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2014. 11. 21  
第十戒「なんじ、むさぼることなかれ」を考えてきました。

「少しでも多くのものを自分のものにしよう」と願う心は自然の道理のように思えます。

しかしそのような世の常識に、流されるがままにのみこまれていくのか、神の道にとどまるのかが問われています。


いくつかの鍵となる聖句を分かち合いましょう。

「(マタイ6:24)だれも、二人の主人に仕えることはできない。・・・あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

「(箴 28:25)貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。」

「(Ⅰテモテ6:8-10)食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。

金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。

その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。

金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」

「(ヘブライ13:5)金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。

神ご自身、『わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました。」


共に祈りましょう。

すべてを与えてくださる愛なる主よ、今日私たちが、あなたから注がれる様々な恵みに目が開かれ、自分自身に深く満足することができるように、魂を導いてください。
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2014. 11. 20  
第十戒「なんじ、むさぼることなかれ」を考えています。

この戒めは、隣人の持っているものをうらやんで「欲しがる」ことの問題を教えてくれます。

隣の家の芝生は青いと言いますが、「あの人ばかりいい思いして・・」とか、「わたしは何も持っていない・・」という思いは、悪魔に利用されます。

「ねたみ」の問題を考えることも大切です。

新約聖書では、「ねたみ」から離れなさいと、何度も繰り返し語られています。

ローマ12:15には「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とありますが、

泣く人と共に泣くことはできても、喜ぶ人と共に喜ぶのは至難の業です。

自分が持っていない幸福を手に入れた人のことを、共に喜べない・・嫉妬してしまう・・。

でも、そういう「ねたみ、嫉妬」から、悪いことが次々と始まります。

ヤコブ 3:16「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。」

どうしたらいいのでしょうね・・。「ねたみ」から離れられない自分が、どんどん惨めになります。

でも、そうやっていじいじして終わらずに、そんな私の罪深い惨めさをも覆ってくださる、神の愛へと目を上げることから、一日を始めましょう。


共に祈りましょう。

主よ、こんな罪深い私をも愛してくださることを、本当にありがたいと思います。あなたから愛されている自分自身を、いつも喜ぶことができますように。そして、「隣人の幸せを願う」愛をも与えてくださいますように。
2014. 11. 19  
十戒の学びも、いよいよ最後の第十戒になりました。

「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。(出エジプト20:17)」

この第十戒は、「人のもの欲しがる」ことの罪、その思いに潜む闇を、教えてくれます。

神さまは、私たちに 必要なものを与えてくださいます。

しかし、人は、少しでも多くのものを、自分のものにしようと欲しがります。

この「むさぼりの心」から、争いも生まれます。盗みも、嘘も生まれます。

だから、その思いから離れなさいと、神様は語りかけておられます。

神様は、私たちに、必要なものを必ずすべて与えてくださいます。

そして、私たちの心を、人の幸せを願うように造り変えてくださいます。


共に祈りましょう。

慈しみ深い父なる神よ、今日もあなたが与えてくださる恵みに期待します。

今日一日、あなたに与えられた私だけの人生に満足し、感謝し、人に与えることを喜びとして生きる者とならせてください。
2014. 11. 14  
第九戒「隣人について偽証してはならない」との戒めを考えています。

隣人の名声を守るということについて、考えさせられたエピソードを紹介します。

在日朝鮮人のある牧師が、こう言っていたそうです。

昨今のヘイトスピーチについて、言いたいことは山ほどある。

しかし、私たちのことをちゃんと知って理解してくれる人たちがいれば、それでいい。

それで、生きていける・・。

私たちは、今、不当に名声を傷つけられている人たちの痛みについて、もっとアンテナを広げたいと思います。

ヨブは、私の正しさを認めてくれと、友に訴えました。

「だが今は、どうかわたしに顔を向けてくれ。・・考え直してくれ、わたしの正しさが懸かっているのだ。(ヨブ6:29)」

そんな風に訴えておられる方が、私たちの周りにもいるかもしれません。


共に祈りましょう。

神よ、私たちはあまりにも鈍感で、名声を傷つけられている人たちの痛みについて無関心です。

様々な背景を持った方々を、キリストの愛をもって丁寧に理解し、互いの尊厳を守り合うことができるようにしてください。
2014. 11. 13  
第九戒「隣人について偽証してはならない」は、より積極的には、隣人の立場を守ることをも要求しています。

ウエストミンスター大教理144問によると、こんな風に言われます。

「・・・隣人を心広く尊敬すること、彼らの名声を愛し尊ぶこと、彼らの欠点を悲しみ包むこと・・。」

「悲しみ包むこと」というのがいいですね。

これは、「愛は多くの罪を覆う(Ⅰペトロ4:8、箴言17:9)」に由来する表現です。

さらにこんな風にも言われます。

「彼らの才能や長所を心から認めること、・・・彼らに関する好評を受け入れるに早く、悪評を認容するのに遅いこと・・。」

うーーん、とうならされる思いです。

悪い噂はすぐに受け入れ、広めてしまい、良い噂は「へー、そうなの」と聞き流してしまう・・。下手をすると、「ええ?信じられないな、だってあの人本当はこんな人だよ・・」だなんて、ひっくり返してしまう・・。

そんなことをしてしまっている自分に気付かされました。

詩篇15編を読みましょう。5節だけの短い詩篇です。

「・・心には真実な言葉があり、舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人をあざけらない人。・・これらのことを守る人は、とこしえに揺らぐことがないでしょう。」


共に祈りましょう。

私たちから災いを遠ざけ、幸いをもたらしてくださった父なる神様。私たちをあざけらず、大切に扱い、真実な言葉で向き合ってくださったイエス様・・、あなたの恵みと慈しみにあずかる私たちが、隣人の立場を心から尊重することができますように、聖霊の導きをお与えください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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