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2012. 12. 29  
クリスマスの喜びの中で過ごした今週も今日で終わり。

明日は今年最後の礼拝ですね。そしてこの御言葉メールも、今年はこれが最後となります。

9月からの三か月、皆さんの祈りに支えられて継続することができました。

問題は来年以降ですね。私たちは悲しい生き物ですから、新鮮味を失うと、ありがたみも見失ってしまいます。

イスラエルは荒れ野の40年の旅路において、再三モーセに愚痴をこぼしました。

「エジプトにいた時のごちそうが忘れられない。今はマナばかりでうんざりだ。奴隷生活に戻りたい。」

命のパンである御言葉に飽きるということは、容易に起こりえます。

しかし、今年最後に思い起こしましょう。

私たちは今年、どれほどに御言葉によって生かされてきたことか。

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。(マタイ4:4)」



共に祈りましょう。

主よ、今年一年、あなたは時宜にかなった美しい御言葉を、いつも差し出してくださいました。心から感謝します。

振り返れば、御言葉が私たちを癒し、励まし、立ち上がらせてくれました。御言葉が私たちを一つにしてくれました。祈りあう絆に導いてくれました。主よ、命の主よ、あなたの御言葉を、いつまでも私たちに与えてください。

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2012. 12. 28  
今週は、主が人間として来てくださったことの意味を考えています。

その際、主イエスの低さ・貧しさ、それゆえの身近さばかりに注目しては、本質を見失う恐れがあります。

この方は大いなる神の独り子であることを覚え、畏れを新たにしましょう。

「主は地を覆う大空の上にある御座に着かれる。地に住む者は虫けらに等しい。

・・お前たちはわたしを誰に似せ、誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。

目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方。それぞれの名を呼ばれる方の力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。(イザヤ40:22,25)」

できれば、イザヤ書40:12-31全体をお読みください。

クリスマスの主において私たちと共にいてくださる神は、このような畏るべき方です。

私たちを罪から救うためには、天地創造と同じ力が必要なのです。

宇宙を開いた神の力が、今日も、虫けらのような私たちに注がれています。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、天地の造り主よ、今日も全宇宙を恵みの支配によって導いてください。そのようなあなたに目を留めていただけるとは、私たちは何者でしょうか。あなたが今日も共にいてくださる。主よ、感謝します。
2012. 12. 27  
毎週この御言葉メールは、勝田台教会の主日礼拝説教と関連する聖句を取り上げています。

今週は「主は貧しくなられた」というテーマを深めています。

「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。(Ⅱコリント8:9)」

日曜日にはこの御言葉から、私たちのために生まれ、生き、そして死んでくださった、主の貧しさを考えました。

ただ、文脈をみますと実は、困窮する兄弟を助けるための慈善の業を勧める中で、この言葉は与えられています。

主は私たちに、自分ではない者のために生きることの尊さを教えてくださいました。

主はそれを「愛」だとおっしゃいました。

そして、主が私たちに与えてくださった「豊かさ」とは、そんな「愛の豊かさ」なのでしょう。


共に祈りましょう。

主よ、あなたに愛していただいて、私たちは愛を知りました。私たちにも、愛する力をください。イエス様のように生きたいのです。あなたが与えてくださったこの思いを、実現する力を与えてください。
2012. 12. 26  
25日は過ぎ、26日になりました。クリスマスのお祭り騒ぎは終わりです。

スーパーマーケットでは関連商品が半額セールになり、そして一気にお正月モードに変わるのです。

今年もそうやって、クリスマスが消費されていきます。

私たちにとっては、25日という日付は本質的にはどうでもいいと、説教で申し上げました。

26日になろうが27日になろうが、御子のご降誕の喜びは少しも変わりません。

すべてを食い散らかしながら、むなしく時を過ごしていく人類は、明らかに愚かです。

でも主は、愚かな私たちの惨状を放っておくことができず、激烈に天を引き裂き、下ってきてくださったのです。

私たち一人一人の失われた魂を、探し求めるために。

「天から遣わしてください。神よ、遣わしてください、慈しみとまことを。(詩篇57:4)」

こんな罪人の祈りに応えて、神の子が下ってきてくださいました。

御子のご降誕は、人類に対する神の慈愛と誠実を証明する出来事です。


共に祈りましょう。

愛する主よ、クリスマスを記念する礼拝や行事を、大きく祝福してくださったことに感謝します。今日よりまた新たな思いをもって、救い主イエス・キリストの誕生を喜び、主を信じ、主に従っていきます。主よ今日も、慈しみとまことをもって、私たちを導いてください。
2012. 12. 25  
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。

キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放したからです。

肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。

つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。(ローマ8:1-3)


クリスマスおめでとうございます。私たちに与えられた、限りなく尊いプレゼントを思い起こしましょう。

私たちにとってクリスマスは、御子の死とよみがえりを思い起こすべき時でもあります。

神は、私たちの罪を取り除くために、罪のない御子を、罪深い私たちと同じ姿でこの世に送り、

私たちの罪を、イエス様の罪として処断し、イエス様の命を、私たちの命としてくださいました。

この「喜ばしい交換」をもたらすために、神の独り子が、今日、生まれてきてくださったのです。


共に祈りましょう。

御子を与えてくださったほどに、私たちを愛してくださった主よ、あなたからいただいたプレゼントに私たちは喜びます。まことに尊い御子の命、この命をいただいて、今日も私たちは生きます。主よ、あなたの愛と平和を、このクリスマスの日に、世界中に満たしてください。
2012. 12. 21  
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。(ヨハネ8:12)」

間もなくクリスマスです。キャンドルのともし火は、暗い世にともされた希望の光を示しています。

命の光というイメージは、あの天地創造のはじめに通じます。

光あれとの神の言葉によって、世界に秩序を与える根源的な光が生まれ、そこからあらゆる命がはじまりました。

この光を失うなら、人間は混沌に呑み込まれてしまう。これが聖書の教えです。

この命の光を、すでに私たちは自らのうちに持つ者とされている。

このことの尊さを侮らないようにしたいものです。


共に祈りましょう。

命の光なる主よ、暗闇の中を歩む、この時代の人々を憐れんでください。

このクリスマスの時、天地を創造されたあなたの御腕の威力と、あなたが与えてくださったイエス・キリストという救い主の大いなる輝きを、この暗い時代に、私たちの現実に、どうかはっきりとお示しください。

※ 私は今晩から明日の早朝にかけて、若者たちとホームレスミニストリーで池袋駅に向かいます。お祈りくださればうれしいです。明日の配信はお休みさせていただきます。
2012. 12. 20  
「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。(フィリピ2:14-16a)」

不平や理屈を言わずにとは、自分の持論に合わさせようと神を引きずり降ろすのではなく、自分が神の言葉に合わせていくということです。

そうすれば、このよこしまな曲がった世界で、星のように輝く者として確実に整えられていきます。

星の光、それはまことにささやかです。広い宇宙の闇をわずかに照らす星のように、一つ一つは吹けば飛ぶような光に過ぎない。

でもその一つ一つがそろって輝くならば、満天の星空となって、確かに世界を明るく照らすのです。

星の光が朝をもたらすわけではありません。朝をもたらすのは太陽です。

ですから、私たちがこの世界を救おう、朝をもたらそうとがんばる必要はありません。

朝をもたらしてくださるのは、義の太陽であるキリストです。

私たちは、その太陽が昇るときを信じるだけです。

そしてその太陽の光に照らされて、ささやかな輝きをこの暗い時代の中で放つだけです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も世界は歪んでおり、大きな闇が広がっています。まず私のうちに、光を満たしてください。希望の光、愛の光をください。今日、私のあらゆる行動、あらゆる判断を清く導いてくださって、神の輝きを放たせてください。
2012. 12. 19  
「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。(コロサイ4:5-6新改訳)」

「塩味」のきいた言葉というのは、「罪を糾弾する鋭い言葉」に限られているわけではないようです。

「親切なことば」「快い言葉(新共同訳)」「やさしい言葉(口語訳)」と言われています。

文脈から察するに、これは福音伝道のために必要な言葉のようです。

主が与えてくださるお一人お一人との出会い。一期一会の出会いの「機会」を大切にする。

そして、その方の現実生活に深く福音の「塩味」が染み入っていくようにと、最大限の配慮によって言葉を選んでお届けする。

そのために必要なのは、相手への深い思いやりと、祈りです。

また、そういう言葉はその場しのぎで出てくるものではありません。

「いつも」心がけていることが大切です。

日頃から、兄弟姉妹や求道者の方々のために祈り続けている人は、きっとどんな新しい方との出会いにも、適切な言葉をもって応じることができるのでしょう。


共に祈りましょう。

愛する主よ、自分の生活に精一杯の私たちを憐れんでください。この心の狭さを赦してください。あなたはいつも、たくさんの出会いの機会を与えてくださっていることに気付きます。今日私たちが、親切な塩味のきいた言葉を語ることができますように、聖霊の導きを与えてください。
2012. 12. 18  
今週は「地の塩、世の光」というテーマを深めていきましょう。

「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。(マルコ9:50)」


今日はとても不思議な夢を見ました。

その詳細は省きますが、その中で二人の著名な落語家から、説教のダメ出しを受けました。

「坂井牧師はいつも優柔不断だ。」「人間の方ばかり向いているからダメだ。」夢とはいえ、ショックでした。

これは、私自身がいつも自覚して注意していることでもありますが、「お前は塩気を失っている」との神様からの警告かもしれません。反省したいと思います。

しかし、そのことをよくよく踏まえた上で、なお私は、人間をもっと深く見つめたいと決意を新たにしました。

「神を知る者は、人間を真に知る。」この神学的信念を貫きます。

地上現実の苦悩や、罪人の弱さを一切考慮せずに、「それはダメだ!!こうしろ!!」と上から断言すれば、優柔不断だとは言われないでしょう。

そのような言葉は「塩」としては純度が高いかもしれません。でも、料理に用いて、よい味をつけることができるのでしょうか。私たちや、私たちの隣人の「生活」に、本当に深く染み入って、味をつけることができるでしょうか。

すみません、今日はちょっと的外れなメッセージになりました。ただ皆さんにも、このようなことをよく考えながら、「地の塩」として今日も生きてほしいのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちはあなたから目を逸らし、言い訳ばかりしている罪人であります。どうか赦してください。自分の内に塩をもつことができますように、聖霊の導きを与えてください。
2012. 12. 15  
今週の最後に、義のために迫害される者の幸いを覚えながら、終末についてのイエス様の教えを聞きましょう。

2012年もまた、この世界の終わりが近づいていることを思わされる、闇の一年でした。

でも人間の歴史は、これまでのどの時代でも、そんな終末感に満ちていました。

だから、どれだけ世界が闇に満ちても、落ち着いて、希望の福音に踏みとどまりなさいと、イエス様は教えてくれます。


「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。

そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。

そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。

不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

そして、御国のこの福音はあらゆる民の証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る。(マタイ24:4-14)」


共に祈りましょう。

主よ、この暗闇に満ちた時代を憐れんでくださり、神の国を完成させてください。主よ、来てください!!私たちが、決して希望から離れることのないように、耐え忍ぶ力をください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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