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2013. 07. 31  
クリスチャンは日本の人口の1パーセントもいないのに、日本経済の中枢には割合多くいます。

森永製菓や山崎製パンをはじめとして、名だたる企業の創業者が敬虔なクリスチャンだったと言われます。

この人たちは、地上にも富を積みました。

確固たるキリスト教信仰に生きる人は、信念の人として、地上で名をなすことも多いのです。


ただ、そのような地上の立身出世が「金銭の欲」に結びつき、まことの信仰の道から転げ落ちることもあります。

やはり第一は、天に富を積む熱心なのです。

それを見失っては、きっと地上でも、何も手にすることはできません。

テモテへの手紙6:7-10の言葉をかみしめましょう。

「・・・わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持っていくことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。

金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。

金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」



共に祈りましょう。

主よ、イエスの約束してくださった希望を感謝します。金銭の喜びに比べようもない、永遠の命の希望の喜びを、今日も私たちの心に覚えさせてください。そして、この一日に平安と力を満たしてください。
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2013. 07. 30  
今週は「天に富を積みなさい」との御言葉に深まっていきましょう。

聖書には、地上の富の空しさを伝える言葉がいくつもあります。

「富を得ようとして労するな。分別をもってやめておくがよい。目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び去る。(箴言23:4-5)」

地上の生活などどうでもいいと言うのではありません。

富がなければ、現実は生きてもいけません。

童話アリとキリギリスの、キリギリスのように生きることが勧められているのではないのです。

ただ、地上の貯金箱に心が縛り付けられていてはいけない、ということです。

同じ箴言の15:15には、こんな言葉もあります。

「貧しい人の一生は災いが多いが、心が朗らかなら、常に宴会にひとしい。」

翻訳によって全然違うのですが、私はこの新共同訳の訳し方が大好きなのです。

私たちは、罪の赦しと永遠の命をいただいたのですから、心を朗らかにしていたいですね。


共に祈りましょう。

主よ、今日の一日にも私たちの心を高く上げ、上からの光に目覚めさせて、明るく朗らかにしてください。今、現実生活に困難を覚えている方々をかえりみてくださって、前を向く力を与えてください。
2013. 07. 27  
明日の日曜日は、日曜学校の子どもたちによる「こひつじ喫茶」がオープンします。

子どもたちが精一杯奉仕しますので、あたたかく見守ってあげていただきたいと願います。

そのことが、「自分は神様の役に立っている」という自信になり、「ぼくも教会の一員だ」という自覚にも通じると思います。

昨日届いた「子どもも一緒の礼拝」という本を読んでいても、信仰の継承ということは教会の切実な課題です。

その本には、教会という神の家族の中での「子どもの存在の重要さ」が、聖書から丁寧に考察されています。

マタイ19:13-15の有名な箇所も引かれていました。

「・・人々が子ども達を連れてきた。弟子たちはこの人々を叱った。しかしイエスは言われた。『子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』」

イエス様は、子どもを邪魔にされません。

むしろ、無力な子どもをこそ、最優先に大切にされます。

本当は、大人も子どももないはずなのです。

私たちの誰もが、神の前で、無力な、取るに足らない子どものようなものであります。

そういう者が、今日も父の愛によって、支えられているのです。


共に祈りましょう。

天の父なる神様、あなたのもとで神の家族として招いていただいた私たちが、互いに愛し合うことができますように。今日も、この小さな存在を、あなたの愛と恵みによって生かしてください。
2013. 07. 26  
「(彼の人生がどうなろうが)あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」

こんな風にイエス様に怒られたのは、ペテロでした。(ヨハネ福音書21:20-22)

「人のことなどどうでもいい。あなたにはあなたの歩むべき道を与える。」と言われたのです。

耳が痛い話ですね。

「どうして私だけ、こんなに苦しい道、困難な道を歩まされるのだろう・・?」そんな風に考えてしまう時はありますよね。

そういう時にまた考えてしまうのは、「あの人はあんなに楽そうなのに・・・」とか、

「あの人はあんなに人気も才能もあるのに、自分はだめだ」とか・・・。

私もそんなことばかりです。

でも、そうやって横を見比べることが、そもそも間違っているのです。

人には、それぞれ主からオーダーメードされた、その人だけの特別な人生があります。

そして人生とは、それ自体が、霊的訓練です。

私を創られた神が、私の適性を見極めて、理学療法士のようにして特別な訓練メニューをしつらえてくださったのです。

「あなたは、わたしに従いなさい。」

今日も、私だけのための、霊的訓練が用意されています。


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちを支えていてください。私たちは弱く、情けないものです。あなたの励ましと支えがなければ、今日の訓練に耐えることができません。どうか私の内に、イエスの命と力と勇気を満たしてください。
2013. 07. 25  
今週の日曜日の説教は、「断食するときには、人にアピールするのはやめなさい」という教えからでした。

キリスト教にも断食という霊的訓練があります。神と向き合うための苦行です。

断食じゃなくとも、なんらかの霊的訓練を自分に課すことは大切ですね。

テレビやゲームに興じる時間を、10分だけ削って聖書に向かう、とか。

私にとっては、この毎日のメール配信は、ある意味そういう訓練の継続です。

こういうことをしている時は、「えらいでしょ、私をほめて!」と考えてしまうものですね。

だって、がんばってるんですもの。

でも、人の目を気にすることから自由になりなさいとの、解放のメッセージでした。

人からほめてもらえなくても、がっかりしなくていいですよ。

あなたが、自分に与えられた霊的訓練に誠実に取り組むのなら、それは必ず神の目にとまっています。

神がくしゃくしゃにほめてくださいます。そして、確実にそれを用いてくださいます。

「そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。(マタイ6:18)」


共に祈りましょう。

主よ、あなたが今日もわたしのすべてを見ていてくださるから、何も怖くありません。あなたにほめていただくために、今日も精一杯、自分の人生に取り組みます。主よ、祝福を満たしてください。
2013. 07. 24  
K姉の手術は無事終了しました。本当によかったです。今後の心配は残りますが、守られたことを感謝します。

N姉が、腹痛が続き苦しんでおられます。癒しをお祈りください。

*****
今日は、この御言葉が頭に浮かんで離れません。

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べ物にならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(Ⅱコリント4:16-18)」


病や、老いや、あるいは迫害や、経済的危機や・・

私たちの現実生活は、様々に脅かされ、衰えていきます。

でも、その外側の衰えは、私たちのすべてではありません。大事なのは内側です。

外側が衰えるほどに、かえって内なる信仰が研ぎ澄まされ、永遠を見つめる目が開かれる。

そういうことが起こるのです。それが信仰の逆転です。

その内なる生の充実がなければ、現実生活に立ち向かうこともできません。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、愛する姉妹の手術を無事に守ってくださったことを感謝します。なおも試練が続きます。他にも、試練の中にある者たちがいます。

どうか、その『内なる人』を新たにしてくださって、永遠の希望によってしっかりと立ち、今日も強く雄々しくあるように励ましてください。
2013. 07. 23  
今日はK姉の手術の日です。午前9時から6時間ほどの大手術の予定です。成功をお祈りください。

昨年10月にも、I兄の心臓の手術に際し、心を合わせて祈ったことを思い出しました。

あの時与えられた御言葉は、これでした。

「それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で同じようにならねばならなかったのです。(ヘブライ2:17)」

イエス様は、憐れみ深い大祭司として、すべてにおいて私たちと同じになってくださいました。

病の苦悩も、生活の不安も、すべてを共有してくださって、神にとりなしてくださいます。

そして、ご自分の死によって悪魔を滅ぼし、私たちを死の恐怖から解放してくださいました。

この方の命によって、今日も私たちは確実に生かされています。さあ、勇気を出しましょう。

このような言葉で、兄弟を手術に送り出し、祈りを合わせました。

主の恵みは、昨年も今年も、とこしえまで変わることありません。

イエス・キリストは、あの時のままです。

すべてを主にゆだねます。


共に祈りましょう。

愛する主よ。わたしたちの永遠の救い主イエス・キリストが、今日も生きておられることを確信します。

大きな手術に立ち向かう姉妹を、どうかお守りください。そしてすべての者たちに、共に祈る喜びを教えてください。
2013. 07. 20  
昨日、K姉をお見舞いしました。

大きな手術を控えておられますが、主が平安を与えてくださっていて安心しました。


姉妹との豊かな語らいを手がかりに、こんな御言葉にたどりつきました。

「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えていく霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブ4:14,15)」

これは、おのれの力に誇り高ぶっている人たちへの警告です。

わたしの人生など、取るに足らぬ、一瞬のものであって、神の御心でなければ、ただちに消えいく・・・それを認めることは切ないものです。

でもそのようにして、大いなる神と、小さな自分にまっすぐ向き合う時、「生かされている」ことの喜びが染みとおってきます。

たくさんの危険がある中で、私たちが今日まで生かされてきたこと、それ自体が奇跡であり大きな恵みでした。

今日、何が起こるか分かりません。

これから先の人生が用意されるならば、それもまた神様の恵みです。

私たちは、神様の恵みの中で生きて、死んでいきます。

そして神様の恵みは、独り子を与えてくださったほどに、大きく、限りないものです。

だから、全部神様におゆだねしましょう。


共に祈りましょう。

恵みの主よ、すべてをあなたにおゆだねします。病んでいる者に平安をお与えください。仕事で疲れている者に勇気を与えてください。あなたの限りない恵みが、今日も雨のように注がれていることを、私たち一人一人に確信させてください。




2013. 07. 19  
今日は、午後からK姉のお見舞いに伺おうと思っています。

入院中は、眠られぬ夜が続くとも聞きます。

皆さんの中にも、眠られぬ夜を過ごして、朝をお迎えになった方もいるかもしれません。

そんな夜は、実は、まどろむことなく私たちを見守っていてくださる、主なる神を近くに覚える、絶好の機会でもあるのです。


どうか、主があなたを助けて
足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように。
見よ、イスラエルを見守る方は
まどろむことなく、眠ることもない。
主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
昼、太陽はあなたを撃つことがなく、
夜、月もあなたを撃つことがない。

詩篇121:3-6の祈りです。

昨晩、主はあなたを、見守り続けていてくださいました。

今日も、主があなたのかたわらにおられます。

すべてを導いていてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ、不安におびえる心に、平安を与えてください。私たちの霊の目を開き、あなたがすぐそばにおられることを、はっきりと見せてください。あなたに信頼します。今日も私を、また私の愛する人々を、見守っていてください。
2013. 07. 18  
「そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。(コロサイ3:17)」

私たちの今日という日が、感謝からはじまり、感謝で終わりますように。

わたしは、すべてを主に感謝することの大切さを、ある先生から教わりました。

その先生はいつも「感謝だなあ!!」とまぶしい笑顔です。

最初私には、それが煩わしくさえ感じました。

人が落ち込んでいる時に、感謝、感謝と・・・、人の気持ちが分からない人だな・・・と。

でも、あの「感謝だなあ」の声が耳から離れず、いつのまにか、私の心を高く引き上げてくれました。

引き上げられた心は、前よりも自由で、強くたくましくなりました。


今痛んでいる方々、不安の大きい方々にとって、「感謝だなあ」という声はまぶしすぎるかもしれません。

でも、あえて無神経に私も申し上げます。

今日、主が与えてくださるすべてのことに感謝しましょう。




共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたが私たちの救いのために、すべてを最もよく備えてくださると信じます。主よ、あなたに感謝します。私のために死んでよみがえってくださったイエスに感謝します。御子を与えてくださった父の愛に感謝します。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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