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2013. 02. 28  
「主は天から見渡し
人の子らをひとりひとりご覧になり
御座を置かれた所から
地に住むすべての人に目を留められる。
人の心をすべて造られた主は
彼らの業をことごとく見分けられる。(詩篇33:13-15)」

神様は、私たちの言葉と行いを、また心の中までも、天からすべて見ておられるよと、教えられています。

神に監視されていると考えるなら、緊張であり恐怖です。

でも今や神は、キリストの十字架の血のゆえに、私たちを無条件で愛してくださいます。

ダメなところを赦してくださり、がんばっているところをほめてくださいます。

今日も、神を愛し、隣人を愛そうと、みなさんは色んなかたちで努力なさることでしょう。

介護や看護という形で、あるいは子育てという形で、隣人に仕えている人もいます。

困っている友人に手を差しのべる機会が、今日与えられる人もいるかもしれません。

そんなあなたの「愛の業」は、もしだれからもほめられなくても、あなたの父である神が、必ず見ていてくださいます。あなたと共におられます。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、すべてを見ていてくださるあなたに感謝します。天の国において、あなたにお会いするその時に、あなたから少しでもほめていただけるようになりたいのです。主よ、聖霊の力を注いでくださって、今日もあなたの愛の道を歩ませてください。
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2013. 02. 27  
昨日、二人の若者が牧師室をたずねてくれました。一人は、まだ洗礼を受けておられない求道の友です。

「神を信じる」ということのすばらしさを教えてほしい。

そんな彼らのまっすぐな若さに、私も大きな刺激を受けました。大変うれしい時間でした。

彼らが求めているのは、自分を根源的に支えてくれる神の存在の確信です。

今は怖いものなしの若者たちですが、これからの長い生涯、たくさんの挫折があるでしょう。誰かを傷つけ、誰かに傷つけられ、疲れ果ててしまうこともあるでしょう。

そんな時に、こんな御言葉を思い出してほしいと願うのです。

「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
 主は、とこしえにいます神。
 地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
 倦(う)むことなく、疲れることなく、
 その英知は極めがたい。
 疲れた者に力を与え
 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
 若者も倦(う)み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
 主に望みをおく人は新たな力を得て
 鷲のように翼を張って上る。
 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ40:28-31)」

この神が、わたしたちの信じている方です。

共に祈りましょう。

大いなる主よ、今日もあなたは生きておられ、私たちを導いていてくださると信じます。今日、私が倒れる時、どうか主よ、復活の命を注いでくださって、鷲のように再び飛翔させてください。
2013. 02. 26  
ホームページに「青年の小部屋」がオープンしまして、2月はY.H兄の声が載っています。

その中で、とても印象深い、こんな証しの言葉があります。

「僕が信じている神様はいつも近くで見守ってくれています。それと同時に緊張もします。しかしなにより、心の大きな支えになります。」


「緊張」というのが、素直でいいですね。

私自身も、初めて聖書の神を知った時は、慰めよりも恐怖が先に立ちました。

「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこともすべて、裁きの座に引き出されるであろう。(コヘレト12:14)」

この神を知ることは、人生に緊張をもたらすでしょう。

でもこの神は、「・・それでもお前が愛しくて仕方ない」と見守り続けてくださいます。

それが、十字架の主が私たちに与えてくださった、神の子とされる特権です。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、すべてを見ておられるあなたの前で、今日も私たちは生きます。過ちを赦してください。誘惑から守っていてください。そして、今日も精一杯、神の子として励ませてください。
2013. 02. 23  
「モーセは彼らに言った。『これは主が仰せられたことである。明日は休息の日、主の聖なる安息日である。焼くものは焼き、煮るものは煮て、余った分は明日の朝まで蓄えておきなさい。(出エジプト16:23)」

明日は日曜日。キリスト教の安息日です。

安心して息をする日と書いて、安息日です。

父なる神のひざもとで、完全なる霊的平安と憩いに満たされたいものです。

私たちには、肉体の休息が必要であり、それ以上に魂の安息が必要です。

何度も言いますが、私たちが礼拝を守るのではなく、礼拝が私たちを守ります。

明日の礼拝に集中することができるように、できるだけお仕事を片付けておけるといいですね。

慰めの主が、私たちに命の水を注ごうと、待っていてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ、今週も今日までの歩みが守られ感謝します。今日、休日が与えられている者には、十分な休息をお与えください。願わくは、兄弟姉妹がみな守られて集められ、そろってあなたの慰めにあずかることができますように。
2013. 02. 22  
昨日に続いて、祈祷会で分かち合った御言葉をお届けします。

「レメクは182歳になったとき、男の子をもうけた。彼は『主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名づけた。(創世記5:28-29)」

ノアの命名に際するレメクの言葉は、人類すべての祈りを背負っています。

人間の堕落ゆえに大地は呪われ、人間と大地の関係はゆがみ、人間は食べるのに労苦する宿命となりました(創世記3:17)。

だから、私たちにとって、・・・生きるということは苦しいのです。

そんな「労苦」から解き放つ、根源的な「慰め」がほしい・・・、

そのレメクの祈りを成就してくださるのは、ノアではありません。イエス・キリストです。

主は、私たちの生きる苦しみに、「慰め」をもたらしてくださる方です。

今日も、あなたが汗と涙を流し、疲れ、悩み、肩で息をし、背中を丸める、・・・その横にイエスはおられます。

あなたに寄り添い、あなたの重荷を負い、その労苦には確かな意味があることを、そっと教えてくださいます。

「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ11:28)」


共に祈りましょう。

慰めの主よ。今日もまた私たちは、あなたに命を与えられたことを感謝します。今日も、生きることは苦しいものでしょう。でも主よ、あなたが慰めを満たしてください。
2013. 02. 21  
「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。(創世記5:24)」

昨日の祈祷会で、この御言葉を分かち合いました。

たった1行の記事ですが、ここから様々なエノク伝説が生まれました。

代々の教会は、エノクという人物に、一つの信仰の理想を見たのです。

それは、彼が「神と共に歩んだ」とあるからです。

神と二人三脚で、呼吸を合わせ、神の思いを我が思いとし、神と共に歩む・・・。

神様は、イエス様において、「いつもあなたがたと共にいる」と約束してくださいました。

神様のほうではそうやって、私たちと共に歩んでいてくださるのです。

だから私たちも、神様と呼吸を合わせて、共に歩みたいですね。


共に祈りましょう。

愛する主よ、生きる時も死ぬ時も、昨日も今日も明日も永遠までも、あなたが私たちの体も魂もとらえていてくださり、共に歩んでいてくださることを、本当にありがとうございます。今日、あなたに与えられた一日を、確かにあなたと共に歩ませてください。
2013. 02. 20  
先の日曜日の全体学習会で、「説教経験=御言葉体験」ということが話題になりました。

神の御言葉にズドンと心を打ちぬかれた、ふわっと心が軽くされた・・・という「体験」です。

そういうことを考えたことがなかったという方もいらっしゃいました。

でも、そんなに大げさなことではないのです。

例えば、昨日ある方が、教会に初めて訪れた時にいただいたハガキを見せてくださいました。

そのハガキには、有名な御言葉が書かれていました。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)」

この言葉をいただいて、「ああ、私ここにいていいんだ・・」と、心安らかになったそうです。最初の御言葉体験ですね。

このメールは、ホームページを通して、未信者の方々にも読まれています。

今日もだれかが、すてきな御言葉体験を得ることができますようにとお祈りしています。


共に祈りましょう。

主よ、命の言葉を、今日も私たちに与えたまえ。わたしたちが暗闇に、とどまることがないように、主よ、御言葉の光で照らしてください。病んでいる者に、深く傷ついた者に、心が重くて仕方ない者に・・、主よ、命の言葉を与えてください。
2013. 02. 19  
最近は山上の説教の解き明かしが続き、毎週非常に厳しいメッセージです。

こんなダメな自分が、教会にいていいのだろうかとさえ思うとのお声もいただきました。

取り次ぐ私自身、毎週本当に苦しくて、逃げたくなることばかりです。


でも、「こんなダメな自分」との気付きが与えられたことが、何よりすばらしいことなのだと思います

それこそが、神の恵みの御業のはじまりなのです。

新しく家を建てる時には、古い家をこわさねばなりません。

今私たちは、まだまだその段階にあります。

今主は、私たちを打ち砕いておられる最中です。

そして、打ち砕かれることで、初めて主の慰めが染みてきます。

「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。(詩篇34:19)」


共に祈りましょう。

主よ、今週も古い私たちを日ごとに砕いていってください。私の愛する兄弟姉妹のお一人お一人が、あなたの聖霊と御言葉によって、深い深い慰めを得ることができますように。







2013. 02. 16  
今週は、「敵を愛しなさい」との教えを思い巡らしてきました。

私の敵とはだれか、愛するとはどういうことかと考えてきました。

今日、週の最後の日に思い返したいのは、だれより私たち自身が、神の「敵」であったということです。


「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。(コロサイ1:21)」」

それぞれ、今週の歩みを静かに思い起こしましょう。

今、忙しい手を止めて祈りの時間を確保してください。神と向き合い、自分と向き合いましょう。


私たちは神の敵です。でも、そんな私たちが、キリストを通して神の御前に招かれています。

「しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、ご自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。

ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。(コロサイ1:22-23)」


共に祈りましょう。

主よ、あなたから離れては、私たちは渇きはてて滅びます。あなたとの間に和らぎを与えていただいたことを、心から感謝します。主よ、今日の一日、あなたの福音の希望の中で、安らかに歩ませてください。
2013. 02. 15  
「敵を愛する」という教えを思う時、「愛する」とはどういうことかも改めて問わねばなりません。

ある兄弟が繰り返し指摘してくださっていますが、「愛する」と「好き」は違います。

「好き」は感情であり、だれにも備わる自然なものです。

「愛する」は意志であり、神から与えられる特別な能力です。

「好き」は自分からはじまり、自分に正直であろうとする自己本位な思いです。

「愛する」は相手からはじまり、相手に与えることへと向かう他者本位な思いです。

敵を「好き」になることはできません。しかし、「愛する」ことはできます。


他にも言っておきたいことは山ほどありますが、字数が足りません。

考察はここまでにして、聖書の中でも特に有名な「愛」の教えに聞きましょう。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(Ⅰコリント13:4-7)」


共に祈りましょう。

主よ、愛なる主よ、私たちにも「愛する」力をください。今日も、決して好きになれない人と会わねばならない人もいるでしょう。決して好きになれない人との因縁を、抱えている人もいるでしょう。主よ、どうかあなたの愛で、まずはその心を十分に癒してくださいますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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