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2014. 07. 25  
「神はこれらすべての言葉を告げられた。

『わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。・・・・』(出エジプト20:1-17)」

この厳かな神の宣言から、十戒は始まります。

昨晩、志を同じくする牧師の集いで、「十戒」を学ぶ機会がありました。

ウェルカムチャーチデーに来て下さった大嶋重徳先生が発表され、私や、朝岡勝先生をはじめとしたメンバーが意見を出し合い、最終的に大嶋先生の本として出版されるようにと願っています。

言葉が通じ合っているという信頼感に満ちた、本当にうれしい学びでした。今後の展開のためにもお祈りください。

大嶋先生の構想は、十戒を手がかりにしながら、神が私たちに与えてくださる新しい物の見方、世界の見方(世界観)を提示することです。

世の人々とは異なる「キリスト者の世界観」を確立することで、日常生活の色々な場面で「今、どのように行動すればいいか・・」の判断を的確にくだすための、一貫した指針・基準をもちたいのです。

一貫性ということが大切でしょう。

継ぎ接ぎだらけの場当たり的な信仰で、行き詰っては聖書を開いて、傷ついたところにだけ御言葉の絆創膏を張るような、そんな生き方ではなく・・。

私は、キリストと共に生きる者として、こっちを向いて生きていくという、大きな方向性をこそ、聖書からは受け取りたいものです。

十戒というのは、そのための大切な手がかりです。


共に祈りましょう。

主よ、あまりにも多くの情報に取り囲まれ、多様な価値観を持つ人々と過ごしながら、翻弄され、揺れ惑い、自分を見失ってしまいそうになる私たちです。一貫した指針・基準を持つことができるように、御言葉によって教えてください。
2013. 11. 07  
今日のリジョイス(聖書日課)は、出エジプト記19章です。

読んでいましたら、主なる神は「恐るべき方」であることを改めて思わされました。

「モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。・・・(出エジプト19:17,18)」

凄まじい光景です。

爆音と炎と地響きにイスラエルの人々は圧倒されて、「この神に近寄ることはできない・・」と恐れ(畏れ)を抱いたことでしょう。


日曜日の御言葉(マタイ8:1-4)にも、聖なる神に近寄ってはならないと定められていた、重い皮膚病患者が登場しました。

私たちは本来誰もがこの人のように、「汚れた者」として、恐るべき神に近寄ることのできない者たちです。

しかし、そんな私たちに対して、人となられた神の子の方から近づいてきてくださって、手を差し伸べて、触れてくださる・・・。

私たちの汚れを引き受けるようにして・・・。

この御子の贖いの血による清めのゆえに、今や私たちは、大胆に神に近づくことが赦されています。

もはや神は、恐ろしい遠い方ではありません。

私たちのお父様として、その大きなふところに、すべてを受け入れ、抱いてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ、御子キリストの愛のゆえに、大いなるあなたを近くに覚えることが赦された、この身の幸いを感謝します。今日もあなたが抱いていてください。お父様、背負っていてください。
2013. 10. 03  
「神がわれらと共におられる」との御言葉に励まされ、今週は過ごしています。

出エジプト記の3章には、モーセの召命の出来事が書かれています。

イスラエルの民を、エジプトの奴隷生活から解き放つためのリーダーとして、神はモーセを選ばれます。

しかし、モーセは怖気づきます。「私のような者に、そんなことはできない・・・」と。

そんなモーセに対して、「いや君はよくできるから大丈夫だ」とは、神は言われません。

神はただ、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われました(出エジプト3:12)。


昨日、アメリカから来られた二人の牧師と、日曜学校および教会の発展のために語り合う機会が与えられました。

これまでに3万人もの青少年と触れ合ってきたという彼らには、豊かな経験と知恵があります。

彼らが教えてくれたのは、私たちの小さな思いを超えた、神の偉大さです。

必ずすべてが備えられるとの彼らの確信に、圧倒されました。

恐れることはない。わたしは彼らと共にいるように、必ず、あなたとも共にいる・・。

そんな声が、今、私の心に響いています。


共に祈りましょう。

主よ、大いなるあなたが、この小さな者と、今日も共にいてくださることを信じます。主よ、勇気を満たしてください。強く雄々しくあらせてください。
2013. 07. 04  
旧約聖書に記された最大の救いの出来事は、エジプト脱出です。

主は、海を二つに分けて、道を開いてくださって、イスラエルの人々を逃れさせてくださいます。

でも、海に追い詰められたイスラエルの民は、まさかそんな奇跡が起こるとは考えることができず、パニックに陥りました。

そんな民に対して、モーセが語った言葉を、心に刻みましょう。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。(出エジプト14:13-14)」


「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」

この言葉を信じましょう。

ピンチには、誰でも心騒ぎパニックになります。それが、ふつうです。

でも、私たちはもう、ふつうの人ではないのです。

救い主なる神に愛されている、神の民なのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたは大いなる方。海原を切り開き、山を砕き、死の向こうに命を創造される方。あなたの手の中に、わたしの今日一日が、しっかりと握られていることを信じます。主よ、どうか私のために戦ってください。
2013. 06. 26  
神が名を呼んでくださるとは、その人のすべてを知り、覚え、愛されることだと確認しましょう。

聖書においては、いつも神から呼びかけられることで出会いは始まります。

モーセの場合、ホレブの山で燃え続ける柴に見とれて近づいていくと、神から呼びかけられます。

「主は、モーセが道をそれて見に来るのをご覧になった。神は柴の間から声をかけられ、『モーセよ、モーセよ』と声をかけられた。(出エジプト3:4)」


そしてモーセはこの後、神の遠大な救いの計画を示され、それを実行するために自分が呼び出されたのだと悟りました。

私たちが名乗り出る前から、神は私たちのすべてを知り、ご自身の目的のために私たちを呼び出されます。

すでに信仰を告白した方々も、まだ告白しておられない方々も、

ご自分はそのようにして神から名を呼ばれ、召し出された、特別な存在であることを自覚なさってください。


共に祈りましょう。

主よ、あなたから名を呼ばれる幸いと畏れを覚えます。今日も、私があなたから呼び出されたことの意味を、よく考え、悟ることができますように。

今、試練と闘う者たちのことも、あなたは全部知っていてくださいますから、おゆだねいたします。彼らの名を呼び、あなたとの特別な語らいの時を与えてください。
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茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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