FC2ブログ
2018. 10. 26  
次の日曜日は、宗教改革記念日(10月31日)を覚えて、エフェソ2:1-10を分かち合います。

この箇所は、「ただ恩恵のみによって人は救われる」ということが、最も明確に示されている聖句のひとつです。

「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(エフェソ2:8)」


神の賜物、すなわちまったく無償のプレゼントです。

そのプレゼントは、具体的には、独り子であるイエス・キリストを私たちに与えてくださる、というかたちで示されました。

面白いのですが、エフェソの信徒への手紙というのは、「キリスト」という語がやたらたくさん用いられます。

気になったので調べてみますと、新約聖書全体では513回。さすがに「キリスト」教というだけあって多いですね。

その中で、エフェソ書では61回用いられます。これは一番ではありません。

一番はローマ書の73回。でもそれに次ぐ2位です。

ローマ書は16章あるのに対して、エフェソ書は6章しかないことを考えますと、どれだけ凝縮して「キリスト、キリスト」と詰め込まれているかが分かります。


キリストをくださったこと、そのことに、神の無限の愛があらわされています。

キリストと共に生きること、それこそが、新しい命であり、人間本来の尊厳が輝きだす道です。

エフェソ3:14-21にある、パウロの祈りに導かれて、私も、私たちの群れのために祈ります。


「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。

御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、

信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。

また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、

人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、

教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」
スポンサーサイト



2018. 01. 12  
「神の国」とは、イエス・キリストが王様として君臨する王国です。

そして、今この地上世界において、その「神の国」の国民に、どこに行けば出会えるかといえば、それは何と言っても「教会」です。

「教会」は、地上における「神の国」の中心的顕現です。



昨日、キリストは「すべての支配、権威、勢力、主権の上に」置かれた「まことの王様」であると、エフェソ書の御言葉から確認しました。

その御言葉の続きには、こう書かれています。

「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(エフェソ1:23)」


イエス・キリストという、「すべてにおいてすべてを満たしている方」が、特別な思いをもって、どっかり腰をすえて「満ちておられる場」は、「教会」なのだと言われています。

「教会」に行けば、この偉大な王様に確実にお会いできる。そういう場なのです。

「教会」こそ、イエス様の統治にしたがって、愛と義と平和を追い求める「家来・しもべ」たちの群れであるはずです。


今日は午前中に、H兄の長老任職準備会が持たれます。次の主日には任職試問も予定されています。

今この地上の教会にあって、イエス様の統治は、忠実な「長老たち(牧師も含む)」の会議を通して、「教会」にもたらされます。

愛と義と平和を追い求める「教会」を建て上げていくようにと、「長老たち」は神から選ばれ、また、その召しに応えようと懸命に努めておられます。

彼らのために、ふさわしい尊敬と、「教会」全体で一致団結しての祈りが必要です。



共に祈りましょう。

主よ、今日もキリストの家来である私たちに、命を満たしてくださって、遣わされるその場その場で、地の塩・世の光として用いてください。神の国にふさわしくない者ですが、どうか根深い罪をゆるしてくださって、ふさわしくつくりかえてください。

また、今日も長老お一人お一人の献身を励ましてください。それぞれの忠実な奉仕を導いてくださって、あなたの喜びに仕えることができますように。
2018. 01. 11  
「神の国」はキリストを王様とする、神の愛と恵みと正義に満たされた王国であると確認してきました。

このことをもっと深く理解するためのコツは、「王様をいただく」ということの意味を考えることです。

少しふざけた響きに感じるかもしれませんが、「殿様」でもかまいません。

あるいはもっと身近に、「社長、校長、会長・・・」という、リーダーについて考えて下さい。


そういうリーダーが、愚かで貧弱な人格であったら・・・。古今東西、そういうケースには事欠きません。

私たちには、よい「王様」が必要です。

自分には王などいらない、誰の家来にもならない、なりたくないという方もいらっしゃるでしょう。

でも、そういう方は、自分自身を自分の「王様」としておられるのです。

だれもが、「王様」なしには生きられないのです。だから、よい「王様」を必要としています。


覚えていてください。「福音=良い知らせ」とは、もともと「神が王となられた」というものです。

イザヤ52:7-10をお読みください。山々を急いで行き巡って使者が宣べ伝えたのは、「あなたの神は王となられた」という「良き知らせ」でした。

そして神は、イエス・キリストという「まことの、よい王様」をわたしたちに下さいました。

エフェソ1:20-21にこうあります。「神は、・・・キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」

私たちは、この「王様」にこそ従うべきです。

逆に言えば、どんな権力者であれ、キリストに背く悪い者には、抵抗してよいのです。

「神の国」に生きるというのは、そういうことでもあります。キリストという「よい王様」に従うということです。


共に祈りましょう。

主よ、イエス・キリストという「よい王様」に従う、「よい世界」が実現しますように。まず私たちの内に、実現しますように。まず私たちの内に、イエス様に忠実に従う心を備えてくださいますように。愛をください。悪と戦う勇気をください。

2016. 09. 16  
※ 明日の更新はお休みいたします。
****************

「聖なる者になりなさい」というのは、慈父から私たちに対する、心のこもった期待です。

私たちは、「聖なる家族」の一員として取り分けていただいた、聖なる神の子です。

だからこそ、そのように生きる様にと期待されているのです。


「聖なる者」に期待される新しい生き方は、エフェソ書4-6章などからよく学ぶことができます。

今日はエフェソ4:29-5:1の御言葉を、一日の道しるべにさせていただきましょう。( )は私の補足です。


「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

(あなたの中で生きておられる)神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して(救いを)保証されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。

互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。

あなたがたは神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい。」


共に祈りましょう。

慈しみ深い、聖なる、わが父よ。あなたがそばにいてくださるだけで、私の魂は安らぎます。あなたのように、大きく、やさしく、正しく、強く、この世とは区別された歩みをすることができますように。
2016. 09. 15  
聖書の言葉遣いにおいて、「聖なる」とは、元来は「区別された」ということです。

そして「聖なる方」は、神様だけです。私たちは誰一人、「聖なる者」にはなれません。

しかし、聖なる神様が、私たちのことを選んで取り分けてくださって、この罪の世界から「区別された」特別な関係に入れてくださいます。

これが「選ばれる、召し出される」ということ、また「救われる」ということです。

そして、その特別な関係とは、「父と子の関係」です。

特別に区別された「聖なる家族」の一員として、迎えられるのです。


以下に記すエフェソ1:4-5を読むと、「聖なる者=神の子」として私たちを取り分けてくださった、神様の永遠のご計画を知ることができます。

「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」

「あなたがたは聖なる者になりなさい」との神からの期待は、この神の、父としての永遠の愛情と関心とに基礎づけられているのです。


共に祈りましょう。

主よ、父よ、わが魂はあなたの見守りに励まされ、あなたの頼もしさにあこがれます。父よ、あなたと共に歩む、この一日に喜びと平安が満たされますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR