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2019. 12. 05  
次の主日は、マタイ3:1-12の洗礼者ヨハネについての記事を分かち合い、主イエスをお迎えする備えをしたいと思います。

洗礼者ヨハネは、イエス様の宣教活動に先んじて現れて、「悔い改めよ=あなたの歩みの方向転換をしなさい」と叫びました。

なぜなら「天の国は近づいた」、これは、神がもう来ておられる、決定的な救いの時がもう来ている!!と、言い換えてもいい。

だから、滅びへと向かって歩んできたあなたの人生を方向転換し、永遠の命への道を歩み始めなさい、と叫んでいるのです。


3節には、イザヤの預言が引用されています。「荒れ野で叫ぶ者の声がする・・・」この預言が成就しているのだ、と。

これは元々、イザヤ40:3-5の預言であり、バビロン捕囚の苦しみを味わった人々に対する、慰めの到来を告げる言葉として与えられたものでした。

「慰めよ、わたしの民を慰めよ・・・苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪の全てに倍する報いを、主の御手から受けた、と。(イザヤ40:1-2)」

ユダヤの人々は、おのれの罪と過ちのゆえに、国を滅ぼし、家を失い、捕囚の苦悩を味わいました。

でも、もう十分だと主は言われるのです。もう帰ってこい。わたしのもとで慰めを与えると、言われるのです。


「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。(イザヤ40:3-5)」

これは不思議な預言です。山や丘や、険しい道や狭い道に対する呼びかけです。

それは、私たちの心と言ってもいいでしょう。渇ききった荒れ野のような心です。険しく、狭い、心です。

そういう心の荒れ野を、今、静まって、おだやかにして、主イエスをお迎えするための道を整えたいのです。


共に祈りましょう。

主よ、慌ただしく過ぎていく12月の日々です。体の疲れもたまっていきます。主よ、平らにしてください。この心の激しい起伏を、平らにしてくださって、あなたの慰めに満たしてください。
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2019. 11. 29  
次主日はイザヤ52:1-12より分かち合い、アドベントを迎えたいと思います。

この預言は、メシア預言として取り上げられることは少ないですが、読めば読むほどイエス・キリストが立ち上がってきます。

メシア預言はどれかと数えるより、むしろ、イザヤ書の全体がイエス様を指し示している。

もっと根本的には、旧約聖書の全体がイエス様を指し示しています。

聖書に慣れてくると、どこを読んでいても、ああ、イエス様のことを言っている・・と感じるようになってきます。

イザヤ52章では「神が王となられる」「主がシオンに帰られる」というところが、特にそうです。

全世界に君臨するまことの王として生まれてきてくださったイエスの、エルサレムへの到来。それは、福音書の示すメッセージです。

イザヤ40:10-11にはこうあります。

「見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。・・主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」

このような王です。よき羊飼いとしての王。イエスです。

他にも、皆さんに確認しておいていただきたい箇所がいくつもあります。

たとえば、イザヤ51:4-5と、ヨハネ福音書のプロローグを比較してみてください。

また、イザヤ51:22にある「憤りの杯」ということを考えながら、ルカ22:39からのゲツセマネの祈りを読んでください。

そして、イザヤ52章の後には、53章の「苦難のしもべの歌」が来るということの意味を、考えておいてください。


共に祈りましょう。

主よ、あわただしく過ぎていく日々の中、今週も早くも金曜日です。それぞれの働き、学び、生活を、キリストの恵みの支配のもとに導いてください。そして御言葉によって、それぞれの魂をキリストへと結びつけてください。

2019. 11. 28  
次主日よりアドベント(待降節)が始まります。

イザヤ52:1-12を分かち合い、この地に再び来臨し、永遠の平和の支配をもたらしてくださる、王の王なるイエスを待ち望む思いを新たにしたいと願っています。

イザヤ52:6にはこうあります。「それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るであろう。それゆえその日には、わたしが神であることを、『見よ、ここにいる』と言う者であることを知るようになる。」

これは、バビロンに捕囚されていたユダヤの民が解放される時に、まさにその時に、「確かに神は生きて、ここにおられる。我らと共におられる」と、民が賛美の声をあげるようになるという約束です。

主なる神はそのようにして、バビロン人などの諸国民の間ですっかり軽んじられてしまった、ご自分の名誉を回復されます。


今、私たちの時代にあっても、大いなる神の御名がすっかり侮られ、神の民が嘆きと苦悩のうちにあるのは同じかもしれません。

ちょうど昨日、詩編74篇を読んでいました。

それは、「神よ、立ち上がって下さい!!」と切実に訴えている叫びの声です。

「どうか・・貧しい人、乏しい人が、御名を賛美することができますように。神よ、立ち上がり、ご自分のために争ってください。神を知らぬ者が、絶えずあなたを嘲っているのを、御心に留めてください。(詩編74:21-22)」

こういう詩編を黙想しながら、まず中国や北朝鮮でのキリスト教会の迫害を思い浮かべました。

それから、香港での混乱をはじめ、世界中で起こっている「底が抜けてしまったような」混沌の現実を思いました。

神よ、我が王よ、立ち上がってください。

あなたの大いなる御腕の力をあらわに示し、地に平和をもたらしてください。

主イエスは、そういう祈りを背負って、かつて来臨してくださり、やがて再び来られるのです。


共に祈りましょう。

主よ、世界を混沌からお救い下さい。すべての者に、新しい心を与えてください。あなたを信じるあなたの民が、どんな時も信仰と希望と愛に生きることができますように。
2019. 11. 27  
次の主日から、いよいよ主を待ち望むアドベントが始まります。

メシアイエスが生まれて来てくださったことの喜びを告げる御言葉、ひとつひとつ丁寧に心に蓄えながら、階段を上っていくような日々です。

かつて地上に生れて来てくださった主が、終わりの時に再び来てくださる時を待ち望む、その希望を新たにする時でもあります。

次主日は、イザヤ52:1-12を分かち合います。

この箇所は、イザヤ書の40-66章全体における素晴らしい二大テーマのクライマックスと言える文章です。

それは、主なる神がシオン(=エルサレム)に帰ってきて「王になられる」こと。

そして、イスラエルがバビロン捕囚の縄目から解放され、約束の地に帰還することです。

この二つの素晴らしい約束を告げる「良い知らせ」、これを「福音」と言います。

「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。(イザヤ52:7)」

「福音」とは、元来はここで言われているようなグッドニュース。

まことの王である神御自身が君臨し、約束の地(プロミス・ランド)において私たちを、平和のうちに安らわせてくださる、ということです。

神の民は、その時の到来をずっと待ち望んできたのです。


共に祈りましょう。

主よ、我が王よ、あなたに信頼します。今日も私たちに恵みと平安を与えてください。王の王よ、地上の為政者たちの傲慢をゆるさず、地に平和をもたらしてください。
2019. 10. 11  
昨日から「神の義」について考えています。ヒントとなるのは、旧約聖書イザヤ51:4-5です。

「わたしの民よ、心してわたしに聞け。わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。

教えはわたしのもとから出る。わたしは瞬く間に、わたしの裁きをすべての人の光として輝かす。

わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ、わたしの腕は諸国の民を裁く。

島々はわたしに望みをおき、わたしの腕を待ち望む。」


ここで「“わたしの正義”は近く」とあるのが、ローマ1:17の「神の義」というのと同じ言葉遣いです。

ここでは「救い」という言葉や、神がさしのべられる救いの「腕」という言葉と、並行的・同義的に使われています。

「裁き」という言葉もありますが、これは「支配、秩序、取り仕切り」というニュアンスが強いので、イエス様が「神の国が近づいた!!」と言われたのと同じことが言われていると、わたしは考えます。

それらのことを考えあわせますと、このイザヤ書の言葉は、イエス・キリストの到来の預言に他なりません。

「“教え”はわたしのもとから出る」と言われます。

この「教え」は、トーラーという語であり、神の民にとって命よりも大切な「神の御言葉」のことです。

その神の言葉が、人間となってきてくださった方が、イエス・キリストでした(ヨハネ1:1)。

神のもとから出て、私たち罪人に神の御心のすべてを明らかにしてくださった、神の「教え」そのものである方、イエス様。

その方が到来するその時、それが「神の義」が現われ、「救い」が現われ、全世界に神の救いの「腕」が差し伸べられる・・・。

そういう預言なのです。そういう預言が成就したと、新約聖書は伝えているのです。


共に祈りましょう。

主よ、大変に大きな台風が近づいています。しかしこのような災害を、あなたの怒りと呪いとして考える必要のないことを、今や私たちは知っていますから感謝します。あなたはイエス・キリストを与えてくださり、大いなる慈しみを明らかにしてくださいました。ですから、どんな時も、私たちを愛によって導いてくださるあなたの御腕に信頼します。しかし主よ、わたしたちは本当に無力な者です。どうか憐れみ助けてください。
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勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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