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2013. 06. 15  
今週私は、役員修養会などで実にたくさんの方々と話をし、励ましも与えられました。

そんな中で、ある牧師が教えてくださったことをお伝えします。


今、冬のような厳しい時を迎えている人がいるでしょう。

そういう方は、今が冬であることを認めましょう。

春に若葉を出すためには、冬に葉を落とすことも必要です。

人は、自分の力では季節を変えられません。天の父が、ふさわしい時に春をもたらしてくださいます。

だからジタバタしないで春を待ちましょう。

しかしそれは、何もしないであきらめるということではありません。

箴言20:4にこうあります。「怠け者は冬になっても耕さず、刈り入れ時に求めるが何もない。」

冬に葉を落としているからといって、木は死んでいるわけではありません。

だから、しっかりと土を肥やし、手入れをしてあげる必要があります。

冬の次には、必ず春がすぐそこに待っているからです。



・・・・さて、今の皆さんにとって、「耕す」とは何をすることでしょうか?

それぞれにじっくりお考えください。



共に祈りましょう。

主よ、私たちそれぞれが、それぞれの冬を迎えています。教会もまた冬の季節を迎えています。どうかそれぞれにふさわしい知恵と力を与えてくださって、冬の間によく耕すことができるようにしてください。
2013. 06. 14  
今週与えられたメッセージは、「罪に死ぬ、そして新しい命に生きる」という、キリストの「道」のすすめでした。


イエス様は、ヨハネ8:1-11で、罪深い姦淫の女にこう言われました。

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

主は、「これまで」の私たちの罪深い歩みを赦してくださいます。

そして、「これから」の新しい命を与えてくださいます。


私たちは「これまで」の自分の間違いを後悔しても、もう取り戻すことはできません。

私も今、深く後悔していることがあります。でもやりなおせません。

主に赦していただくしかありません。

そして、主が用意してくださる「これから」の道を、新しい心で歩みだすよりありません。

主に赦された今日という日を、もっと愛の人として、もっと希望の人として、誠実に歩ませていただきましょう。


共に祈りましょう。

主よ、間違いだらけの私たちを赦してください。どうかこの一日、昨日までよりももっと愛の深い者として、イエス様のように、イエス様のために生きることができますように。
2013. 06. 08  
今週は、「なぜ人を殺してはいけないの?」という問を起点に、人間の尊厳について考えました。

聖書の人間観で一番大切なことは、「人は神のかたちに造られた」ということです。

創世記1:27「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」


では、「神のかたち」とはどういうことか?

それは、神と心を通わせあうことのできる霊的存在としてつくられたということです。

神に呼びかけられ、神を呼ぶ、神に祈り、神を礼拝し、神を愛し愛される。

そんな風に神と向き合うことができるのは人間だけです。

思い出すのは、娘が話ができるようになった時のことです。

今までは泣いて食って寝るだけだった赤ん坊が、コミュニケーションできるようになったことが、本当にうれしいと妻は言いました。

神様もまたそんな風に、私たちと心を通わせあうことを、喜んでいてくださるのです。

そして明日の礼拝において、そんな神とのコミュニケーションの喜びへと、私たちは招かれています。


共に祈りましょう。

主よ、わたしたちの創造者よ、今週もあなたの特別な愛に導かれて、ここまで歩んでくることができました。感謝します。今、病を得ている方、弱さの中にある方が、今日も尊厳をもって歩むことができますように。
2013. 06. 07  
だれの言葉か忘れましたが、私のメモ帳に載っている言葉があります。

「眠ることだけが幸せだ、死ぬのはさらによい。しかし最もよいのは生まれないことだ。」

そんな空しい気持ちに沈んでしまう時が、私たちにもあるかもしれません。

しかし、たとえ自分自身が、生まれてこなければよかったと思っても、神はそう思っておられません。

神はあなたの存在を望んでおられます。それが聖書の伝えていることなのです。


「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』(創世記1:26)」

ほかの動物を創造される際には、こんな風に「造ろう!!」とは言われていません。

神様ご自身の中で、問いかけている「われ」と答える「われ」がいらっしゃいます。

この両者が深く思いを巡らした末に、完全にひとつに練り上げられた答えとして「よし、我々は人を造ろう!!」と言っておられるのです。

それほどの強い決意がここには示されています。

私たち一人一人は、このようにして神に強く望まれて産み出され、今日も生かされているのです。


共に祈りましょう。

愛する主よ、自分自身をぞんざいに扱ってしまう私たちの罪を赦してください。今日もあなたに創造された喜びを、豊かに味わわせてください。
2013. 06. 06  
ブルネイのクリスチャンからこんな話を教えてもらったと、あるページで紹介されていました。

おじいさんと孫の会話です。

「おじいちゃん、どうして毎日聖書を読んでいるの。おじいちゃんは物忘れも激しいし、何の役にも立たないじゃないか?」。そう尋ねる孫におじいちゃんは、かたわらにあった木桶で近くの川から水を汲んでくるように言います。

でも、その木桶には穴が開いていて、孫がおじいちゃんのところに戻って来るまでに、せっかく汲んだ水がすべてこぼれてしまいました。それでも、おじいちゃんは孫にもう一度水を汲みにいくように言いましたが、結果は同じです。

「おじいちゃん、無駄だよ。だって穴があいているんだもん」。でもおじいちゃんは言いました。「その木桶の中を見てごらん。一見無駄なように見えるけれど、何度も何度も水入れを繰り返すうちに木桶の中は綺麗になっていくんだよ。

聖書を読むことも同じさ。おじいちゃんはもう年寄りで読む先から今読んだことを忘れてしまうけれど、神様のお言葉を読むことによって少しずつ心が洗われているんだよ」。



この毎朝の御言葉メールも、そんな風にして主に用いられていると信じて、皆さんにお送りしています。

わたしたちも、驚くほど早く御言葉を忘れてしまう情けない者ですが、そんなわたしたちのために毎日御言葉を与えてくださる主に感謝したいと思います。

「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。(ヤコブ1:21)」



共に祈りましょう。

愛する主よ、今日もあなたの御言葉をくださって、この心と魂を清めてください。わたしたちそれぞれの、聖書と向き合う時間を導いてくださり、霊的な祝福で満たしてください。
2013. 06. 05  
人を殺すということには、言葉による殺人、心の中での殺人も含むと確認しました。

そうやって誰かを殺す時、自分の中でも大切な何かがひとつずつ失われていきます。

敵を人間だと思うなと訓練された兵士たちの、心が壊れていったように・・。


私たちは、アダムの堕落以来、決定的な何かを失い、今も失い続けています。

神は、そんな私たちの現実を悲しみ、本来のすばらしさを回復させたいと、願っておられるのです。

天地創造の終わりにこう記されています。「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世記1:31)」

この「すべてのもの」のところに、ご自分の名前を入れてみてもよいでしょう。

このように、あなたは「極めて良い」ものとして創造していただいたのです。

残念ながら、今はそのすばらしさを見失っています。

でもイエス様が、その偉大なご生涯を通して、そんな人間本来のすばらしさを完全に示してくださいました。

神様は、このイエス様という道を通って、わたしたちも人間を回復するようにと招いてくださっています。



共に祈りましょう。

主よ、今日も傷つけあい、殺しあう私たちをお許しください。主イエスを信じ、従いゆくことができますように。今日、昨日よりほんの少しでも、イエス様に似せていってくださいますように。

2013. 06. 04  
日曜日には、「どうして人を殺してはならないの?」と考えました。

イエス様は、相手に「バカ」ということも、言葉による殺人だといいます。

心の中で「いなくなれ」と思うこと、それも殺しているのと同じだと・・。

それはすべて、相手の尊厳の否定です。

そして、そうやって相手を人間として大切にしなくなると、結局自分のことも大切にできなくなるものです。

最近はヘイトスピーチに象徴されるように、自分の不安や不満をごまかすために、だれかを貶めてやろうという人が多すぎます。

昔から日本人は、そういうことをし続けてきました。

でも、そんなことで、本当の自尊心が育まれるはずもありません。


本物のプライドは、あなたを極みまで愛される、神の愛の中で育まれます。

「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の身代わりとする。(イザヤ43:4)」

私の身代わりに、イエス・キリストを与えてかまわないというほどに、神は愛してくださいました。

神がこれほど大切にしておられる、私たちのことを、私たちが大切にしないわけにはいきません。


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたを大切にすることができますように。あなたに愛された私自身を大切にすることができますように。あなたに愛されている、私のすべての隣人を大切にすることができますように。
2013. 06. 01  
今週は、「われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」との祈りとともに過ごしてきました。

最後に有名な、Ⅰコリント10:13の御言葉に聞きましょう。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練にあわせることはなさらず、試練とともに、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」

この言葉はほんとうだと、様々な経験を通して確信させられています。

これまでに、借金や倒産などを味わわれた何人かの方々と、共に祈って過ごしてきましたが、どの方にも「逃れの道」が備えられました。

ただし、「逃れの道」とは「逃げ道」ではなく、神にまっすぐに向かう近道です。

神と向き合い、自分と向き合うことから逃げているうちは、「逃れの道」は永久に見えてきません。

試練において試されるのは、まさに私たちの心のありようであり、信仰そのものなのです。


今週の歩みを思い返しながら、自分の心がどこに置かれているかを省みましょう。

あなたの心はここに帰ってくるべきなのだと、主は私たちを礼拝へ招いておられます。


共に祈りましょう。

主よ、今週も色んなことがありました。そのすべてが、あなたによって備えられた恵みであると信じます。様々な試練さえをも通して、私たちの心を研ぎ澄まし、揺るがぬ信仰へと至らせてください。

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茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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