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2017. 12. 22  
メシアを待ち望むという信仰を確認しながら、アドベントを過ごしてきました。いよいよ明後日はクリスマス記念礼拝です。

日曜日にはルカ2:1-7から、主イエスがベツレヘムでお生まれになったことの意味を分かち合う予定です。

その前に、そのことを預言している旧約聖書ミカ書5:1を確認しておきましょう。

「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。

お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」

ベツレヘム・・・それは、エルサレム近郊の小さな寒村でした。

そのような場所が、聖書の世界では大切に記憶されています。なぜなら、そこは偉大なダビデ王の故郷だから(サムエル記上17:12)。

そして、そのようなところだからこそ、やがて来るメシアもそこから登場すると、人々は待ち望みました。

「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」と新共同訳は翻訳します。

これは、生まれてくる方が、永遠の神の世界から来られるということを示しています。

あるいは、新改訳2017では、「その出現は昔から、永遠の昔から定まっている」と翻訳します。

いずれにしろ、ベツレヘムにおけるメシアの誕生は、神が永遠のご計画に基づいて実行される、人知を超えた救いのドラマであるということです。


共に祈りましょう。

主よ、永遠の神であるあなたが、人となって生まれてきてくださったこと、その喜びをいよいよ豊かに、私たちのうちに満たしてください。今日も小さな場所で、小さな人生を営むひとりひとりを、永遠の光で照らしてください。
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2017. 12. 21  
おとめマリアに、イエス・キリストの誕生を告げる天使の挨拶は、「喜びなさい!!」に始まります。

新共同訳の翻訳ではそのようになっていません。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」とあります(ルカ1:28)。

「おめでとう」とするのは正しいのですが、本来の意味は、「喜びなさい」という言葉なのです。

イエス様は、わたしたちに「喜び」をもたらすために、生まれてきてくださいました。

イエスに従う者には世で苦難がありますが、「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」と主は言われました(マタイ5:12)。

やがて主は、十字架の死を前にして、弟子たちに言われました。「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶようになる。その喜びをあなたがたから奪い去るものはない。(ヨハネ16:22)」

この約束は、復活された主との再会によって果たされました。だから弟子たちは、人が変わったように、そのあとは喜びに生きました。

この約束は、今や、主の再臨を待つわたしたちにとっても、大切な意味をもっています。


このような「喜び」の到来の時、それは、旧約聖書のゼファニア書3章14-17節の預言の成就なのです。

「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び踊れ。

・・・イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。」


共に祈りましょう。

わたしたちの中におられる王なるイエスよ、今日も喜びを与えてください。今、悲しんでいる者が、あなたによって喜び踊りますように。わが魂よ、主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい!!



2017. 12. 15  
すみません、今日は寝坊してしまいました。

強い指導者を求めて、王政を導入したイスラエルでしたが、最終的には、王は権力におぼれ、国を滅ぼすことになりました。

エゼキエル書34章には、そういう腐敗した王様のことが、「ダメな牧者」にたとえられています。

こういう箇所を読むと、私たちの時代の政治的指導者のこと、あるいはもっと狭く、だらしない私のような教会の牧師のことなど、さまざまに考えさせられることがあります。

みなさんそれぞれで思いめぐらしてみてください。

「・・・災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。・・・お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。

・・・まことに、わたしの群れは、略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣のえじきになろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。

それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。見よ、わたしは牧者たちに立ち向かう。

・・・見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。」


イスラエルは、このようにして神自らが、「よき牧者=王」として君臨してくださるのを待ち望みました。

そして、思い出してください。主イエスが、ザアカイを救ってくださった時の言葉を。

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。(ルカ19:10)」


共に祈りましょう。

主よ、わたしたちは羊の群れ、それぞれの方角に向かって、勝手に歩み、破滅へと向かってしまう愚かな羊たち・・。主よ、よき羊飼いイエス・キリストのもとにとどまらせてください。

2017. 12. 14  
先の衆議院選挙に際して、自民党の小泉進次郎議員がこのように言っていました。

「トランプ、習近平、プーチン、キムジョンウン・・・、こういう世界で、きれいごとだけで通用するはずないでしょう。」

それが、多くの人の思いかもしれません。そして、この乱世を生き延びるためにと、強い指導者を求めます。


古代イスラエルも同じでした。外敵の脅威から国を守るために、私たちにも強い王がほしいと、預言者サムエルに求めました(サムエル記上8章)。

それまでは、イスラエル共同体には、王はいませんでした。

イスラエルは、主なる神への忠誠の上に成り立つ信仰共同体で、神こそが彼らの王・支配者だったからです。

そして王の代わりに、神の意志を取り次ぐ祭司や預言者が、リーダーシップを発揮しました。


そうでありましたから、預言者サムエルは、自分たちの王がほしいとの民の要求を拒みました。

なぜなら、王が権力におぼれ、まわりの国々と同様に独裁的に君臨し、正義と憐れみがないがしろにされることを、洞察していたからです。

そして人々に、王というのは、あなたたちの息子や娘を徴用したり、オリーブ畑や羊を徴収したりする存在だと知らせます。

「こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日、あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主なる神はその日、あなたたちに答えてはくださらない。(サムエル記上8:17)」


しかし、人々は聞く耳をもたず、強い王が必要なのだと言い張ります。そして、イスラエル共同体は王を持つようになります。

その結果は・・・。サムエルの心配したとおりになり、国も滅びました。

その挫折と絶望の中から人々は、神の正義と憐れみに生きるメシア王を待ち望みはじめたのです。


共に祈りましょう。

主よ、きれいごとだけでは生きていけないのでしょうか。確かに私もそう思います。この罪の世界を生き抜く知恵を、私たちは必要としています。しかし主よ、それ以上に私たちは、あなたの正義と憐れみを必要としています。まことの王なるイエス・キリストよ、あなたの王国を来たらせたまえ。
2017. 12. 13  
旧約聖書には、「主人公のいない言葉」と言われている言葉があります。

これは一体だれのことを言っているのか・・・と、旧約の時代においては、よく分からないままになっていた預言のことです。

イザヤ7:14もそのような言葉でした。

「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7:14)」


この預言は、ユダ王国(※南北に分裂したイスラエル王国の南の王朝)の王であるアハズに与えられたものでした。

ここにもまた、アッシリアの大王ティグラト・ピレセルがからんできます。

紀元前733年、アッシリアに対抗する同盟軍にお前も入れと迫って、周辺諸国がアハズ王に攻撃をしかけます。

アハズは、むしろアッシリアと安全保障条約を結ぶことで、そのピンチを逃れます。

しかしその代償として、アッシリアの国家神の崇拝を強要されることになりました。


預言者イザヤは、そのようになることを見越していましたから、その政策に反対していました。

そして、政治の力ばかりに頼らずに、神に信頼して「静かにしていなさい(イザヤ7:4)」とアハズに忠告していました。

でもアハズは、それを聞きませんでした。

イザヤは、神様に祈って「しるし」を求めなさいとも言いました。

しかしアハズは「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」と答えました(イザヤ7:12)。

これは、とても敬虔な畏れ深い人の言葉のように思います。でも、イザヤの鋭い目は、そこに隠されている不信仰を見抜きます。


そして、あなたが求めようとしないのなら、今や神のほうから、ご自身の「しるし」を与えてくださると言って、あの預言を語るのです。

「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ばれる。」

インマヌエルとは、「神は我らと共におられる」という意味です。

このようにして生まれてくる「男の子」とは誰のことなのか・・・謎は解けないまま、時は過ぎました。

やがて、700年後に、イエス・キリストが誕生したときに、謎はようやく解けたのでした。


共に祈りましょう。

主よ、旧約聖書は難しくて、あまり読んだことのないという方も大勢います。どうか、わたしたちの心を照らしてくださって、旧約聖書を理解させてくださり、イエス・キリストにおいて成就された希望の大きさを悟らせてください。
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勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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