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2014. 11. 12  
第九戒「隣人について偽証してはならない」に関連するのは、このような聖句です。

「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。(エフェソ4:25)」

「あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。(ゼカリヤ8:16)」


互いに真実を語り合う・・・、言うのは簡単ですが、具体的にはどうすればいいのでしょうか。

一つのヒントとして、レビ19:16-18を読みたいと思います。

「民の間で中傷をしたり、隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。

心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。

復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」

互いに真実を語り合うとは、ここに言われているように、場合によっては相手の罪を大胆に、率直に戒めることを含むのだと思います。

それは、憎しみや恨みを超えて、相手に対して、どこまでも責任ある関わりを持ちたいと願う、愛の業に他ならないのです。

本当に難しいことだと、身につまされます。


共に祈りましょう。

真実の言なる主イエスよ、あなたによって罪から救われた私たちが、互いに深く愛し合い、真実を語り合い、魂を高め合うことができますように。
2014. 11. 11  
「隣人に関して偽証してはならない(出エジプト20:16)」という第九戒を学びましょう。

第九戒は、うそをついたり、中傷、陰口をして人をおとしめてはいけない、ということです。

そして、そういう噂話だけで、「あの人はそういう人らしい」と、よく知りもしないで裁いてはいけないということです。

人の噂というのは、本当に恐ろしいものです。

一つの陰口から、雪だるまのように不信感が広がって、教会がバラバラになったというケースなども、山ほどあります。


それにしても、なぜ私たちは、陰口や噂話から離れられないのでしょう・・。

残念ながら、陰口や噂話を垂れ流す人の多くは、その自覚を持っていません。

傷つけられたとの被害者意識、自分こそが正しいとの思い込み・・・

あるいは、相手に対するねたみ、引きずり落としたいとの醜い感情に、振り回されている時もあります。

それらはいずれも、根本的には、神との関係の歪みから生じます。

神の御前で自分をかえりみて、醜い心をありのままに認めること。

そして、そんな自分が、なお愛されていることを思い出すことが必要です。


共に祈りましょう。

主よ、今週あなたが用意してくださる、様々な人との出会いに期待します。互いに真実な言葉と態度をもって、接しあうことができますように、聖霊の助けを与えてください。
2014. 11. 07  
第八戒「盗んではならない」を覚えながら、箴言をめくっていましたら、こういう言葉が目に留まりました。

今の時代を、鋭く言い表している言葉のように、私には思えます。

箴言30:11-14です。

「父を呪い、母を祝福しない世代

自分を清いものとみなし

自分の汚物を洗い落とさぬ世代

目つきは高慢で、まなざしのおごった世代

歯は剣、牙は刃物の世代

それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪い

乏しい人を食らい尽くして命を奪う。」


こういう言葉に触れて、「まったくあいつらのことを言っている」と、それぞれが、それぞれの立場で考えてしまう。そんな言葉です。

しかし、よくよく自分をかえりみてみたいのです。

自分の富だけを求める強欲の果てに、私たちはこんな恥知らずなならず者になってはいないか・・・、今、この「世代」に生きるすべての人が問われているように思います。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの世代の罪をお赦しください。国と国が、あるいは同じ国に住む者同士が、自分を清いものとみなし、相手を強欲だ、盗人だとののしっています。しかし、私たちすべてに、あなたは怒っておられるでしょう。

どうか主よ、この履き違えた世代を赦し、悔い改めさせ、新しく作りなおしてください。
2014. 11. 06  
第八戒「盗んではならない」とは、より本質的に、「自分の富ばかりを求める強欲」の戒めだと確認しました。

富や財産にまつわる言葉は、箴言の中にたくさんあります。

特に28章には多いように思いますが、ページを辿っているうちに、この御言葉が目に留まりました。

「人を偏り見るのはよくない。だれでも一片のパンのために罪を犯しうる。(箴言28:21)」

ただちに思い出すのは、「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンです。

姉の夫が急死し、彼女とその7人の子を養わねばならなかったジャン・バルジャンは、空腹で泣き叫ぶ子どもたちのために、一本のパンを盗み出した罪で投獄されました。

しかし子どものことが心配なジャンは、脱獄を繰り返し、結果19年もの間監獄につながれることとなり、憎しみの鬼となってしまいました。


富んでいる者は、貧している者の窮状を覚えず、人を偏り見て、蔑みます。

しかし私たちも、貧すれば窮する者でありましょう。

今、窮していないのは、ただ主の憐れみによります。感謝ばかりです。

そういう憐れみにあずかっている者として、今、窮している方が、盗みの罪を犯すことがないように、あなたの持ち物をあげなさいと、主は命じておられるのでしょう。


共に祈りましょう。

主よ、今日も当たり前のように、おいしいごはんを食べることができるという、一部の人間だけにゆるされた特別な恵みを、改めて感謝します。

そのような恵みにあずからぬ、あまりにも多くの人々に、あなたの憐れみがありますように。私たちを用いてくださいますように。
2014. 11. 05  
第八戒「盗んではならない(出エジプト20:15)」について考えていきましょう。

ウエウストミンスターの大教理問答は、非常に詳細にこの戒めを解説してくれています。

それによれば、窃盗や略奪、詐欺は言うに及ばず、「不正な土地取得とそのための住民追放」ですとか、「価格引き上げのための必需品買占め」などと具体的に挙げられます。

他にも、怠慢、放蕩、浪費的なとばく、無駄遣い・・といったことも挙げられています。


要点としては、「自分の富ばかりを求める強欲」が、罪であると指摘されているのです。

例えば、こんな話を思い出します。

これから先、世界は水を求めて争いあうことになるだろうと言われます。

そうなって苦しむのは貧しい人たちです。金持ちは、水を買うことができます。

そのニーズをビジネスチャンスにして儲ける人たちもいます。

世界のあるところでは、村人たちがそれまで使っていた水源をもう使えなくなりました。

なぜか。大きな会社が権利を買ってしまったからです。

私たちがミネラルウォーターとして飲んでいるのは、そんな水かもしれません。


共に祈りましょう。

主よ、隣人から財産を奪っていることに、まるで気付かないでいる私たちの罪を、あるいは気付きながらも黙認してしまっている私たちの罪を赦し、悔い改めさせてください。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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