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2013. 09. 28  
大変うれしい知らせがあります。

一人の求道の友の女性が、洗礼を願って準備を始めておられます。

昨日は本当に、忘れがたく貴い語らいの時間が備えられました。そこには確かに主が共におられました。

順調に道が整えられ、若い魂に福音の喜びが増し加わるようにお祈りください。

今週は、「求めなさい。そうすれば与えられる。」という御言葉に導かれた一週間でした。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイ7:7)」

あなたのことを愛してやまない神様に信頼し、大胆に、祈り求めなさい。

あなたの天のお父様は、必ず良い物をくださる。

このシンプルな確信をもって、今日も5分でも1分でも、静かに祈る時間を確保しましょう。


明日はウェルカムチャーチデイ、思いを超えた主の御業による救いを祈りましょう。

朝岡先生は、昨晩東北から帰ってこられ、お疲れもあると思います。奉仕準備のためにお祈りください。

また明日は、日曜学校で、Hくんが三回目のおはなし奉仕をしてくださいます。

準備したことが豊かに用いられますように。

共に祈りましょう。

主よ、今週もたくさんの恵みをありがとうございます。あなたは、確かに良い物を与えてくださると、私は今、深く確信しています。主よ、思いを超えた恵みの驚きを、もっと私たちに見せてください。、
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2013. 09. 27  
「長老のわたしから、愛するガイオへ。わたしは、あなたを真に愛しています。

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」

これは、ヨハネの手紙Ⅲ1:1-2に記された、長老ヨハネからガイオへの愛の思いです。


牧師のわたしも、愛するお一人お一人を思い、すべての面で健康であるようにと祈っています。

礼拝からしばらく離れておられる方

入院しておられる方、病や痛みを与えられている方

経済的試練の中にある方

大きな課題に挑戦している方

労働に、子育てに励む方々

歩むべき道を見出せず、揺れ動く若い魂

老いの現実に向き合っておられるお一人お一人

今日もまた少し背が高くなる子どもたち

・・・あなたがたの魂が恵まれていますように。すべての面で恵まれ、健康でありますように。


皆さんもまた、愛する方のためにお祈りください。明後日のウェルカムチャーチデイに向けて、愛するご家族、ご友人のためにも・・。

共に祈りましょう。

主よ、あなたは祈りを聴いてくださる方。愛する者たちのためにささげる私たちの祈りを、必ずかなえてくださると信じます。どうかこの日、私たちすべての者の、体と魂の健康を備えてください。
2013. 09. 26  
私は昨日、強く願っていたことがかなえられ、主に感謝をしています。

しかしそんな私にとっても、マルコ11:22-24は、イエス様から与えられた大きなチャレンジです。

「そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」


こういう言葉を前にした時に、私がイエス様に言いたくなるのは、「・・でも、かなえられなかった願いもたくさんあります・・・」ということです。

イエス様は、こんな風に言われるかもしれません。

「確かにそういうこともある。・・・でも、君は本当に、私のように神を信頼して祈ったのかと、考えてほしいのだ・・・」

私たちは誰一人、イエス様と同じだけの信仰と信頼を持っていません。

だから、イエス様に嘘つきだなんて言えないのです。

私たちは、神の偉大さを、まだほんのわずかも理解していません。

「神を信じなさい」

歴史上ただ一人、完全に神を知り、信じて生きられた方が、そのように教えてくださいます。


共に祈りましょう。

祈りを聴いてくださる主よ、あなたをほめたたえます。この私の不信仰を打ち破ってくださって、あなたが大いなる方であることを、もっと味わわせてください。山をも動かす信仰を与えてください。
2013. 09. 25  
女子アナの丸岡いずみさんが書かれた「会社を休んで、うつ地獄に行ってきました」という本が話題です。

丸岡さんは、被災地の凄惨な状況をレポートする中で、心を病みました。

しかし、自分がうつになるわけがない、なってはいけないとの思いで服薬を避け、問題を独りで抱え込むことで、悪化を極めました。



自分の弱さや病を独りで抱え込んで、独りで祈って解決しようとしなくてもいいのですよ。

ヤコブ5:14-16にはこう書かれています。

「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によって・・祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。・・・だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。・・」

ここでは、「自分で祈れ!」ではなくて、「長老に祈ってもらいなさい」「互いに祈りあいなさい」と、ヒューマンコンタクトがすすめられています。

罪という根源的な病から生じる、様々な病や痛み、苦悩、悲しみを互いに担い合い、祈りあう。

教会とはそういう場です。

独りで抱え込まないで、たまには牧師や長老にも話を聞かせてください。

あなたの信頼する信仰の友に、甘えて時間をいただいたらいいのです。

今日は祈祷会もあります。来ることのできない方々のためにも、いつも祈りがささげられています。


共に祈りましょう。

主よ、孤独に陥りがちな私たちの心を開いてください。今、独りで抱え込んでいる方がいましたら、よき分かち合いの時が与えられますように。
2013. 09. 24  
今週は、「求めよ。さらば与えられん」との教えに導かれて、神に祈り求めることに徹する一週間でありたいと願います。

神様の守りがあることに、まだ確信を持てないという方もいらっしゃるでしょう。

でも、本気で神を求め始めてみないと、いつまでも確信を持てないというのも確かです。

どんな奇跡が起こっても、それで神への信頼が増すわけではありません。

何より大切なのは、祈りの生活の中で培われる、神との深い人格的関係の確立です。

「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見出し、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう。(エレミヤ29:12-14)」


心を尽くして、という情熱をもって、神を求めましょう。

そうすると、神がもっとずっと前から、私たちのために心を尽くしていてくださったことが分かります。

中途半端なつまみ食いでは、神と共に生きる喜びは分からないものなのです。


共に祈りましょう。

愛する主よ、あなたを求める熱心を増し加えてください。私たちが想定できるものを圧倒的に超えた、あなたにある完全な平安と慰めを、私たち一人一人に味わわせてください。
2013. 09. 21  
おてもとに聖書のある方は、コリント書13章の有名な愛の賛歌を、すべてお読みになってください。

愛とは、私たちが求めるべき最高の道だと示されています。

今日は一つのことだけ心にとどめて、一週間を振り返りましょう。

「愛は忍耐強い。(4節)」


昨日、夏のキャンプの反省会で若い方々と食事をしました。

学校の先生をしている一人の青年が教えてくれました。

「伸びる子は、もしかすると放っておいても伸びるんです。大事なのは、ダメな子に粘り強く付き合ってあげることです。」


主イエスは、まことに忍耐強い愛で、私たちを愛し、育ててくださいます。

誰もがペテロと同じように、主を否み、主を理解できず、心が揺れ動いてばかりのダメな子ですが・・・。

そんな愛で、私たちから愛されることを必要としている人が、あなたの周りにいるかもしれません。


共に祈りましょう。

主よ、あなたからいただいている愛の大きさを思い、感謝いたします。主よ、私も、私の子を、孫を、親を、兄弟姉妹を、夫を、妻を、友人を、ご近所を、粘り強く見守ることができますように。
2013. 09. 20  
今週の日曜日の説教の中で、Ⅰテモテ1:12-17にあるパウロの回想を分かち合いました。

恐るべき迫害者であった罪深い私が、主の無限の愛と忍耐によって救われたのだと、感謝に胸を震わせています。

「16節 しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。」


今、信仰の喜びの中にある方は、ご自分が主から離れていた時を思い出してください。

主は、そんなあなたを、無限の愛と忍耐で見守り続けていてくださいました。

あなたの感謝と喜びが、今日、あなたの大切な方のために、見本として用いられますように。


今、信仰の喜びが分からないという方は、覚えていてください。

主は、あなたがどんなにかたくなでも、否んでも、背いても・・

無限の愛と忍耐で、ずっとあなたの帰郷を待っておられます。


共に祈りましょう。

主よ、あんなに心冷めて、正義を知らなかった者が、あなたによって赦され、新しい人生を始めていただきました。本当にかたじけなく思います。主よ、私の愛する方々にも、あなたと共に生きる喜びを豊かにお与えください。
2013. 09. 19  
昨日、T長老から大変興味深いことを教えていただきました。

ケセン語(気仙沼の方言)で聖書を翻訳したことで知られる山浦玄嗣先生による、ヨハネ福音書冒頭の味わい深い訳文です。

「神さまの思いが、こうして人の体をまとって、われらが間に住まいしなさった。われらはこの方の輝くようなお姿を見た。

父(とと)さまから遣(よこ)された、一人息子のこの方の、優しくて、親切で、嘘偽りの影もない、輝くようなお姿を見た。(ヨハネ1:14)」


お手元の聖書と比べてみてください。ずいぶん違うでしょう。私自身は、自分に近いものを覚えます。

「言(ロゴス)」が、「思い」と訳されています。

私たちを愛してくださる神の、永遠の愛と恵みに満ちた「思い」。

その「思い」が凝縮してあふれ出した時、光あれとの言葉が発せられ、この世界と私たちが、最愛の作品として創造されました。

悲しくも私たちは堕落し、世界をゆがめてしまいましたが、なおも神の「思い」は変わりません。

イエス様は、そんな神の「思い」を伝え、私たちを取り戻すために、私たちのそばに来てくださいました。

今日も、この神の「思い」は微塵も変わりません。安心して行きましょう。


共に祈りましょう。

世界が創造される前から、私たちはあなたに愛され、この小さな生涯のすべてが、あなたの慈しみ深いご計画の中にあることを信じます。主よ、今日もわたしたちに、最善の導きをお与えください。

2013. 09. 18  
H長老が今日手術なさいます。小さな手術と聞きますが、守りを祈りましょう。

*****
昨日もユースミニストリーについて学んできました。

首都圏12校の中高生の、男子7.5%、女子12.1%。

この数字は、自傷行為を経験したことのある方の割合です。驚くべき大きな割合です。

自傷行為経験者が、自殺ないし自殺未遂につながる割合は、そうでない者の数百倍になると言われます。

自分を傷つけたい、自分を殺してしまいたい。あるいは、自分など生きていないほうがいい・・。

そんな思いに縛られてしまうのは、その人自身が決定的に傷ついているからであるようです。

虐待、離婚、親の潔癖などなどの理由で、もっと愛してほしいのに愛されなかった・・。

いじめによって、甚だしく自尊心を傷つけられた・・。どこにも居場所がなくなった・・。


そんな傷を抱えておられる方がいましたら、どうか主がいやしてくださいますように。

「(キリストは)十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(Ⅰペトロ2:24)」

主は、あなたのすべての傷を知り、背負い、いやしてくださる方です。


共に祈りましょう。

主よ、罪と死の泥沼の世界で、私が受けた傷をすべていやし、新しい義の生を始めさせてください。今、深い傷を負っている者がいましたら、どうかもっと深い愛で包んでください。
2013. 09. 17  
H長老がヘルニアの手術のために、今日から土曜日まで入院されます。お祈りください。

H長老は、今年に入って次から次へと病が与えられ、私ならば滅入ってしまいそうだなと思います。

「いつまでこんな日々が・・」と、嘆きたくなる時があります。

「ちょっと疲れてしまった・・」という方や、気持ちが落ち込んでいる方のことを思いながら、詩篇を読んでおりました。

心にとまった御言葉を、いくつか紹介いたします。

(詩篇56:9)
あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。
あなたの記録に、それが載っているではありませんか。
あなたの革袋に、わたしの涙を蓄えてください。

切ない訴えですね。でも大丈夫です。主は確かに、私たちの嘆きを覚えていてくださいます。

(詩篇37:23-24)
主は人の一歩一歩を定め
御旨にかなう道を備えてくださる。
人は倒れても、打ち捨てられるのではない。
主がその手をとらえていてくださる。

そうです。主はあなたをもう二度と、見放したりされません。

(詩篇34:20-21)
主に従う人には災いが重なるが
主はそのすべてから救い出し
骨の一本も損なわれることのないように
彼を守ってくださる。

私たちには災いが重なります。でもそのすべては、主が手の届く範囲内にあるのです。


共に祈りましょう。

大いなる主よ。小さな私たちが、今日ももがき苦しむのを、どうか憐れんでくださって、助けの手をさしのべてください。今、心の沈んでいる者がいましたら、上からの光で照らしてください。
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勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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