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2012. 11. 30  
「乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。・・・・・だからわたしたちは、・・・キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。(ヘブライ5:13~6:2)」

私たちは、訓練を通して「成長」していくことが期待されています。

乳飲み子のような信仰を卒業して、聖書に学び、教会の歴史に学び、その教理に学び、「善悪を見分ける感覚」を養っていく必要があります。

信仰者としてどう考え、どう振る舞うことが善であり悪であるのか、今日も私たちは判断しながら生きていかねばなりません。

朝ご飯に何を食べるかといったごく身近なことから、今度の衆議院選挙にどう取り組むかといった社会的なことまで。

私たちには、生活のすべての局面において、信仰者としての善悪の判断が要求されているのです。

それらは全部、初歩からステップアップした信仰の応用問題です。

まずは、このことを意識することが「信仰の成熟」のスタートですね。


共に祈りましょう。

主よ、私たちはまことに成長鈍い者であり、キリストの弟子としての自覚に欠ける者であります。お赦しください。今日も、私たちの生活のすべてに聖霊の豊かな導きがあることを覚えて、信仰者としてふさわしく判断することができますように。そして、今日与えられるあらゆる経験を通して、聖書の理解を深めていくことができますように。
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2012. 11. 29  
「ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。(ガラテヤ6:10)」

教会の「交わり」を考える時に、「私たちは神の家族とされた」という恵みを忘れるわけにはいきません。

信仰による霊的絆は、血縁よりも深く豊かなものです。

その家族に対して善をなしなさい、と言われています。

何をすればいいか。文脈から読み取れる大事なことは「互いに重荷を担いあう(同2節)」ことです。兄弟姉妹の祈りの課題を、「自分の重荷(同5節)」として受け取るということです。

ある兄弟は、私がもう祈ることを忘れてしまっていたような課題を、ずっと覚えて祈っていてくださいました。

神の家族の交わりにおいては、そんなことがしょっちゅうではないでしょうか。

そのようにして祈っていてくださる方はまた、手を差し伸べてくださる方でもあります。

私たちはお互いに、そんな「善」をなすことへと招かれています。


共に祈りましょう。

私たちの父なる主よ、長兄なるイエス・キリストよ、そして私たちを一つにしてくださる聖霊よ。今日も私たちが、神の家族として互いに祈りあい、重荷を担い合って、あなたの愛を証しすることができますように導いてください。私の愛する家族が、今日もあらゆる試練から守られますように。
2012. 11. 28  
今日は祈祷会があります。

「勝田台教会は祈りの強い教会です」と、ある引退牧師が赴任前の私に教えてくださいました。

赴任してみて、本当にそうだと思います。そしてこのことをもっと大切にしていきたいと思います。

教会の「交わり」は、祈りにおける一致なくしては何の意味もありません。

互いの平安のために祈りあい、福音の前進のために一つになって祈る。

その祈りの輪の中に、いつも主イエスはおられるのです。

教会が一つになって祈っている姿を示す聖句もいくつもありますが、その中で、今日はこの言葉に共に聴きましょう。

「これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。『主よ、・・あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。・・しるしと不思議な業が行われるようにしてください。』祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。(使徒言行録4:23-31)」

今日は祈祷会です。集うことのできない方も、心を合わせて、神の御業を祈り求めましょう。

その時、聖霊の祝福があふれ出して教会を励まし、病める人、苦悩する人たちを癒してくださると、私は信じます。


主よ、大いなる方、天地の創造者よ。救い主なるキリストよ。生命の与え主なる聖霊よ。あなたにできないことはありません。私たちの教会を、私たちの思いを超えて、強くあらしめてください。
2012. 11. 27  
今週は、「交わり」と「成長」という使命に深まっていきましょう。

「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。あなたがたのうち誰一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。(ヘブライ3:12-13)」

日々励まし合いなさいと、勧められています。

信仰者の生涯は、試練との戦いの日々です。「あなたがたを試みるために襲い掛かってくる火のような試練を、思いがけないと驚いてはいけないよ」よと言われています(Ⅰペトロ4:12)。

神から離れさせようとするサタンの巧妙な罠がいっぱいです。

うまくいかない計画。癒えぬ病。人間関係のつまづき。時には、好事魔多しで、順境に浮かれて神を忘れることもあります。

共に戦い、支え、戒め、励ましてくれる仲間がいなければ、とても歩みきることはできません。

そんな仲間たちが、「今日」も強く雄雄しくあることができますように、共に祈りましょう。


私たちの父なる主よ、私たちはあなたの子とされた真実の兄弟姉妹です。

主よ、私の兄や姉が今日も老いの坂を上る時に、肉体の弱さを支え、心を空しさから守ってください。

私の兄や姉が今日も労働の現実の中で奮闘する時に、肉体を疲れから守り、心にいつも平安を満たしてください。

私の弟や妹たちが今日も学び舎で成長していく時に、肉体を健全に育み、心にキリストを刻み込んでください。
2012. 11. 24  
「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロはそれに仕える者とされました。(コロサイ1:21-23)」

「揺るぐことなく信仰に踏みとどまり」と勧められているのは、私たちは揺るぎやすいからです。

「福音の希望から離れてはなりません」とあるのは、離れさせようとするサタンの罠が多いからです。

今週は、「伝道」について思いを深めてきました。

人口の1%(実質的にはその半分ほどでしょう)しかクリスチャンがいない日本の現実です。

私の尊敬する宣教師が、「本当に伝道の難しい国です・・」と嘆いておられました。

そういう中で、周囲の価値観に揺るがされ、転がされる危険や罠がいっぱいです。

アイデンティティを見失い、自分に与えられた救いのすばらしさを見失うこともあるでしょう。

でも、今週も世界中の至るところで、このすばらしい福音の希望が宣べ伝えられ、たくさんの魂が真実の充足へと取り戻されたのです。

神の国は確実に進展しています。

先の宣教師はこう続けました。「でも日本にはたくさんの殉教の血が流されました。主は必ずかえりみてくださいます。」


共に祈りましょう。

主よ、あなたは休まれることなく今週も働き続け、たくさんの人々を取り戻してくださったことを感謝します。あなたに与えていただいた福音の希望を、私たちも大切にいたします。主よ、勝田台の地に住む人々を、一人でも多くお救いください。


2012. 11. 23  
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。(Ⅱテモテ4:2)」

弟子テモテに対するパウロからの激励です。

パウロは人間を良く知っていました。

罪人というのは、自分が罪人であることを知らないというところに、その根源的病があります。

そういう人に、罪からの救いを告げる正しい福音を伝えても、まっすぐに受け止めようとはしないことを、良く知っていました。

「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれていくようになります。(同4:3-4)」

現代はまさにそんな時代です。

でも、聞こうとされないからと自信を失う必要はありません。

むしろこのような罪の時代にあって、福音を受け取る心が与えられたことを誇りに思いましょう。

そして、人々のために祈りましょう。神の力によらねば、決して「聞く耳」を持つことはできません。


共に祈りましょう。

主よ、罪からの救い主よ。私たちもまた、自分に都合のいいことばかり聞きたがる者です。お赦しください。また私たちの隣人のかたくなさや、心の鈍さをお赦しください。そして、この罪の時代に生きる私たち全員に、福音を正しく受け取る心を与えてくださいますように。
2012. 11. 22  
今日は、エレミヤの嘆きをお届けします。

これは、人々から拒絶される伝道者の嘆きです。「罪から立ち返れ」と叫ぶがゆえに、拒まれ、軽蔑され、ひどく苦しんでいる。

でも、語らずにはおれない。福音から逃げようとしたが、逃げられないともう観念しました・・。

そういう独白です。


「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされて、あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ、人が皆、わたしをあざけります。

わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり、「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中、恥とそしりを受けねばなりません。

主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。(エレミヤ20:7-9)」


共に祈りましょう。

主よ、この病んだ時代にあって、私たちもまた同様に病んだ者たちですが、あなたに見出され、キリストの福音が与えられたことを心から感謝します。あなたに今日の日をおゆだねします。私を御自由に用いてください。
2012. 11. 21  
今日は「伝道」の忍耐について学びましょう。

「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられます。(Ⅱペトロ3:8-9)」

私は、自他共に認めるせっかちです。

自分のイメージどおりに一日も早く完成させたい性分です。

逆に言うと、思うようにならないことは早急に見限り、すぐに次の手を考えようとしてしまいます。

庭造りに対してもこんな感じですから、うまく育たない植物を、これまでにたくさん見限って捨ててしまいました。

こういうせっかちを自覚し、反省しています。特に「伝道」に関しては、これではいけません。

神はどこまでも粘り強く、うまく育たない私たちの悔い改めを、待っていてくださいます。

虫にかじられ、病気を得た小さな苗が、枯れないようにと大切に見守り続ける園芸家のように・・。


共に祈りましょう。

憐れみ深い主よ、あなたは忍耐深く、今日も破滅を遅らせ、罪人を救いに招いていてくださる方。うまく育たない私たちですが、あなたの愛によって、今日もまことの悔い改めに至らせてください。私たちもまた、隣人の救いを待って祈り続けます。
2012. 11. 20  
すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。(Ⅱコリント5:19-20 新改訳)

今週は、「伝道」について深めていきましょう。今日の御言葉からは、教えられることがたくさんあります。

私たちは、和解の申し込みを伝えよと、隣人のもとへ神から遣わされていく「使節=全権大使」です。

この和解の申し込みは、被害者である神から、極刑に値する加害者である人間に対してなされる、ありえない申し込みです。

しかも加害者のほうは、和解の必要を自覚することなく悪に悪を重ねていきます。

でも神は、その加害者たちとの和解を望まれ、わたしたちを通して平身低頭に「懇願される」のです。

どうしてもあなたたちに滅んでほしくないのです。私のもとに戻ってきてほしいのです。神のかたちに創造された人間の本当の健やかな姿を回復してほしいのです。

そういう神の思いを代表する「使節」として、私たちも今日出会う隣人お一人お一人に、「お願い」の心をもってキリストの福音を伝えていきたいものです。


共に祈りましょう。

神よ、いと高きあなたが、キリストにあって驚くほどの低きに下られ、私たちの救いを成し遂げてくださいました。本当にかたじけなく思います。私たちもまた、愛する者の救いのために、精一杯仕えることができますように、聖霊の助けを与えてください。




2012. 11. 17  
「主は言われた『お前は怒るが、それは正しいことか。』(ヨナ4:4)」

ヨナ書というのは、旧約における「放蕩息子」とも言えます。

反逆の都ニネベが「放蕩の弟」で、ヨナは「できのいい兄」です。

主はヨナに、ニネベに悔い改めを呼びかけよと命じますが、ヨナは嫌がって逃げました。

結局、すったもんだの挙句に命令どおりにしますと、あの反逆の都が驚くほど早く悪の道から離れ、神の裁きを免れます。

この神の慈しみに、ヨナはまったく納得できないのです。

しかし、主は問われます。「お前は怒るが、それは正しいことか?」


私たちもこの一週間、「あんな人ゆるせない、世の中おかしい、みんな滅びたらいい・・。」と、「できのいい兄」の怒りに囚われてしまっていなかったでしょうか。

でも主は、日本の1億人以上の「右も左もわきまえぬ人間(ヨナ4:11)」を愛しておられるのです。

私たちもまた、そんな主の愛に生かされているのです。


共に祈りましょう。

慈しみ深き主よ、正しい者にも正しくない者にも太陽を昇らせてくださる、あなたの寛大な愛によって、今週もここまで歩ませていただきました。あなたの尽きせぬ慈しみが、混乱している私たちの時代全体に注がれますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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