FC2ブログ
2015. 05. 23  
明日はペンテコステ(聖霊降臨記念日)です。ぜひ礼拝にお集いください。聖霊の与えてくださる喜びを、一人でも多くの方と分かち合いたいのです。

聖霊は、御父と御子キリストより出ずる霊であり、私たちの内に住んでくださって、永遠に共にいてくださる方です。

この方が、私たちの内に、すべてのよいことをもたらしてくださいます。

信仰を与え、希望を与え、愛、喜び、平安を与えてくださいます。

やさしく、強く、スケールの大きく、愛の深い人間へと作り変えてくださいます。


いくつかの聖句を分かち合って、共に祈りましょう。

「(ローマ 5:5) 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

「(Ⅰコリント 6:19) 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。

「(テトス3:6-7) 神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです

「(Ⅱコリント 13:13) 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」

主よ、この私にも聖霊が与えられていることを感謝します。どうぞ今日の一日、静まりと祈りの時間を備えてくださって、内なる聖霊との豊かな交流を与えてください。入院している者にも、聖霊の慰めと平安がありますように。
スポンサーサイト



2014. 10. 17  
洗礼の意義について、色んな角度からの説明がなされます。

さまざまな教理問答を見比べて、広く深い理解をされるのが望ましいです。

私は、ジュネーブ教会信仰問答の問324の答を、特に大切にしています。

「洗礼の意義には二つの部分があります。

すなわち主は洗礼において、われわれの罪の赦しを、

次にわれわれの新生もしくは霊的更新を、われわれに差し出されるのです。」


わたしたちの魂は、キリストの血と霊によって洗われ、罪が赦されます。

洗礼の水は、そんな「罪の洗い」の確かさを保証するしるしです。

そのようにして、きれいに洗っていただいて、新しい自分が始まります。

つまり、聖霊による「新生もしくは霊的更新」です。

以下のテトス3:5-7にあるように、わたしには聖霊が豊かに注がれ、洗われ、「新たに造りかえて」いただいたと、受洗者は確信してよいのです。

「神は・・ご自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」


共に祈りましょう。

主よ、洗礼を控える兄弟に、上よりの豊かな祝福と備えを与えてください。私たちすべての者が、今この時に、人を救いに導かれるあなたの大いなる愛に目覚め、思いを新たにすることができますように。
2014. 07. 16  
日曜学校の子どもたちが取り組んでいる、初歩教理問答の第三問にこうあります。

「神様はなぜ、あなたやすべてのものを、造られましたか。」答「神様ご自身のみ栄えのためです。」

ここでいう「み栄え=栄光」とはどういうことだろう?との問いかけをいただきました。

確かに、神様のご栄光と簡単に言いますが、考えてみると難しいことですね。

ただ、聖書が私たちに教えていることの中心は、「神の栄光とは何か?」という知識よりも、「どうすれば神の栄光をあらわすことができるか?」という実践であるようです。

初歩教理問答でも、第四問でこのように続きます。

「どうすれば神様のみ栄えを、あらわすことができますか。」答「神様を愛し、神様のご命令を守ることです。」

私たちが、神様を「愛し=大切に重んじて」、その「命令=教え・道」に忠実に生きるなら、この世界に、神の愛と正義と希望の光が広がっていきます。

その反対は、「自分を愛し、自分のために、自分のおきてにしたがって生きること」になります。

そんなことを考えながら、昨日、北野武監督の「アウトレイジビヨンド」を観ました。

だましだまされ、殺し殺されのヤクザの世界を描いた、全員が汚く惨めな悪者の映画です。

自分のために生きるということを突き詰めると、結局こうなるのかもしれません。

今週、もうしばらくこのことを考えてみましょう。

「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:11-13)」


共に祈りましょう。

主よ、わたしたち自身の栄光のためにではなく、あなたの栄光のために生きるということのすばらしさを教えてください。そして、そのように生きることができるように、今日も助けてください。
2013. 10. 22  
テトス2:14にこういう御言葉があります。

「キリストがわたしたちのためにご自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるためだったのです。」

ポイントは「ご自分のもの」としてくださったということです。

わたしたちを、「ご自分のもの」として手に入れるために、イエス様はご自分の命という高価な犠牲を払ってくださった。

何の値打ちのない者が、それほどに大切にされています。

そしてキリストは、そのご自分の宝を、「良い行いに熱心な民」として、さらにピカピカに磨こうとしていてくださいます。


このテトス2:14は、ハイデルベルク信仰問答第1問の基礎になっている聖句の一つです。

「問:生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」

「答:わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。(後略)」

昨日、ハイデルベルク信仰問答450周年記念の研究会に出席し、改めて、この言葉の持つ確かさに胸を打たれました。

「キリストのもの」とされて生きる確かさを、ぜひ覚えていただきたいのです。



共に祈りましょう。

主よ、わたしの生きる意味を、存在の価値を、あなたが見出してくださっていることに感謝します。あなたの宝物としていただいた私が、今日もふさわしく輝いて生きることができますように、力をお与えください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR