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2020. 01. 09  
昨年のクリスマスに洗礼式がありましたが、洗礼の誓約事項の第一は、「この世界を創造された神がおられることを信じますか」という内容です。

私たちの思いも及ばぬ永遠の次元に、神が生きておられるということ。

その神の手によって、はっきりとしたその御意志によって、宇宙万物は創造されたのだということ。

それゆえに、この神の手の中ですべてのことが定められ、導かれていくのだということ。

これが、私たちの基本的な土台となる信仰です。

そういう神が存在されるからこそ、私は、私の小さな井戸の中での思い煩いに縛られず、信仰の翼を広げて、大いなる神の恵みの世界で飛び回り、すべてをゆだねて安らうのです。

旧約聖書においては、偶像の神々のむなしさと対比されて、この創造主信仰が告白されることしばしばです。

今日はエレミヤ10章の御言葉をお届けします。

「・・・主は真理の神、命の神、永遠を支配する王。

その怒りに大地は震え、その憤りに諸国の民は耐ええない。

このように彼らに言え。天と地を造らなかった神々は、地の上、天の下から滅び去る、と。

御力をもって大地を造り、知恵をもって世界を固く据え、英知をもって天を広げられた方。

主が御声を発せられると、天の大水はどよめく。地の果てから雨雲を湧き上がらせ、稲妻を放って雨を降らせ、風を倉から送り出される。・・・・」


共に祈りましょう。

主よ、私は小さく、あなたは大きい。あなたの手の中で造られ、生かされてきたこれまでの歩みに、心から感謝します。今日もあなたの手の中で、生かしてくださり、すべてを備えてください。
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2019. 12. 17  
先の主日に試問が終了し、クリスマスには三人の若者が洗礼・信仰告白をすることになりました。

そのため、当日の礼拝説教は短縮しますので、色々と予習をしておきましょう。

クリスマスにはマタイ1:18-25を分かち合います。

主の天使がヨセフに現れ、イエス・キリストのご降誕の意味を伝える場面です。

「その子をイエスと名付けなさい」と言われます。イエスとは、ヘブライ語にするならヨシュア。「主は救い」という意味です。

このお名前は、イスラエル民族を約束の地へと導いたリーダーであるヨシュアの名前を、思い出させます。

また、エレミヤ書23:5-6(33:14-16もほぼ同じ)を確認しておいてください。

「見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。

王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。彼の代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。

彼の名は『主は我らの救い』と呼ばれる。」

ここの場合、新共同訳では「主は我らの救い」となっていますが、「主は我らの義(正義)」としたほうがいいかもしれません。

いずれにしろ、こういう預言の言葉が、イエス様のご降誕を指し示しているのは確かです。


共に祈りましょう。

主よ、御子がお生まれになったクリスマスに、私たちの教会は、三人の新しい人が誕生する喜びをいただけますことを、心から感謝します。どうぞ、良き備えがありますように。我らの救いである主イエスの恵みと平和によって、私たちの歩みを導いて下さい。
2016. 02. 20  
皆さんもすでにニュースなどでご覧になったと思いますが、昨日、佐倉の王子台チャペルで立てこもり事件がありました。

勝田台教会から近く、女性カウンセラーの方とは交遊もありましたので、私も大変驚き、胸を痛めています。

罪の世に遣わされている教会ですから、このようなことはいつでも起こりえるということを、改めて覚えさせられました。なにより、王子台チャペルの方々のために祈ります。

*****
今週の私の歩みに、永遠の光をもたらしてくれた御言葉を紹介します。エレミヤ29:11-14です。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。」


人間の動きにばかり心が囚われてしまっている時というのがあります。そんなときは、自分の道を見失い、姿勢もどんどん崩れていきます。

でも、神のもとには、「平和の計画」があり、神の目には、私の「将来と希望」が見えています。

ただ、そのことを信じればいいのです。

ただ神を呼ぶということを、思い出すのです。

心を尽くして、神に祈り求め、たずね求める。そして、神に出会わせていただく。そのことに集中する。

そこから先は、私のための「平和の計画」にしたがって、神が最善を備えてくださいます。

もう、人間のことをくよくよ考えるのはやめよう。恐れなくていい・・。そんな風に、心が整えられた一週間でした。


共に祈りましょう。

主よ、罪と悲惨に満ちたこの世にあって、キリストに従いゆく道の危険や苦悩にも気づかされています。主よ、傷ついた人々をいやしてください。主よ、あなたの憐れみに、すべてをおゆだねいたします。あなたを近くに覚えさせてください。
2015. 07. 21  
今週は日曜学校のお泊り会もあり、明日からの配信はお休みさせていただきます。

日曜日のウェルカムチャーチデーには、「私の魂のよりどころ」はどこにあるのか、立ち止まって考える時が与えられました。

エレミヤ17:7-8に、こういう御言葉があります。

「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木・・・実を結ぶことをやめない。」

聖書においてご自身をあらわしてくださる、主なる神を信頼しなさいと招かれています。

この神は、「わたしこそが神、救うことのできるのはわたしだ、他にはいない(イザヤ45:21など)」と言われます。

天地万物を創造し、秩序を与え、導かれる大いなる神です。

イスラエル民族をエジプトから救い、バビロンから救われる救い主である、歴史を導かれる主権者です。

人間に信頼してはいけない、主なる神に信頼しなさいとエレミヤは伝えます。

人間は本当に草にすぎないものです。どんな権力者も無力です。自分もそうです。無力です。弱い人間がいつもいます。その弱さを、人間が助けることはできません。

その事実に気付くと、落ち込みます。空しくなります。でも、そうして人間を悟るところで、神への信仰が立ち上がるなら幸いです。

主が私のよりどころとなってくださる。なってくださっている。この霊の事実を悟ることができるならば幸いです。

個人的なことですが、私は今朝、そのような幸いへと導かれました。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、あなたを知り、あなたに信頼することを教えられた私たちは幸いです。主よ、一人一人に用意されたあなたの平和のご計画を信じます。年老いた方々を、若い方々を、大いなる御手で今日も守り支えてください。
2015. 06. 26  
先主日の説教では、イエス様の教えにまっすぐ向き合おうとしないでごまかした、祭司長たちの姿に学びました。

思い出したのは、このエレミヤ42:20-21の聖句です。

「あなたたちは、致命的な誤りを犯そうとしている。『我々のために我々の神である主に祈ってください。我々の神である主が語られることを知らせてくださるなら、すべてそのとおりにします』と言って、わたしをあなたたちの神である主のもとに遣わしたのは、あなたたち自身である。そこで、わたしが今日それを告げたのに、自分の神である主の声を聞こうとせず、主がわたしを遣わして語られたことを全く聞こうとしない。」

これは、バビロン捕囚の時のこと。生き残った者たちは、エジプトに逃げたいと思いつつ、悩みました。

そこで、預言者エレミヤに頼んで、神様に祈って聞いてもらいました。

エレミヤは、「エジプトに行ってはならない、かえって危険だ」との神様の警告を伝えました。

しかし人々は、その神の声にまっすぐ向き合おうとせず、ごまかしました。

結局は人間的な判断を優先して、エジプトに逃げました。その結果、警告どおりの悲劇になりました。

聞きたくない御言葉を、聞かなかったことにしてごまかした結果、そういうことになったのです・・。

私たちが、そのようにしない者であれますように。


共に祈りましょう。

主よ。今日それぞれに与えられるあなたからの教えに、ちゃんと向き合い、ごまかすことなく応えていくことができますように、私たちの心を整えてください。自分に都合のいいことばかり聴こうとする、私たちの耳を清めてください。
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茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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