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2017. 10. 20  
昨日、無事に大会会議が終わりました。お祈りを感謝します。くたびれてしまって寝坊してしまいました。

大会の時に、朝の祈りを導きましたが、その際にⅡペトロ3:11-13の御言葉を分かち合いました。

すでに、勝田台教会の皆さんと分かち合ったものです。

「神の国の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。・・・わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束にしたがって待ち望んでいるのです。」

「義の宿る新しい天と新しい地」を待ち望む、この信仰が、この希望が、教会の歩みを尊厳あるものへと高めてくれます。

神の正義(それは社会正義として弱者への愛でもある)が、どっしりと腰をすえて動かないという、完全な慰めの世界の到来。

その時が来るのを、わたしたちは祈り、待ち望みます。

それは、あの「主の祈り」によって教えられている祈りです。「御国を来たらせたまえ、御心を地になさせたまえ」という祈りは、そういう祈りです。

私はしばしば「主の祈り」を祈りながら、こんなことを考えます。

この祈りが、これまでのキリスト教会2000年の歴史の中で、どれほどに積み重ねられてきたことか。

私たちの教派の先輩たちが祈ってきました。カルヴァンが、アウグスティヌスが祈ってきました。

そして今日も、わたしたちと共に、世界中の教会が、同じ祈りをしています。韓国で、アメリカで、南アフリカで、カンボジアで・・・。

この祈りが必ず応えられる、わたしたちはこの信仰に生きるのです。だからわたしたちは、落胆しません。

そして、その終わりの希望から考えるならば、一切はむなしくありません。

この小さな教会がささげる貧しい今日の会議も、神の国の実現を待ち望み、そしてその到来を早めようと懸命に努めた、ひとつの祈りの歴史として、主の大いなる手に受け入れていただけることでしょう。

そしてこの祈りは、必ず応えられるのです。


そのように申し上げてから、200人でともに「主の祈り」を祈ったのでした。

今日も主の御名の栄光があらわされますように。御国が今日にも完成しますように。神の義と愛がこの地上世界を満たしますように。そのために主よ、貧しいわたしたちを用いてください。
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2017. 10. 04  
「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。(Ⅱペトロ3:13)」

これは希望の言葉です。

やがて終わりの時に、イエス・キリストが再び来てくださって、罪の力に完全な勝利をおさめ、義の宿る新しい天と新しい地をもたらしてくださる。わたしたちをそこへ迎え入れて下さる。

代々のクリスチャンは、この信仰によって励まされて、強く雄々しく歩んできました。

この宇宙に起こりくることのすべては、必ずそこに向かって行くと信じる。神の約束を信じる。

いつも、その希望のゴールを見つめている。そこから物事を考える。だから、決して落胆しない。絶望しない。


昔、熊本で、聖書に関心のある方と個人的な学びを続けていましたが、その方にとっては、このような「終末の希望の信仰」は、実に驚きだったようです。

学識豊かで、聡明な方でしたが、「このような考えは、聞いたことがありません。すごいですね。これがクリスチャンの根源的な勇気なのですね・・」と、深く考え込んでおられたのを覚えています。

わたしたちは、そのような「尊くすばらしい約束」を与えられているのです(Ⅱペトロ1:4)。



共に祈りましょう。

主よ、私たちを希望の人として、新しく生まれさせてください。終わりの時を待ち望む、この信仰を確かにしてください。そして、勇気ある生を可能としてください。
2017. 09. 28  
先の日曜日の御言葉では、「神は忍耐して待っておられる」という教えが印象的でした。

「ある人たちは、(再臨の時・終わりの時の到来が)遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。(Ⅱペトロ3:9)」

主は、わたしたちの悔改めを待っておられる。それゆえに、最後の裁きの手をふるうのを、忍耐しておられる、というのです。

手紙の著者であるペトロは、わたしたちに対して「このことだけは忘れないでほしい」と強く訴えかけています(3:8)。

神様を知らない人々が、「このこと」を全く考えないで生きているとしても、あなたたちはそうであってはいけない。

神は、人類の滅びではなく、救いを望んでおられる。

わたしたちが、このままではいけないのだと気付いて、歩みの向きを変えるのを待っておられる。忍耐しておられる。

「このこと」を真剣に考える者として、この世界を見るのです。

社会を、時代を見つめるのです。そして、自分自身を見つめるのです。



そうすれば、祈りはおのずと変わります。

祈りが変われば、すべては変わります。



共に祈りましょう。

憐れみ深い主よ、あなたがどんな思いで私たちの愚かさを見つめておられるのか・・。あなたの忍耐をも無にするように、あなたへと向かおうとしない私たちの傲慢を赦してください。人類の愚かさを赦してください。そして、向きを変えさせてください。
2017. 09. 15  
昨日の配信で、「どんなに悪い行いを重ねても、キリストを信じれば救われる」とあったことに、ひっかかりを覚えた方がいらっしゃったようです。

少し大雑把すぎる書き方でしたね。でも「信仰義認」という教理を、極端に原理的につめていくと、そういうことになるのです。

例えば、悪行の限りを重ねた人が、死の直前に悔い改めてキリストにすがるなら、救われるでしょうか。

救われるのですね。人間的には納得いかないことですが、私たちは自分が人生において積み重ねてきたものによって受け入れていただくわけではありません。

絶対不合格なのにイエス様の名前でパスさせていただくのであり、無罪と宣言され、神の子どもとしてあたたかい家に迎え入れられるのです。



だからといって、悪いことをし続けても大丈夫ですよと、お伝えしたいわけではありません。

そうではなくて、「良い子でいなければ・・」という重圧でいつも苦しんでいる必要はないのですよと、お伝えしたいと思います。

神様は「良い子になりなさい!!」と言っておられるわけではありません。

そうではなく、「わたしの子どもであり続けなさい」と言っていてくださるのです。「わたしから離れるな」と。この違いは大切です。



先の日曜日に与えられた御言葉も、そういう理解のもとに読んでいただけば、また響きが変わってくると思います。

こういう御言葉でした。「わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。(Ⅱペトロ2:20)」

厳しい御言葉です。警告でもあります。しかし、神様が言っておられるのは「良い子でいなさい!!」ではありません。

「愛する子よ、わたしから離れないようにしていなさい」と、激しい逆風の中で、抱きしめていてくださるのです。



共に祈りましょう。

主よ、あなたに背く世にあって、義の道をつらぬくのは本当に難しいです。ダメな私をゆるしてください。でも、あなたの子どもとしていただいたから、私なりに精一杯、今日も戦ってこようと思います。主よ、わが父よ、私を離さずに守っていてください。
2017. 09. 12  
勝田台教会の礼拝では、ペトロの手紙第2を少しずつ読み進めていますが、先週今週と「偽教師」の悪行に対する大変厳しい言葉が並んでいます。

「不義を行う者は、不義にふさわしい報いを受けます。彼らは、昼間から享楽にふけるのを楽しみにしています。・・・・その目は絶えず姦通の相手を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。(Ⅱペトロ2:13-14)」



聖書においては、やさしい言葉ばかりでなく、このようにして、心を突き刺すような激しい裁きの言葉も記されています。

覚えていただきたいのは、こういう言葉はいつも、「偽教師」などの、人を惑わす者に対するものであるということです。

神は、命の道を歩もうとする者たちを、必死で守ろうとされます。子犬を守ろうと牙を抜く母犬のように・・。

そうであればこそ、そこから迷い出させようとする誘惑者に対しては、容赦なく糾弾されるのです。

(ちなみに、サタンという語も、原意は「惑わす者、道を外れさせる者」でしたね。)



もちろんこのような偽教師への糾弾は、同時に、すべての信者に向けた警告です。誘惑に気をつけなさい、という。

そこまで言われないといい加減な気持ちで考えてしまう私たちの、目を覚まさせるための言葉です。

人はいつも、自分に都合のいいほうへと流れていってしまう弱さがあります。それも「人間の罪性」の一側面です。

「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。(Ⅱテモテ4:3)」

人は、こういう弱さを持っています。

だからこそ、教師=牧師である者は、「折が良くても悪くても」御言葉を正確に伝えなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです・・、と教えられています。

私は、そういう教師でありたい。皆さんにも、私がそういう教師であれるように祈っていただきたいと願います。


共に祈りましょう。

主よ、どうか坂井孝宏牧師が偽教師になってしまうことのないように、誘惑からお守りください。あなたの厳しい言葉をも、私たちに都合の悪い言葉をも、大胆に、しかし真の慰めをもって、励ましをもって取り次ぐことができますように。そして私たちが、そういう牧師の説教を、心から喜び聞くことができますように。わたしたちの耳を開いてください。

プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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