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2013. 01. 31  
言葉の真実ということについて、こんな言葉が箴言に記録されています。

「真実を語る唇はいつまでも確かなもの。うそをつく舌は一瞬。(箴言12:19)」

うそをつく舌は一瞬・・・意味深長な言葉ですね。

A lie has a short life と翻訳している英語訳もあります。

「うそ」の命は短くて、あぶくのように浮かんでは消えていく。

そういう「うそ」で塗り固められた人の存在も、同じようなものなのでしょう。

今年から我が家では犬を飼い始めましたが、「犬はうそをつかないから好きだ」と言っていた人がいました。

人間は「うそ」をつきますし、「うそ」をつけるというところに、人間の賢さがあります。

しかし、そのような賢さは、神の栄光をあらわすものではありませんね。


共に祈りましょう。

真実なる主よ、願わくは「うそ」をつくことなく、今日の日を歩ませてください。永遠に真実なあなたの子として、私たちも真実な存在に作り変えられていきますように。
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2013. 01. 30  
「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。

約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。(ヘブライ人への手紙11:11)」

神は真実であり、神の約束の言葉は真実で、かならず成就する。

これこそ、神の民が長い長い歴史の中で与えられてきた確信です。

サラに子が与えられたように、絶対に不可能だと思われていたことが、神の恵みとしか思えない仕方で実現する・・・。

そして、「まさに聖書にあるとおり、神は生きておられるのだ、共にいてくださるのだ・・」と確信する。

そんなことが何度もあったからこそ、聖書は何千年の時をこえて保存されてきたのです。

神は自らの真実を、歴史の中で繰り返し証明してこられたのです。

今はネット上などで、一秒ごとに、天文学的な数字の言葉が発信されては消滅していく時代です。

「聖書」は、何度も燃やされましたが消滅しませんでしたし、これからも消滅することありません。

そんな、不滅の約束が、今日もわたしたちの手元にあるのです。


共に祈りましょう。

主よ、この言葉があふれる時代に、多くの人々がまことの指針を求めてさまよっています。私たちに聖書が与えられていることを感謝します。真実なる主よ、聖書にあるとおり、今日もあなたが生きておられると信じます。私たちを祝福してください。
2013. 01. 29  
今週は「一切誓ってはならない」との御言葉が与えられました。

その真意は、わざわざ誓う必要がないほどに、すべての言葉に真実を込めなさいということです。

私たちの語る言葉が不真実で、偽りばかりだから、「誓い」が必要になります。

「人はその隣人を警戒せよ。兄弟ですら信用してはならない。

兄弟といっても「押しのける者(ヤコブ)であり、隣人はことごとく中傷して歩く。

人はその隣人を惑わし、まことを語らない。

舌に偽りを語ることを教え、疲れるまで悪事を働く。

欺きに欺きを重ね、わたしを知ることを拒む、と主は言われる。(エレミヤ9:4-5)」


昔、テレビ関係の仕事をしていた知人から、「テレビは全部嘘だよ」と言われたことを思い出します。

私たちは悲しいかな、誰の言葉も信じてはいけない世界に生きています。

しかし、神は真実です。この神を「知る」者も、真実を語り始めるはずです。


共に祈りましょう。

真実なる主よ。偽りに満ちた私たちの世界にあって、真実な言葉を回復させてください。今日与えられるすべての会話の中で、小さな「はい、いいえ」の一言一言に至るまで、誠実に、明確に語ることができますように。

2013. 01. 26  
「 慈しみと秩序を、私は歌おう。あなたを、主よ、私はほめ歌おう。

私は見定めよう、一途な道を。
    
いつ、あなたは来てくださるのか、私のほうに。

私は歩む、心のひたむきさをもって。わが家のただ中で。(詩篇101:1-2 私訳)」


「一途な道」とは、新共同訳では「完全な道」とされています。

神が求められる完全さとは、一途に、ひたむきに主を愛し、主の道に歩む心です。

そんな神への一途は、配偶者への愛の一途におのずと通じます。

今週は、そんな「一途な道」について、思いを深められた一週間でした。

今日は備えの一日です。明日の礼拝に向けて、心が一筋に整えられるように聖霊に求めましょう。

この「一途な道」を歩んでいくならば、主は必ず向こう側から、私たちのところに来てくださいます。


共に祈りましょう。

契約の主よ、背く私たちをも一途に愛しぬいてくださる主よ。私たちも一途にあなたを愛することができますように、今日の日に心を整えてください。


配偶者の与えられている方々は、ぜひ、共に祈りあって今日の日をお過ごしください。
2013. 01. 25  
「姦淫するなかれ」と命じられる神は、何度裏切られても、なお一途に神の民を愛しぬかれる契約の神です。

エゼキエル16章は、神の民の姦淫がこれでもかと糾弾されたその後に、

こんな福音の予告でしめくくられています。

「だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起こし、お前に対して永遠の契約を立てる。

・・・しかしお前が契約を守ったからではない。

わたしがお前と契約を立てるとき、お前はわたしが主であることを知るようになる。

こうして、お前が行ったすべてのことについて、わたしがお前を赦すとき、お前は自分のしたことを思い起こして恥じ、

自分の不名誉のゆえに、二度と口を開くことはできなくなる。(エゼキエル16:59-63)」


イエス様による十字架の犠牲と罪の赦しには、こんな神の思いが込められているのです。

今やわたしたちは、イエスの血でたてられた、「永遠の救いの約束」に生かされています。


共に祈りましょう。

主よ、今日の日に、あなたの愛を裏切ることなく、誠実に神の道を歩むことができますように、聖霊の導きをお与えください。一途にあなたを信じ従う、一筋の心をわたしたちに与えてください。
2013. 01. 24  
旧約聖書においては、イスラエルの偶像崇拝=主なる神への裏切りが、「姦淫」と呼ばれます。

「背信の女イスラエルよ、立ち帰れと主は言われる。

わたしはお前に怒りの顔を向けない。わたしは慈しみ深く、とこしえに怒り続ける者ではないと、主は言われる。

ただ、お前の犯した罪を認めよ。

お前は、お前の主なる神に背き、・・・他国の男たちと乱れた行いをし、わたしの声に聞き従わなかったと、主は言われる。(エレミヤ3:12-13)」


日本のクリスチャンは、少数であるがゆえに信仰がしっかりしていますから、仏像を拝んだり神棚に手を合わせることはないかもしれません。

でも、祈りを忘れたまま一日を過ごすことはないでしょうか・・。

あるいは、今は神様のことはちょっと置いておいて・・と、神様抜きで現実に取り組んでいませんか・・。

一番余裕のない時にこそ、わたしに立ち帰りなさい、聖書に聞き従いなさいと、今日も主は招いておられます。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、今日もあなたに信頼します。他のなにものでもなく、ただあなたに信頼します。主よ、聖霊を満たしてくださり、私たちの信仰を「姦淫」から守ってください。
2013. 01. 23  
今週は、「姦淫するなかれ」という戒めから、「結婚相手を誠実に一途に愛しぬきなさい」というイエス様の教えが与えられています。

エフェソ5:21から、妻と夫の関係が、教会とキリストの関係にたとえられています。

教会がキリストに仕えるように仕え、キリストが教会を愛したように愛しなさいと、教えられています。

「『それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。』この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。

いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。(エフェソ5:31-33)」


できれば、5:21-33の全部をお読みください。

「夫」と「妻」を、全部入れ替えて読んでもよいでしょう。

このような献身的な夫婦愛の教えは、聖書がルーツなのです。

そのようなパートナーへの誠実な愛と、神への誠実な愛とは、表裏一体なのです。


共に祈りましょう。

主よ、愛なき私たちに、あなたが愛を教えてくださいました。夫婦が互いに愛し合うことは本当に難しいです・・。互いの罪が邪魔をしています・・。主よ、どうか憐れんでください。赦してください。あなたの大きな愛を、今日も私たちの間に満たしてください。
2013. 01. 22  
昨日娘が、「目からウロコ」ってどういう意味?と聞いてきました。

そこで、一般的な意味とともに、聖書を引きながらことわざの由来を教えてあげました。

「すると、たちまち目からウロコのようなものが落ち、サウロは元通り見えるようになった。(使徒言行録9:18)」

「目からウロコ」とは、このサウロ(=パウロ)の開眼に由来しています。


キリスト者を憎む鬼の迫害者だったサウロが、復活のイエスの栄光に打ちのめされて、目が見えなくなります。

そして三日三晩、目が見えず、食べも飲みもしないという「死」を経験した後、

イエスに遣わされたアナニアによって目が開かれ、ただちに回心するのです。


「福音を知ってから、見えるものが全然違う。考え方や、歴史のとらえ方まで、すべてが変えられた。」

先日、ある姉妹がそのように証ししてくださいました。

目に映る景色は同じでも、ウロコの落ちた目で見れば、すべてが新しく輝きだします。


共に祈りましょう。

愛する主よ、今週も日々御言葉によって私たちの目を開いてください。昨日まで見えなかった、神の恵みと愛を、今日、いつもの景色の中に発見することができますように。


2013. 01. 19  
「つまり、神はキリストによって世をご自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。

ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。

キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。(Ⅱコリント5:19-20)」

今週私たちは、自らの謝罪を伴う隣人との和解についてのイエス様の教えに深まってきました。

「関係の断裂は向こうのせいだと思っていたけど、自分にも悪いところがあったと、思いを改めました」というお声も耳にしました。

主は私たちそれぞれに、和解の必要の「気付き」を与えてくださった一週間でした。

隣人の前にも、神の前にも、赦していただかねばならない罪が、たくさんあります。

まず、お言葉に甘えて、神と和解させていただきましょう。

もし隣人との和解ができなくとも、神はそのあなたをもう赦しておられます。

いつも、この和解の平安からスタートしましょう。


共に祈りましょう。

主よ、あなたに赦されていることを感謝します。今週与えられた「気付き」に感謝します。今それぞれの心に芽生えた思いを育んでくださって、どうか必要な時に、ふさわしく、それぞれの和解へと至らせてください。
2013. 01. 18  
「しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。

そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、

神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。

また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、

人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、

信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。

こういう人々を避けなさい。(Ⅱテモテ3:1-5)」


今週は「隣人との和解」ということがテーマになっていますが、今日の御言葉にも「和解せず」とあります。

今の時代も、まさに「終わりの時」のようです。

私たちは、この時代に流されて、「こういう人々」の一人のままでいてはいけないはずです。


共に祈りましょう。

救いの主よ、邪悪なこの時代から救い出してくださり感謝します。どうか主よ、今日も聖霊を注いでください。私たちの内と外の罪と戦い、隣人とのあいだに和解と平和を実現できますように、聖なる力を与えてください。


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勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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