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2012. 12. 14  
アルバイト先で、「ここは少し商品をちょろまかしてもバレナイよ。みんなやってるから。」と言われたそうです。

でも、クリスチャンであったその若者は、「それはいけない」と答えました。

すると、陰湿なイジメにあったそうです。

本に紹介されていたエピソードですが、皆さんももしかすると経験しておられるかもしれません。

「しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心にかなうことです。

あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。(Ⅰペトロ2:20-21)」


共に祈りましょう。

主よ、私たちを世と戦う戦士として呼び出してくださって、本当にありがとうございます。この暗い世にあって、星のように輝き、キリストの愛と正義と平和を実現していくことができますように。

今日も兄弟姉妹お一人お一人が、イエス様の後にならって、勇気をもって歩むことができますように、主よ、知恵と力をお与えください。
2012. 12. 13  
「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。・・・だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。(ダニエル3:24-25)」

シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの迫害との戦いを、今日も覚えましょう。

燃え盛る炉に放り込まれた彼らが、少しの損傷もなく守られたと聖書は記録しています。

そのとき、迫害者ネブカドネツァル王の目には、四人目の「神の子のような人」が見えたようです。

その方は、三人が火の中に入れられるのを回避はなさいませんでした。また、そこから外に出されはしませんでした。

でも、その激しい試練の炎の中で共にいて、彼らが「自由に歩く」ことができるようにしてくださいました。

主は、私たちとも共にいてくださいます。

そして、どんな火の中でも、決して屈することない自由な心を与えてくださいます。

「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。(詩篇23:4)」


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちは、あなたを信じるがゆえに火のような試練にさらされることを、覚悟して歩みます。どんな時も支え、励ましてくださって、魂がサタンに隷属してしまうことのないように、心を高く上げて歩ませてください。

私の愛する兄弟姉妹を、特にサタンの揺さぶりの中で心弱らされている者たちを、どうか慰め立たせてください。
2012. 12. 12  
「『シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。・・・もしも拝まないなら、ただちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。』

シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。『このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。

そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。』(ダニエル3:13-18)」


ダニエル書は、その全体が、迫害と戦う者たちのための神からの激励です。

今日のところでは、バビロンの王から偶像礼拝を強いられたユダヤ人の少年3人の戦いが記されています。

深く印象に残るのは、「たとえ、そうでなくても」という言葉です。

主は必ず救ってくださる。でも、たとえ具体的な救出がなくても、私たちの主への信頼は微塵も揺るぎはしない、と言っているようです。

殉教者として有名なスミルナのポリュカルポスは、「キリストを呪ってみよ」との脅迫にこう答えました。

「わたしは86年間あの方に仕えてきましたが、あの方がわたしを苦しめたことなど一度もありません。それなのにどうして、わたしを救ってくださったわたしの王を冒涜することなどできましょう。」

今日も、私たちの王は、私たちを苦しめることなどありません。


共に祈りましょう。

主よ、大いなる我らの王よ、今日起こり来るすべてのことが、あなたの支配の中にあることを信じます。あなたが、髪の毛一本さえ無駄に落ちないように、最善を備えてくださって、永遠の命に導いてくださることを信じます。主よ、今日も私たちを守ってください。

愛する兄弟姉妹を守ってください。特に、仕事を始めたばかりで疲れている者、心が沈んでいる者たちを励ましてください。




2012. 12. 11  
「(パウロとバルナバは)弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。(使徒言行録14:22)」


今週の礼拝説教は「幸いだ、義のために迫害される人々」でした。

迫害を受けてこそ一人前だなんて、推奨されているわけではありません。

ただ、キリストに属する者は必ず「世」から迫害されるということは、聖書に示されていることです。

今朝の御言葉が示しているのも同じことです。百戦錬磨の二人の使徒が、信仰の未熟な弟子たちに「多くの苦しみを経ねばならない」と諭します。

ある意味でとても厳しい、つまずきを与える御言葉が与えられました。

でも、今現実にサタンとの戦いの中でもがき苦しんでいる人々にとっては、この言葉は慰めです。

私たちにも、今週様々な迫害や、戦いの苦しみがあるでしょう。

クリスチャンとしての価値観を否定されたり、奉仕の心を利用されて疲れてしまったり・・。そんな間接的な迫害もあります。

でも、苦しみを一つ重ねるごとに、私たちは神の国に近づくのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も昨日と同じように、あなたが共にいてください。私たちと共に迫害と戦ってください。私たちを信仰の希望から転げさせようとする者たちから、どうかお守りくださって、強く立ち向かうことのできる力をください。
2012. 12. 07  
「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。(コロサイ3:15)」

我が家で夕食前に子どもたちと歌う賛美歌の一つに「キリストの平和」があります。

「キリスートのへいわーが、わたしーたーちのここーろの、すみずーみーにーまーで、いきわーたりますようにー♪」

とてもあたたかく、心に染み入るメロディーです。

だれかがイライラしてしまったり、がっかりしてしまったり、心が沈んでしまったりしている時に、できるだけこの歌を選ぶようにしています。

賛美歌は、賛美できないような心の時にこそ、歌わねばなりませんね。


共に祈りましょう。

この疲れてしまった心に、今日もキリストの平和がいきわたりますように。

私とともに「一つの体」とされた兄弟姉妹の心に、今日もキリストの平和がいきわたりますように。

キリストの平和が、一人でも多くの人の心にいきわたり、多くの人の声で、主を賛美することができますように。

主よ、感謝します。キリストの平和にあずからせていただいたことを感謝します。


※ 今日の晩から中会の若者たちのクリスマス会で、新浦安教会に泊り込みますので、明日の配信はお
2012. 12. 06  
「人々は麦とぶどう酒を豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを、わたしの心にお与えください。平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに、わたしをここに住まわせてくださるのです。(詩篇4:9)」


昨日の新聞に、「経済状況が悪化すると人心がここまで荒廃するとは・・」と嘆く声がありました。

関東に来てからなおさらそう感じますが、確かに殺伐としております。

パソコンの修理のために電話をかけてオペレーターの方に相談した時、その方の異常なまでの気の遣いようと、やや怯えた調子に、「ああ、きっとこの人は、たくさん傷つけられたのだろう・・」と、逆に気を遣ってしまいました。

選挙戦でも、官僚支配の打破が声高にかかげられます。

しかし、それに同調する私たちの中には、だれかを悪者に仕立てることで溜飲を下げようとする、悪しき思いがないでしょうか。

不景気だからというだけで、心が悪魔に支配されるなんて悲しすぎます。

でも「麦とぶどう酒」にしか喜びを見出せない限り、人間はその惨めさから抜け出せません。

私たちは、「それにもまさる永遠の喜び」を与えられているはずです。

「神の平和」のうちに身を横たえ、いつも穏やかで爽やかな風を起こしたいものです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの心に、麦とぶどう酒にまさる喜びを与えてください。地上のことに心縛られることなく、いつもあなたを見上げ、永遠の安息の中で憩うことができますように。今日も落ち着いた心を失ってしまう時があると思います。主よ、あなたの平和の中で落ち着かせてくださり、平和を作り出す者として歩ませてください。





2012. 12. 05  
「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。(ローマ12:18)」

できれば、せめてあなたがたは・・・神との出会いが与えられた者として、私たちには世とは異なる生き方が指し示されています。

今日も私たちが遣わされて行くそれぞれの現実には、平和はどこにもありません。

苛立ちを発散して怒鳴る人がいる。誰かをおとしめることで、自分を高く見せようとする人がいる。

いじめがある。ねたみがある。だましがある。あの人は好きではないと、互いに排除しあう。

平和のない世界は、まことの愛を知らぬ世界です。

あなたがたは、まことの愛を知っているはずだね。だから、せめてあなたがたは・・・と、神は言われるのです。


「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。(同17節)」

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。(同19節)」

「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。(同14節)」

「悪に負けることなく、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(同21節)」


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちをあなたの平和の中で慰め、支え、心に平安を満たしてください。平和を作り出す力を持たないものです。敵のために祈ることができません・・。愛のない私を赦してください。私たちを、悪しき感情から解き放ってください。


2012. 12. 04  
「舌を悪から、唇を偽りの言葉から遠ざけ、悪を避け、善を行い、平和を尋ね求め、追い求めよ。(詩篇34:14-15)」

今週は、「平和を実現する人の幸い」を覚えて過ごしましょう。

平和は、地上のどこにもありません。これが罪人の世界の現実です。

しかし、無いからと開き直ることは、主の御心ではありません。

はっきりと命じられています。「平和を尋ね求め、追い求めよ。」

これは、詩篇23:6「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。」の「追う」と同じでしょう。

お前たちに完全な平和を得させたいと、主の恵みと慈しみが今日も私たちを追いかけてきてくださいます。

私たちも、心ざわめく時にふと立ち止まり、平和を追いかけることを思い出したいものです。


共に祈りましょう。

平和の源なる主よ。あなたとの垂直な関係を、決してないがしろにすることがないように、今日も聖霊によって信仰を燃やしてください。あなたとの平和な関係を、何度も確かめさせてくださって、心も体も十分に癒され、満たされてあることができますように。そして、いつも平和の心で、人々と触れ合うことができますように。
2012. 12. 01  
「信者たちは皆一つになって・・・毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。(使徒言行録2:44-47)」

生まれたばかりの教会が味わっている、真実の「交わり」と「成長」の記録です。

この交わりの中心には、祈りにおける一致があり、また一つのパンを共にいただく聖餐の一致がありました。

明日の礼拝では聖餐式が予定されています。

ある牧師の言葉が印象に残っています。

「聖餐は、キリストの体としての私たちの一致を確認する時でもあります。色んな事情で礼拝に来れず、この聖餐にあずかれない兄弟がいる、姉妹がいる。このことはイエス様にとって、体から足をちぎられた、耳をそがれたと同じような痛みであります。私たちにとってもまた、それは同様の痛みであります。」

それほどの思いをもって、兄弟姉妹のために祈ったことがあったでしょうか。



共に祈りましょう。

主よ、今週も今日まで無事に導かれ感謝をします。どうか主よ願わくは、明日の礼拝に、聖餐式に、私たちをことごとく呼び集めてくださり、キリストの血と肉に共にあずからせてください。病や痛みを抱える者、労働に従事せねばならない者、傷ついて心閉ざして礼拝から遠ざかっている者たちをも、どうかかえりみてくださって、善き導きを与えてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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