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2018. 01. 25  
サムエル記下7章に記されたダビデの祈りを、昨日に続いて分かち合います。

祈りの中で、ダビデは神様が導いてきてくださった、救いの歴史を思い返しています。

「主なる神よ、まことにあなたは大いなる方・・・この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれをあがなってご自分の民とし、名をお与えになりました。・・・ご自分のために、エジプトおよび異邦の民とその神々から、この民をあがなってくださいました。(22-23節)」


ここで思い返されているのは、出エジプトの出来事です。いつも申し上げますが、これが救いの原体験です。

あの時、エジプトから救い出してくださった神が、今、わたしの神でいてくださる。

わたしは、イスラエルの歴史を受け継ぐ「神の民」とされているから、今日も大きな救いの手の中で守り導かれている。

このように信じるがゆえに、わたしたちは、勇気をもって祈ります。


みなさんにおすすめします。一日に10秒でもかまいませんから、静まって、自分の力を捨てて、神の救いを思い起こしてください。

エジプトから救い出してくださった神。ダビデを愛し、助けられた神。

この神が、今、わたしの神です。この主なる神を畏れ敬う者には、恵みと慈しみは尽きることない。

静まって、いつもこの想起から始めるのです。


共に祈りましょう。

主よ、今朝はとても寒い朝です。体調を崩している者もたくさんいますから、十分な癒しが与えられますように。不安や重圧を覚えている者を憐れんでください。モーセもダビデも、不安に満ちていたことを思い出します。主よ、思いを超えた恵みをください。

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2018. 01. 24  
日曜日にはサムエル記下7章から、ダビデと神様との恵みのやりとりを学びました。

18節からには、ダビデの祈りの言葉が記されています。このように始まります。

「主なる神よ、なにゆえわたしを、わたしの家などを、ここまでお導きになったのですか。主なる神よ、御目にはそれもまた小さな事にすぎません。また、あなたはこの僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。」


最後の「あなたは僕を認めてくださいました」は、原語では「あなたは僕を知っておられる」です。

わたしたちの過去も未来も、心までも、すべてをご存じの神様。

「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる・・・。」詩編139篇の冒頭です。この詩編はそのあと、すべてはあなたの手の中にあって、私は離れることはできないと続いていきます。これもダビデの詩です。


私のことだけでなく、はるかな宇宙の森羅万象を素粒子レベルですべてご存じの、大いなる神様。

その神の目に、わたしや、わたしの家のことなど「小さな事」に過ぎません。

しかし、その取るに足らない私たちが、その大いなる御手の中で、導かれ、はるか未来までも約束されています。


共に祈りましょう。

主よ、大いなる主よ、すべてをご存じのあなたの手の中で、今日というまだ見ぬ未来に飛び込んでまいります。主よ、今不安に満ちている者の心を静めてください。小さな小さな者たちの祈りを、どうぞ聞きあげてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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