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2012. 09. 15  
「わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、

わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを、恵みによって与えてくださる、わたしたちの神が、

どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、

いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。(Ⅱテサロニケ2:16-17)


「悲しむ者は慰められる」との、主の言葉に生かされ、今週を歩ませていただきました。

この慰めは、慰めの源なる神だけが、与えることができます。

だからパウロは、わたしたちのために、懸命に神に祈ってくれています。

わたしたちも互いの慰めを求めて、祈りあいましょう。これがわたしたちの最大の愛の表現です。

そして思い出しましょう。自分のために祈ってくれている兄弟姉妹がいることを。わたしたちの主が、いつもこの祈りの輪の中におられることを。


共に祈りましょう。
わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを与えてくださる、わたしたちの主である神よ。

どうか私の愛する兄弟姉妹の心を励まし、強め、今日の日に善き証しを立てさせてくださいますように。
2012. 09. 14  
昨日の「聖書に遊ぶ会」で、ヨハネ1:47-48を読みました。

「どうしてわたしを知っておられるのですか。」という、ナタナエルの言葉が印象的でした。

初めてお会いしたはずなのに、自分のすべてを知っておられるイエス様に驚いて、そう言ったのです。



私たちは誰もが、主と出会う時に、同じ驚きを経験するのだと思います。

「私は、出会う前から、この方に知られていたのだ。」

しかもこの方は、わたしのことを、すばらしいものとして知っていてくださる。

この不信仰なわたしの内に信仰を見出し、これからまことの聖書の民となる、未来のわたしを見ていてくださる。

そう気づかされ、感動させられるのです。


共に祈りましょう。

生まれる前から背負っていてくださった主よ、あなたは私たちの悲しみも、傷も、トラウマも、すべて知っていてくださいます。

わたしの過去を慰め、現在を癒してください。そして、今日用意されている、未来のわたしを喜ばせてください。
2012. 09. 13  
イザヤ書61:1-3より抜粋します。新改訳が分かりやすいでしょう

「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。・・・

・・・すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。」



イエス様の「貧しい者、悲しむ者」への祝福は、この言葉を背景になされています。

あの方は、無責任に「喜んでいいのだよ」と言っておられたわけではありません。

「わたしが来たから、もう大丈夫だ」と、幸いを宣言してくださったのです。

隣人の悪に傷つき、自分の罪に悲しみ、生きることに空しさすら覚えてしまうのは、あなただけではない。私も同じです。

でも、そんな惨めな人間たちのところに、・・・あの方が、来て下さったのです。


共に祈りましょう。

父なる神よ、あなたは、私たちのすべてを一変してくださる方を、遣わしてくださいました。心から感謝をします。

私たちの心が、今日一日どんなときも、あの方を決して見失うことがないように、聖霊の導きをお与えください。
2012. 09. 12  
今日は、善をなしたいと望むほどに、どうしてもなしえない自分に気づかされてしまった、パウロの悲しみの言葉です。

「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょう。(ローマ7:24)」


キリストに従うということは、その日からただちに偽善者と呼ばれ始めることを意味すると言ってもいいでしょう。

自分の偽善を責める声が聞こえてきます。それは特に、自分の中から聞こえてきます。

昨日の皆さんも、そんな声に責められませんでしたか?



・・・・でも、偽善者である自分を悲しむのは、私たちが善をなすことを望み始めているからです。

私たちのうちに、キリストの救いが始まっているからです。


共に祈りましょう。

罪から解放してくださる救い主よ。今日、私たちを、恐れや疲れや、感情やプライドから自由にしてくださって、なすべき善をなさせてください。

聖霊よ、私たちを助けてくださって、キリストのように神と人を愛する喜びを、あふれるほどに与えてください。
2012. 09. 11  
「神の御心にかなった悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。(Ⅱコリント7:10)」


今週は、正しく悲しむ者の幸いを、日々思い起こしながら歩みましょう。

キリスト教は悟りを得ることが目的ではありませんから、悲しみを耐える必要はありません。

今日も、もしつらいことがあれば、泣いて神に訴えればいい。

心が神に向かってさえいればいいのです。

そうすれば、神が私たちの心を作り変え、「悲しみにあったのは、私のために善いことであった(詩篇119:71参照)」と、やがて気づかせてくださいます。


共に祈りましょう。
すべてを知っておられる主よ、今日もあなたの手におゆだねして歩みます。

悲しみの時に、私の魂がさまようことなく、あなたの翼の陰にたどり着くように、今日も導いていてください。
2012. 09. 08  
昨晩、四ツ谷の聖イグナティウス教会まで足を運び、テゼの祈りに参加してきました。プロテスタント、カソリックの枠を超えた、黙想と祈りの集会です。

沈黙と、静かな賛美を何度も繰り返します。

例えば「わたしたちが暗闇にとどまることのないように、キリストは光として世に来られた」と、

何度も何度も歌います。

それが私たちの祈りとなるまで。私たちの内で、主イエスの命が燃え出すまで。






世の暗闇が深いからこそ、私の内なる闇が深いからこそ、主を待ち望みましょう。





「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。

神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐいとってくださる。

もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

最初のものは過ぎ去ったからである。(黙示録21:3-4)」


共に祈りましょう。

救い主なる神よ。あなたは生きておられます。聖なるご計画にしたがって、この世界に完全な慰めをもたらしてくださいます。あなたを信じます。

わが神よ、この週の最後の日に、今日まで導いてくださったあなたへの感謝と悔い改めと、あなたへの信頼と希望が、私たちの心に満ちますように。



2012. 09. 07  
今日の聖句は、私が神学校1年の時、教会ではじめての奨励をさせていただいた記念の聖句です。

フィリピ4:6-7

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。


主は、私たちのすべてを知っておられます。介護の悩みも、体の痛みも、子育ての労苦も、明日の見えない不安も、うまくいかない苛立ちも、自分の無能力への嘆きも・・。

この主に、自分の操縦席を明け渡しましょう。

人知を超える神がわたしの味方でいてくださる。

この確信から始めなければ、私たちはどこにも行くことはできません。

共に祈りましょう。
主よ、現実に心縛られ、様々に思い煩う小さな私たちを、今日も憐れんでください。あなたは大いなる方。この小さな私たちの目を開き、大いなるあなたの導きを、今、悟らせてください。


2012. 09. 06  
詩篇34篇から抜粋し、私訳でお届けします。


私は主を求める、主はお答えになる。
我がすべての恐れから、私を救い出してくださる。

この苦しむ者が呼ぶ、主は聞かれる。
そのすべての苦難から救ってくださる。

味わい見よ、まことに主はすばらしい。
幸いだ、主のもとに身を避ける人。

主は近くにおられる、 心砕かれた者たちのその近くに。
霊の打ちのめされた者を救われる。

義なる者の災いは多い。
だが、そのすべてから、主は彼を救い出される。


共に祈りましょう。
主よ、今日も私たちを恐れからお守りください。災いの時に、私の力となってください。私たちが心くじけた時、その時こそ、あなたが近くにおられることを教えてください。心の貧しい者の幸いを、鈍い私たちに悟らせてください。
2012. 09. 05  
「いかに幸いなことか、・・・・、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。(詩篇1:1)」

主の教えを愛するとは、パンだけではなく神の口から出る言葉によって生きるということです。
それは、主に信頼をおく(昨日の詩篇40篇)ことと重なります。
たとえば、今日災いによって試みられても、「恐れるな、わたしはあなたの神」との言葉を思い出し、口の中で繰り返してみてください。
至高の神が、苦しむ私たちと共にいてくださることが見えてきます。それが、私たち天国人の「幸い」です。

祈りましょう。
愛する主よ、人間の声がいつも私たちの心を騒がせます。今日もあなたの言葉から離れないようにしてください。


2012. 09. 04  
「いかに幸いなことか、主に信頼をおく人
ラハブ(偶像)を信ずる者にくみせず、欺きの教えに従わない人は。(詩篇40:5)」

私たちの目は、実は「欺きの教え」に曇らされて、見るべきものを見ることができていません。
なにより見失っているのは、主の臨在であり、そのご支配です。
私たちの職場にも、通勤の電車の中にも、台所にも、ひとりでたたずむ部屋にも、どんなところにも、主のたのもしい手が届きます。
主に信頼をおきましょう。その時、主イエスが見ておられる「幸い」の世界が、私たちにも見え始めます。

共に祈りましょう。
主よ、あなたに信頼をおきます。この一日、わたしたちの目を開き、天国人の朗らかさを備えてください。愛する兄弟姉妹が、今日も主の祝福の世界で微笑むことができますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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