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2017. 03. 02  
昨日、夜の祈り会で、出エジプト記3:14に触れました。聖書の中でも、最も重要な場面のひとつです。

「神はモーセに『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。[わたしはある]という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。』(出エジプト3:14)」

ここで神様は、モーセに名乗り出ておられます。「わたしは『わたしはある』という者である」と。

イエス様も『わたしはある』と名乗られました(ヨハネ8:24、58など)。

これは、神様のお名前と言ってもいいでしょう。そうしますと、実に不思議な名です。

過去・現在・未来にわたって「ありてありつづけられる」主の存在の確かさを、また「万物をありてあらしめる」創造の力を、あるいは「ご自分のありたいようにある」神の自由を表している、などなど言われます。

そういう、おそるべき、人知を超えた神の神秘を覚えさせられます。

同時に私たちは、この神様の名乗りに、「わたしはここにいる。あなたのために、あなたと共に、わたしはいる」という語りかけを聴き取りたいと思います。

私たちの神はいつでも、「わたしはあなたと共にいる」と名乗り出てくださる神です。

アブラハムにも、モーセにも、ダビデにも、イザヤにも、12使徒にも、パウロにも・・、いつでも三位一体の神は、「わたしはいる、あなたのためここに」と名乗りでてくださったのです。

キリスト教信仰というのは、つきつめていえば、「神が共におられる」ことを信じることとも言えます。


共に祈ります。

主よ、今日も「わたしはある、ここにいる」とのあなたの声が聞こえます。主よ、私たちの一日を守り励まし導いてください。今、悩みの中にある方々を励ましてください。今、大事な試験に臨もうとしている者を励ましてください。


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2015. 10. 07  
10月25日は、秋のウェルカムチャーチデーです。「聖書を読んでみませんか」というテーマです。
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エジプトで圧迫されているイスラエルの人々を救い出すために、神は導き手としてモーセを選ばれました。

しかし、モーセはうろたえ戸惑います。「わたしは何者でしょう。どうしてファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか?(出エジプト3:11)」

勘弁してください、私には無理です・・・と尻込みしています。あるいは、逃げようとしているとも言えましょう。

神様から新しい役割へと召されるということは、人間的にはあまりにも重荷です。

だからモーセの他にも、ギデオンやエレミヤなど、みんな同じようにうろたえ戸惑いました。

今でも、牧師・長老・執事に召されることに、いやもっと根本的には、信仰告白をしたクリスチャンとしてこの世に遣わされることに、誰でもうろたえ戸惑い、逃げようとするのです。

しかし、そういう私たちに対して、神はいつでも同じことを言われます。「恐れるな。わたしがあなたと共にいる」と。

モーセにも言われました「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。(出エジプト3:12)」

あなたの先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブと愛を契ったように、今私は、モーセよ、あなたとの永遠の愛を契る。私はあなたと必ず共にいる。

永遠に生きる神である私が、どこまでもあなたと共にいる。

だから、恐れることなくエジプトに向かい、民を救い出せと、神はモーセを召し出されたのです。


共に祈りましょう。

あなたが私と共にいてくださる。だから、死の陰の谷を行くときも、私は恐れません。主よ、今日もそれぞれに与えられる人生の苦悩、恐れ、不安をぬぐってください。そして、戦うべき罪から逃げないように、おびえる背中を押してください。
2015. 10. 06  
今月末、10月25日には、赤石純也牧師をお迎えしてのウェルカム・チャーチ・デーがあります。久しく礼拝から離れておられる方も、ぜひお越しください。
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出エジプト記3章の、モーセの召命の場面は、大変重要な歴史の転換点です。

人口が多くなりすぎたイスラエル人を排除しようと、赤子を殺したり、強制労働をさせたりと、エジプト人が圧迫します。

主なる神は、「労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声(出エ2:23)」を聞き、いてもたってもいられず、救いの手を差し伸べようとなさいます。

なぜなら主は、はるか昔、イスラエルの祖先である「アブラハム、イサク、ヤコブ」たちと契った契約を、ずっと大切にしておられたからです。

彼らの神となって、彼らを愛し、祝福し、その子孫を繁栄させるという約束です。


モーセの前に現れてくださった主は、こう名乗られました。

「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。(出エ3:6)」

これは、「わたしはあなたの祖先たちと結んだ契約を、今も少しも変わらず大切にしているよ」と、言っておられるのに等しいです。

この神が、モーセの神でもあり、今や、私たち一人一人の神でもいてくださるということが、覚えるべき福音なのです。

続きはまた明日。


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたが私の神でいてくださり、アブラハム、イサク、ヤコブ、またモーセにしてくださったのと同じように、祝福と守りの手の中に置いていてくださることを信じ、感謝します。さまざまな圧迫を覚えて胸が苦しい時、主よ、どうかふさわしい助けを、今日も与えてください。


2015. 01. 08  
「わたしがあなたと共にいる」から、「恐れるな。語り続けよ」と、イエス様は言ってくださいます。

聖書の神様は、「共にいてくださる方」です。

モーセをエジプトに遣わす時の、主の言葉を思い出しましょう。

「見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。またエジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。

今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。・・・わたしは必ずあなたと共にいる。(出エジプト3:10、12)」


「わたしは必ずあなたと共にいる」

この主の言葉を、目をつむって、何度も心の中で繰り返してみてください。

自分の声なのか、主の声なのか、分からなくなるくらいまで。

今も主なる神は、罪の悲惨にあえぐ隣人を平安へと連れ出すために、私たち一人一人を、それぞれの戦いの場へと遣わそうとしておられます。


共に祈りましょう。

わたしと共にいてくださる主よ。たとえ火の中、水の中を通る時も、あなたの力によって、今日も強く雄々しくあることができますように。わたしを遣わし、御業をなしてくださいますように。
2014. 10. 04  
今週、安息日の恵みについて考えてきました。

安息日を休むのは、神が休まれたからだと言われています。

「安息日を心に留め、これを聖別せよ。・・七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。・・六日の間に主は天と地と生みとそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。(出エジプト20:8-11)」


私は庭いじりが好きなのですが、一仕事終えた後の休憩は、実にいい気分です。

デザインどおりに植栽された植物が、これからどう育っていくか楽しみにしながら、満足感に浸る。

神様にとっても、天地の創造を終えられた後のお休みは、そんな喜びの一日だったでしょうか。

神は満足をもって、「すべては極めて素晴らしい!!」と、天地のすべてを喜んでくださいました。

安息日は、そんな神の喜びの声が響く時です。

その喜びに励まされ、世界と自分とを喜ぶ時です。

そして、神の賛美に呼応するようにして、大きな声で、神をほめたたえる時です。

明日の礼拝に、そんな思いをもって集いたいですね。

集うことのできない方にも、神の喜びの声が聞こえますように。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの最愛の作品として生み出され、喜んでいただく、自分の存在の尊さを思い、感動します。今日も私たちを喜んでください。今、自分を大切にできない人がいましたら、どうか励ましてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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