです。

疲れてしまっては、賛美の歌も歌えません。

「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。(箴言4:23)」という言葉もあります。

この言葉だけ独り歩きさせないように注意が必要です。

これは、神様の言葉によく耳を傾け、それをしっかり心に納めることによって、自分の心をよくチェックしろ、という文脈です。

でもいずれにしろ、自分の心というものを、しっかりと関心の中心におくことは間違いではありません。


共に祈りましょう。

神様、今日もお一人お一人が、自分自身を心から愛し、大切にできるように導いてください。そして、あなたの栄光を反映できるような喜びの生活をなさせてください。


2014. 05. 22  
昨日は夜の祈祷会で、「聖定」ということを考えました。聖定・・・すなわち、神様の永遠のご計画です。

神は、宇宙のあらゆる運行を、深い熟慮に基く永遠の決意によって、あらかじめ定めておられます。

祈祷会では、色んな疑問をみなで分かち合いました。

その中の一つは、「祈りによって神様のご計画が変わるのですか?」というものです。

これは本当に、神秘に属する難問です。確かにそういう場面があります(アブラハムの執り成しが聞かれる、など)。

でも、それはご計画が変わったというのではなく、それも含めてすべてが究極的には神のご計画ということになるのですが・・・これは人間理性の限界を超えていますね。


ちいろば先生で有名な、榎本牧師はこう言っていたそうです。

「全知全能の神にできないことはない。信じて必死に祈りなさい。

でも、それが御心かどうかは神様の計画にあるのであって、我々人間の思いや希望に従って動かれるのではない。

もしそんなもので動くくらいの神様なら、私が信頼するだけの価値がない。

神様をとことん信じて、徹底的に御手にゆだねる。

主の御手の中で、主の責任において起こることであれば、どんなことも問題ない。」


「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。(箴言19:21)」

大切なことは、大いなる神の愛に満ちた「主の御旨」への、ひたすらな信頼です。


共に祈りましょう。

主よ、あなたが何を考えておられるのか、すべては分かりませんが、あなたに信頼いたします。あなたの御旨にしたがって、この宇宙を、今日もふさわしく導いてください。


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勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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