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2015. 04. 10  
使徒信条「聖徒の交わりを信じる」を、もう一回考えます。


「・・・パウロと、兄弟ソステネから、 コリントにある神の教会へ、すなわち・・・キリスト・イエスによって・・、召されて『聖なる者とされた人々』へ。

イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。

・・・・・神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。(Ⅰコリント1:1,2&9,10)」


私たち一人一人は、キリストとの「交わり」に招かれ、キリストの持つ宝をすべて共有する「聖なる者(聖徒)」とされたと、昨日確認しました。

そして、そういう「聖なる者とされた人々」相互の、豊かな「交わり(交流)」の喜びもまた、「聖徒の交わり」です。


同じものを共有する(コイノネオー)ことが、交わり(コイノニア)です。

私たちは、復活の主の命を共有します。神の愛を共有し、この愛に基づいて、互いに愛し合い、仕えあい、祈りあいます。

同じ心、同じ思い、同じキリストの言葉を共有し、同じ人生の目的を共有する・・。

そういう「交わり」の豊かさを、追い求めていきたいものです。


共に祈りましょう。

主よ、一人一人、個性を与えられて創造された私たちが、一人の主のもとで、同じ方向を向いて、共に歩むことができますことを感謝します。今日も、私の愛する兄弟姉妹と、聖徒の交わりを深めることができますように。
2015. 04. 09  
使徒信条「聖徒の交わりを信じる」を学びましょう。

「聖徒の交わり」とは第一に、信じる「聖徒」に与えられる、主イエス・キリストとの深い「交わり=霊的交流」の喜びを言います。

「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。(Ⅰコリント1:9)」

このようにして、主イエスとの「交わり」に入れられた者は、主が持っておられる宝も賜物も、すべてを主と共有することができます。

私は大学の学生になったことで、図書館も使えますし、研究室も使いたい放題です。

私たちはみんな、イエス様との「交わり」へと招かれたことで、今日も神に祈りたい放題です。

主イエスが受けておられる神の愛と祝福を、何の遠慮もなく、自分のものとさせていただくのです。

「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。(ローマ8:32)」

そうです、主との「交わり」を与えられた「聖徒」たちは、すべてが与えられるとの堂々たる確信をもって、今日も力強く歩むのです。


共に祈りましょう。

主イエスよ、今日も私たちと強く結びついていてくださって、あらゆる不安や恐れから、災い、孤独、空しさから、私たちをお守りください。
2015. 04. 08  
使徒信条「聖なる公同の教会を信じる」、今日は「公同」について考えましょう。

「公同の」とは、「普遍的な」ということでもあります。

教会は、「きのうも今日も、また永遠に変わることがない(ヘブライ13:8)」イエス・キリストのもとで、過去・現在・未来と信仰を同じくする一つの教会です。

また教会は、色んな教派に分かれ、全世界に散らばっていますが、一人の同じ主、イエス・キリストのもとにつながる一つの教会です。

「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。(エフェソ4:5-6)」


昨日、東京基督教大学(TCU)の入学式に参列しましたが、まさに教会の「公同性」について教えられました。

TCUは、福音主義を同じくするたくさんの教派から、教員も学生も送られてきている超教派の学校です。

また、四分の一が留学生というように、世界中のクリスチャンが集まっています。

「日本キリスト改革派」の狭い世界しか知らない私にとっては、驚きや戸惑いを覚えることも多いでしょうが、違いを乗り越える愛を学び、教会の「公同性」を体現したいと願っています。

「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられていくのです。(エフェソ4:16)」


共に祈りましょう。

教会のかしらなる主よ、今日もあなたの手として足として、それぞれの教派・教会を用いて、神の国を建て上げてください。世界中の教会で、主の福音が正しく伝えられますように。
2015. 04. 07  
使徒信条の学び、あともう少しです。「聖なる公同の教会、聖徒のまじわり」を信じるを考えましょう。

「聖なる教会」と聞くと、純潔で、完全無欠な聖人の集まりのように思います。

しかし、実際の教会は、赦される必要のある罪人ばかりの、病んだ集団です。

でも、そのような教会が、「聖なる教会」と呼ばれるのは、「聖霊」が宿っていてくださるからです。

聖霊が、私たち一人一人と教会全体を必ず「聖化」し、ふさわしく整えてくださいます。

そんな聖霊のお働きに信頼し、「聖なる教会」たるべく、たゆまぬ努力を続けることへと私たちは召されています。

その召しに答えようとするかぎり、教会は、この罪の世にあって、存在の輝きを持ち続けるのです。


「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。(Ⅰコリント3:16)」

「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエスご自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。(エフェソ2:19-22)」


共に祈りましょう。

教会を生きて導いてくださる聖霊よ。私たちをふさわしく整えてくださって、赦しと愛と、賛美と感謝と、熱情と敬虔と、微笑みと喜びに満ちた教会にしてください。
2015. 03. 27  
使徒信条「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」に進みましょう。

「教会を信じる」というのは、妙な感じです。

これは、神様に信頼するように、教会に信頼する、人生をゆだねるということではありません。

「私たちには教会が無くてはならないものであり、教会を建て上げていく道において、私たちの命は豊かにされる」と、信じることでしょう。

教会とは、「神が御子の血によってご自分のものとなさった(使徒20:28)」と言われるほどに、神にとってかけがえのない存在です。

このようにも言われます。

「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(エフェソ1:23)」

このような「教会」に連なり、その歩みに参与することで、私たちは、イエス・キリストの命につながります。


共に祈りましょう。

教会のかしらなる主イエスよ、あなたに連なる私たち一人一人を、今日もあなたの命で満たしてください。勝田台教会を、あなたの手として足として豊かに用いてください。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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