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2013. 04. 12  
「モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もしご好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。(出エジプト34:8,9)」


モーセの願いが記されています「わたしたちの中にあって進んでください。」

図々しいにもほどがあります。

聖なる大いなる神に対して、醜く卑小な私たちの「中で」、身を縮めるようにして、共に歩んでくださいと願っているのです。

神からすれば、見たくはないような愚かな私たちの現実を耐えねばなりません。

聞きたくもないような、罪深い祈りも聞かねばなりません。

でも、どうか主よ、このかたくなな民の罪を赦し、私たちの中で、私たちと共に歩んでください。

そして「嗣業」として、すなわちご自分の宝として受け入れてください・・・。

主はこのような図々しい願いを受け入れて、今日も「わたしたちの中で」歩んでくださいます。

それは、イエス様の全存在をかけた執り成しのゆえなのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたを信頼できず、本当にかたくなな者であることを思わされる日々です。主よ、赦してください。このような私の中で、私と共に、今日もあなたが生きていてくださると信じます。主よ、憐れんでください。
2013. 04. 11  
主は言われた「・・・わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。(出エジプト記33:19-20)」


神の顔(正面)を見た者は死ぬと言われています。

神はそのような聖なる恐るべき方であり、この方の前で罪人である私たちは、本来全員死ぬべきです。

その神が、ご自分の民として選んでくださって、自ら近寄ってくださったのに、イスラエルの人々はかたくななままでした。

イエス様が世に来られた時も同じでした。

聖なる神の独り子が、目に見えるお姿で来てくださって、だれも見たことがない神を示してくださったのに、人間はこの方を拒んで殺したのです(ヨハネ1章1~18節)。

私たちはいつも同じことを繰り返しています。

罪人のままでいることを望み、神のまぶしさを拒みます。

しかし、それでも神は私たちの滅びを望まず、

「恵もう、憐れもう」との思いに駆られて、ご自身の栄光を示してくださいます。

その栄光とは、イエス様の生涯に凝縮された、愛の光です。

今日も、この愛の光が照らしていてくださいます。まぶしいなどと言ってられません。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの恵みを拒み、光を拒み、古い罪人の自分のままでとどまろうとする私たちをゆるしてください。病に、不安に、悲しみに縛られて、暗闇の中にいる私たちです。今、愛の光で照らしてください。今日の日を、光の中で歩ませてください。
2013. 04. 10  
主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳造を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。(出エジプト記32:7,8)」


出エジプト記の32章は、有名な金の子牛の場面です。

イスラエルの人々は、その直前に神様と愛を契り合ったはずなのに、その舌の根も乾かぬうちに、金の子牛という偶像を作り出し、戒めを破ります。

「早くもわたしが命じた道からそれてしまった」と、神は嘆き怒られます。

いわば、結婚式当日に浮気しているようなものです。

新郎が少し席を外しただけで不安になってしまって、だれでもいいから誰かに頼りたいと、そばにいた男にしなだれかかる花嫁を想像してみてください。
 
しかし私たちは、馬鹿にしていられません。

日曜日に、確かに神から「わたしはあなたを守り抜く父であり、救い主である」と聞いたはずなのに。

「私はあなたを信じ従います」と告白し、賛美歌を歌ったはずなのに。

今日は水曜日、「神はどこにおられるのか」とオロオロしてはいませんか。


大丈夫です。今日も神は、確かに生きておられます。


共に祈りましょう。

愛する主よ、あなたを裏切るに早く、信頼するのに鈍いわたしたちをお赦しください。あなたの姿が見えないことが不安なのです。どうか心の目を開いてくださり、頼るべき方はあなただけであることを、はっきり教えてください。
2013. 04. 09  
今日からしばらく、月刊誌リジョイスの原稿執筆を兼ねさせていただきます。おゆるしください。

「イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。(出エジプト記31:16)」


まことのイスラエルと自認するキリストの教会においては、主イエスが復活された日曜日を、キリスト教安息日として守ります。

聖なる日、安心して息をする日として、神のひざもとで憩うことを最優先して過ごすのです。

ちょうどマリアが、すべての手をとめて、主の声に聞き入っていたように(ルカ10:39)

私たちは、「自分が神の民である」ことを証しするために、安息日の掟を守る必要があります。

でも、私たちが安息日を守るより先に、安息日が私たちを守ってくれるのです。

安息日は、神が与えてくださるリセットの日です。神が私たちの救いの神であり、私たちはやがて完全な永遠の光の国へと至ることを、週ごとに確認させていただく日です。

この安息日の永遠の慰めの光に照らされて、今日も精一杯の労働に向かいましょう。


共に祈りましょう。

安息の主よ、永遠の日曜日へと向かう私たちの毎日に、祝福を満たしてください。今日の旅路に、試練や悲しみを味わう人もいるでしょう。主よ、お一人お一人の歩みを見守り、永遠の安息の光をもって慰めてください。
2013. 04. 06  
明日は爆弾低気圧によって大荒れの天気が予想されます。

しかし、可能な限り多くの方が礼拝に出席できるようにと祈っております。

「礼拝=Worship」の語源は、「Worth=価値」であると言われます。

「神様の価値を認める」ことが礼拝です。

もし私たちが、10円や100円のお賽銭を投げて神を礼拝するなら、それだけの価値しか認めていないことになります。


「ああ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造られました。あなたの御力の及ばない事は何一つありません。あなたは恵みを幾千代に及ぼし、父祖の罪を子孫の身に報いられます。大いなる神、力ある神、その御名は万軍の主。(エレミヤ32:17-18)」

この「大いなる神」の価値を真に認める時、その神の最愛の作品としての「わたし」の価値も認めることができます。

神はわたしの価値を認め、尊い独り子の命を差し出してくださいました。

わたしはどのようにして、神の価値を認めたらいいでしょうか・・・。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、イエスの復活の希望に励まされた、今週の歩みを感謝いたします。願わくは明日、兄弟姉妹とともに、喜びと感謝とまごころをもって、あなたを礼拝することができますように。
2013. 04. 05  
Tymothy Leadership Trainingを終えて、昨晩、無事に神戸から戻ってまいりました。大変充実した三日間でした。

朝から夜の12時まで、ひたすら賛美と聖書の学びと、祈りと語り合いに没頭しました。

この訓練会は世界的な規模で展開されているものですが、教派の仲間の牧師たちと共に、三年前から、有志で参加しています。

今回も牧師、牧師夫人合わせて15人ほど(プラス幼子が9人!)で集まり、トレーナーのジョン・ゴー宣教師から学びました。

ちょうど一年前、勝田台教会に赴任する直前に、前回の訓練会がありました。

新任地に向かう前に、神への信頼と、主から選ばれた誇りと自分の使命とを確認しました。

その時、先生や仲間たちに囲まれて祈ってもらい、勝田台の地へ送り出されたことを鮮烈に覚えています。


そして、最初の礼拝説教(イースター)で、私はこの箇所を取り次ぎました。

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。・・・』(ヨハネ20:19-22)」

復活の主はまさにこのようにして、傷つきうなだれていた勝田台教会に、平和を満たし、聖霊を注いで命を呼び覚ましてくださいました。

先主日、献金感謝祈祷でT姉が、「私たちの教会の新しいストーリーを歩ませてください」と祈ってくださいました。

そうです。復活の主は私たちを、新しい使命へと「遣わし」てくださいました。

私たちの新しいストーリーは、まだ始まったばかりです。


共に祈りましょう。

命を生み出される主よ、あなたに信頼いたします。今日もわたしたちを、復活の命と希望で満たしてください。今うなだれている方々が、どうかあなたの平和に満たされますように。聖霊の慰めが満たされますように。
2013. 04. 02  
私は今日から、牧師の訓練会のために神戸に行き、霊的なリフレッシュをさせていただきます。

明日明後日と、配信は、お休みさせていただきます。


今週は、イエス様の「復活」の希望を豊かに味わいながら、一週間を過ごしていただきたいです。

イエスが復活されたように、私たちも終わりの日に復活させていただける。これが究極の希望です。

「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。(Ⅰコリント15:20-22)」


この「復活」の喜びが、私にはよく分かりませんでした。

生き返っても、また生きるのはうれしくないなあ・・。人生はつらいのに・・。と思っていました。

でも違うのです。ただ生き返るだけではないのです。

今の自分を悩ます、死、病、貧しさ、劣等感・・、それらすべての「罪の悲惨」が克服されて、イエス様と同じ「栄光の人」としてよみがえるのです。

世界全体も、悪や戦争や悲しみから解放されて、完全な喜びに満たされます。

「復活」の希望とは、そういう、永遠のハッピーエンドの約束です。

人生というのは、折々のハッピーエンドの後も、なお続けていかねばならぬ長い旅路です。

でもその向こうに、究極のハッピーエンドを、主が用意してくださっています。


共に祈りましょう。

復活の主イエス・キリストの父なる神よ、キリストの復活によって開かれた命の道を、今日も歩ませてください。私たちに約束された、究極の希望を感謝します。今苦しんでいる方々が、この希望によって、慰めを得ることができますように。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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