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2012. 09. 29  
今週は「義に飢え渇く者の幸い」を覚えて歩んできました。

義に飢え渇く者は「満たされる」とイエスは約束してくださいました。

満たされる、・・それは、神ご自身に満たされ、人知を超えた平安に憩う幸いです。

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。(ローマ15:13)」

今日、週の終わりに、このパウロの祈りに導かれて、「満たされる」幸いに至るようにと互いに祈りあいましょう。



主よ、大いなる神よ、あなたをいただけるなら、他に何もいりません。

あなたこそ我が盾、あなたこそ我が望み。私たちの小さく狭い魂を、あなたが満たしてくださって、すべての思い煩いを、この心から追い出してください。

私に、また私の愛する兄弟姉妹に、まことの信仰が与えられますように。

見えないものを見る、信仰の目が豊かに開かれて、あなたの希望と、喜びと、平和で、十分に満たされますように。
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2012. 09. 28  
詩篇71篇は、「義」すなわち「神がわたしの神として助けてくださること」を願う、切なる祈りです。

「あなたのもとに、主よ、私は身を避けます。とこしえに、恥を受けさせないでください。あなたの義をもって、私を救い出してください、逃れさせてください。私に耳を傾け、私をお救いください。(詩篇71:1-2私訳)」

こんなに必死に祈ることができるのは、神を深く信頼しているからです。

詩人はこう続けます。「まことにあなたこそ、 わが希望。わが主人よ、主よ、若き日からのわがよりどころよ。

あなたに、私は支えていただきました、母の胎にある時から。あなたこそ、母の腹から取り出してくださった方。わが賛美を、常にあなたにささげます。(5-6節私訳)」

赤子が母の胎から無事に産み出される・・それは、現代先進国では何の驚きもないかもしれませんが、環境の劣悪な古代世界では、大いなる神の恵みの御手による奇跡と受け止められました。。

わたしたちは、そんな神の恵みに、盲目になっているかもしれません。

わたしたちを産み出してくださった神の御手が、今日も、私たちを支えていてくださいます。

共に祈りましょう。

わが主よ、あなたこそわが希望。あなたこそ、母の腹から取り出してくださった方。すべてを備えてくださる方。あなたに信頼を置きます。あなたの義によって、今日も私たちに平安をお与えください。
2012. 09. 27  
「神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め、わたしの魂はあなたを渇き求めます。

あなたを待って、わたしのからだは乾ききった大地のように衰え、水のない地のように渇き果てています。(詩篇63:2)」

この詩篇63篇は、もっとも神に親しく語りかけている詩篇と言われ、古来大切にされてきました。

今週は「義に飢え渇く」ことを考えていますが、私たちはこれほどの激しさで神を求めたことがあるだろうかと、考えさせられます。

蛇口をひねれば必ず水が出るような豊かな生活の中で、私たちは、何か大切なことを忘れているのかもしれません。

ナジアンゾスのグレゴリウスという教父は言いました。

「わたしたちは呼吸をする回数よりも多く、神を思い起こさねばなりません。」

共に祈りましょう。

主よ、私の生ぬるい信仰をお赦しください。あなたはきっと、もっと私を求めよと待っておられるのでしょう。

主よ、もっと豊かな、信仰の喜びの世界へと、突き抜けさせてください。
2012. 09. 26  

今日も「義に飢え渇く」ということを意識していきましょう。

ある姉妹が伝えてくださいました。「効率ばかりが重んじられる労働の現場では、神様のことを見失いそうになってしまう・・。」

私たちは、多かれ少なかれ同じような日常を過ごしているのではないでしょうか。

「見失いそうだ」と気づけているのは、神様とつながっている良いしるしです。

もっと深刻なのは、あまりにも世に呑み込まれてしまって、自分の魂が「渇いている」ことすら、忘れてしまっていることです。

渇きすぎると、渇いていることを忘れるのです。

主の呼びかけに聞きましょう。

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。・・・耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。(イザヤ55:1-3より)」


共に祈ります。

命の水の源なる主よ、今日私たちの心が渇くとき、あなたの愛と慈しみと慰めによって、豊かに潤わせてください。涙も涸れてしまった兄弟姉妹もいます。その心に、命の泉を与えてください。
2012. 09. 25  
今週は、「義に飢え渇く幸い」を覚えながら歩みましょう。

義に飢え渇く、すなわち、神が神らしく正しくふるまってくださることを必死で求めるということです。

説教への応答として、今週はもっともっと必死の祈りをささげさせていただきたいと、言ってくださった姉妹がいます。

神は、求める前からすべてを備えておられます。

でも、私たちが必死に求めないなら、その神の恵みに永遠に気づくことができないのかもしれません。

祈りが変われば、きっと、私たちのすべてが変わることでしょう。

私も、もっともっと祈りたいです。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイ7:7-8)」

共に祈りましょう。

主よ、祈りに貧しい私を、もっと深く大きな祈りの世界へと導いてください。あなたが備えていてくださる、はるかな恵みの世界を、今日、この目で見させてください。
2012. 09. 22  
今週は「柔和な者の幸い」を覚えながら歩んできました。

「終わりに、皆心を一つに、同情しあい、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。

悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。(Ⅰペトロ3:8-9)」

週の最後の日、仕える心をもって、今週共に歩んだ人々のために祝福を祈りましょう。

夫や妻のため、子のため、親のため、同僚のため、近所の方のため、今関わっている方のため、昨日出会った方のため、また、今週も共に祈りあってきた教会の仲間たちのために、祝福を祈りましょう。

私たちを傷つけた方のためにも、祝福を祈ることができればいいですね。

私たちの心が、そのようにして柔和に砕かれていくなら、その分だけ、神の恵みが染み込みやすくなるのです。

共に祈りましょう。

主よ、あなたはこんな私たちのために、今週も祝福を注いでくださいました。ありがとうございます。

あなたの祝福をますます豊かに味わえるように、このかたくなな心を砕いてください。
2012. 09. 21  
昨日に続いて、詩編37篇に聴きましょう。イエス様はこの詩編を思いながら、「柔和な人は地を受け継ぐ」と言われたのです。

「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。

人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手を支えていてくださる。(詩編37:23-24)」


私たちは、倒れます。主は、そういう弱さをよく知った上で、すべての道を備えておられます。

数々の試練に満ちた生涯の末に、天使のような安らかな心で、召されていった姉妹のことを思い出します。

「倒れる」のはつらいことですが・・・でもきっと私たちは、柔和な者の幸いを知るために、まだまだ砕かれる必要があるのでしょう。

倒れても、主がその手を支えていてくださいます。

倒れた時こそ、主の手がさしのべられていることに気づきます。


共に祈りましょう。

父なる神よ、あなたは決して、子らを見捨てることのない方。今日も、倒れる私たちをお支えください。

私を、そして私の愛する兄弟姉妹をねりあげて、内的な平和で満たしてください。
2012. 09. 20  



週の後半に入りましたが、柔和な人の幸いを味わっておられますか。

先日ロンドンタイムスに、「常識」の死を伝える追悼文が掲載されたそうです。

大変皮肉に富んだ文章なのですが、それによると「常識」は、モンスターペアレンツ等の身勝手な人々の振る舞いに、だんだんと生きる勇気をなくし、

自宅を襲った強盗に抵抗したら、逆に暴力行為の疑いで訴訟されたなどとのニュースが直接の死因になったということです。

日本でも、「常識」の死は間近でしょう。

そんな世にあって、柔和で謙遜な人は生きにくい。

でも、「主に信頼し、よきことをなしなさい」と詩篇37篇は教えてくれます。

「怒りをとどめ、憤りを捨てなさい。いきり立ってはいけない、その思いが悪へと誘う。
 
 まことに、悪を行う者たちは断ち切られ、主を待ち望む者たち、彼らこそ地を受け継ぐ。(詩篇37:8-9私訳)」

共に祈りましょう。

主よ、正義も秩序も見失っていた私たちに、あなたはキリストの十字架によって、まことの愛を教えてくださいました。感謝します。

私たちのうちに、思いやりの心を起こし、主イエスに似せていってください。今日私たちが、地の塩世の光となることができますように。
2012. 09. 19  



「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。(マタイ20:26-28)」

人に「仕える」とは簡単なことじゃありませんね。

「あの人はなんでもやってくれる」と思われると、さんざん利用されて、切ない思いを味わうこともしばしばです。

でも、そんな難しさを引き受けながら、痛んでいる人に仕え、悩む友に仕え、ぐずる子に仕え、年老いた親に仕え、教会の兄弟姉妹のために精一杯仕えていく。さらには、敵にも仕えていく。

そういう「僕」の道において、私たちは、主イエスのことを、昨日よりもさらに近く覚えることができるのです。

主イエスが、こんな私に仕えてくださっていることに、深く気づかされるのです。

共に祈りましょう。

主よ、私たちのために流された主イエスの汗と血を覚えます。私たちにも、僕の道を行く柔和さを与えてください。主の慈しみと恵みと栄光が、今日、私たちを通してあらわされますように。
2012. 09. 18  
今週は「柔和な者の幸い」を覚えながら歩みましょう。

「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイ11:29)」

今日一日、イエス様の微笑みを思い浮かべながら、過ごせたらいいですね。

体がたまらなく痛む時、めまいがする時、人間関係にいらだつ時、子の泣き声にうんざりする時、忙しさに振り回される時、どうしようもなく不安な時・・・、

今日も色々あるでしょうが、そんな時に、私のために十字架で死んでくださった方の、微笑みを思い出せたらいいですね。

そうすれば、きっと私たちの顔も、柔和な微笑みに変わるのだろうな・・。

そしてそうすれば、きっと私たちの心は、安らぎを得ることができるのだろうな・・。

共に祈りましょう。

愛する主よ。愛してくださる主よ。私たちはあなたのもの、あなたは私たちの神、私たちの父。

今日も、どんな時も、主が私たちのかたわらにいてくださることを信じます。私を、そして愛する兄弟姉妹を、安らぎの中で歩ませてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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