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2013. 10. 11  
自分の願いをひとつも大切に思ってくれない人のことを、信用できますか?

誰かを本当に愛しているなら、その人が自分に対して望んでいることに、誠実に耳を傾けようとするはずです。

神様に対してはなおさらです。

神を本当に愛するなら、神が私に求めておられるように、隣人を愛そうと努めるはずです。

隣人を愛するということに真剣でないなら、どれだけ聖書を読んだって、祈ったって、神を愛していることにはならないのです。


ヨハネの手紙にも、こうあります。

「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。(Ⅰヨハネ4:20-21)」

「兄弟」というところを、あなたが今日出会うお一人お一人と考えてください。

道ですれちがう名も知らぬ人さえも、「愛する対象」として見るということを、してみてください。

ただし、決して忘れないでください。上記の愛の教えの直前には、この言葉があるのです。

「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。(同19節)」


共に祈りましょう。

神様、あなたから求められていることは本当に難しいですが、あなたの教えに対して誠実でありたいのです。神よ、私の貧しい愛を励ましてください。愛に生きる喜びを教えてください。
2013. 10. 10  
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたも人にしてあげなさい。」

この教えで連想するのは、よきサマリア人のたとえです。

ボロボロに傷つき果てて、一人で死を待っていたような、あの襲われた旅人。

私が彼であったなら、何をしてほしいと望むでしょうか・・?

今日私は、よきサマリア人のように、憎い敵のために憐れみを注ぐことができるのでしょうか?

今日私は、よきサマリア人のように、自分自身も危険に巻き込まれることを承知で、助けの手をさしのべることができるのでしょうか?




「行って、あなたも同じようにしなさい。」とだけ、イエス様は言われます(ルカ10:37)

それは、わたしがあなたにしてあげるように、あなたも同じようにしなさい・・という意味でもあるのです。



共に祈りましょう。

主よ、私はあなたに出会い、愛されるとはどういうことかを知りました。愛するとはどういうことかも知りました。・・・とてもあなたのようには愛せない者です。そんなに簡単にはいかない、本当に罪深い社会です。私の周りの罪深い現実です。主よ、どうかこの世界を、もっとあなたの愛で満たしてください。


2013. 10. 09  
今週は、「人にしてもらいたいことは何でも、あなたも人にしてあげなさい」という教えに、本気で取り組む一週間です。

今日、あなたに微笑みを返してくれない無愛想な人にも、まずあなたから微笑んであげてください。

今日、お礼もしてこないような人を、大切に扱うのです。

育ててもらっている恩を感じてもいないような子どもらを、愛するのです。

あなたに育てられたくなかったと思ってしまうような親を、愛するのです。

「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい(ルカ6:35)」



やってみなさいと、主は言われます。

やってみなければ、それができない自分の「罪」にも気付きません。

そして、私には不可能な愛をもって、神はこの恩知らずな私を愛してくださったことにも、気付きません。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの愛の律法を前にして、たじろいでしまうものです。この地上で、あなたとの出会いが与えられた選びの民として、今日も私たちが、あなたの教えにしっかり向き合って生きることができるように、ふさわしく導いていてください。
2013. 10. 08  
礼拝に出れなかった方々のためにも、日曜日の御言葉を振り返ります。

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。(マタイ7:12)」

これは、黄金律=ゴールデンルールと呼ばれる、大変重要なイエス様の教えです。

旧約聖書に示された「このように生きなさい」との神様の道を、一言で言い表すならこうなるのだと、イエス様が教えてくださいました。


・・・さらっと読み流さないでください!!

今週は、この黄金の教えに生きてみようと、本気で取り組む一週間にしましょう。

「愛されたい、理解されたい、慰められたい」と願うならば、

まずあなたが「愛する人、理解する人、慰める人」となりなさいと言われています。

この教えに、とにかく一度、本気で取り組んでみましょう。

取り組んでみてはじめて、見えてくるものがあります。



共に祈りましょう。

主よ、この週、あなたの教えを胸に刻んで歩んでいきます。この歩みを通して、新しいあなたとの出会いがありますように。隣人との新しい関係が始まりますように。
2013. 10. 05  
今日は10月5日ですが、ちょうど一年前のこの日に、I兄の心臓の手術が無事成功したことを覚えています。

みなで心を合わせて祈り、兄弟の無事をみなで喜び、神の家族の祈りの絆を強く覚えた出来事でした。

今週は、「わたしはあなたと共にいる」との神の言葉に励まされてきました。

ただし、神は「私」一人とだけ共におられるのではありません。

キリストに結ばれた神の家族である「私たち」みんなと、共にいてくださいます。

そしてその主にあって、私たちはみな「共に生きる」者であります。

だから、あなたが苦しい時は、私がそばにいたいと願います。

私が苦しい時は、あなたにそばにいてほしいと願います。

「わたしはあなたと共にいる」と互いに励まし合い、歩んでいきましょう。

「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。(Ⅱコリント13:11)」


共に祈りましょう。

愛する主よ、愛する兄弟の無事を守ってくださったあなたに、改めて感謝をいたします。キリストによって結ばれた私たちが、いよいよ思いを一つに、互いに励まし合い、祈りあって、今日も歩んでいくことができますように。

明日の聖餐式でも、愛の一致を確認することができますように。
2013. 10. 04  
「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」

申命記31:6にある、ヨシュアへの呼びかけです。

私の礼拝での祝福の宣言の、基礎になっている聖句でもあります。

主はこのように、何度も繰り返し「わたしはあなたと共にいる」と、ヨシュアに告げられました。

なんと、この直後の7節にも、ほぼ同じ言葉が繰り返されています。

その他にも、申命記31:23、ヨシュア1:5、9、3:7・・etcと、本当にしつこいくらいに何度も。

何度も言っていただかなくては、私たちは、すぐに忘れるからです。

毎週の祝福の宣言も、「今週も忘れるな!!」との神からの呼びかけです。


今日は祈りに代えて、祝福の宣言をさせていただきます。

安心して行きなさい。強く雄々しくありなさい。恐れることはない。わたしたちの神である主が、いつもあなたと共におられます。

主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しい御交わりが、今日もあなたがたの上に、限りなく豊かにありますように。アーメン
2013. 10. 03  
「神がわれらと共におられる」との御言葉に励まされ、今週は過ごしています。

出エジプト記の3章には、モーセの召命の出来事が書かれています。

イスラエルの民を、エジプトの奴隷生活から解き放つためのリーダーとして、神はモーセを選ばれます。

しかし、モーセは怖気づきます。「私のような者に、そんなことはできない・・・」と。

そんなモーセに対して、「いや君はよくできるから大丈夫だ」とは、神は言われません。

神はただ、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われました(出エジプト3:12)。


昨日、アメリカから来られた二人の牧師と、日曜学校および教会の発展のために語り合う機会が与えられました。

これまでに3万人もの青少年と触れ合ってきたという彼らには、豊かな経験と知恵があります。

彼らが教えてくれたのは、私たちの小さな思いを超えた、神の偉大さです。

必ずすべてが備えられるとの彼らの確信に、圧倒されました。

恐れることはない。わたしは彼らと共にいるように、必ず、あなたとも共にいる・・。

そんな声が、今、私の心に響いています。


共に祈りましょう。

主よ、大いなるあなたが、この小さな者と、今日も共にいてくださることを信じます。主よ、勇気を満たしてください。強く雄々しくあらせてください。
2013. 10. 02  
朝岡勝先生は日曜日の説教で、「キリスト教信仰とは、神が共にいてくださると信じることです」と伝えてくださいました。

アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデ、イザヤ、エレミヤ・・・

聖書に登場する偉大な人物たちと、神はいつも共におられました。

同じように、わたしとも共にいてくださる。

神は本来、私たちが近づくこともできない聖なる方、遠い方です。

その方が、自ら身を低くして、イエスという人間になって降りてきてくださいました。

それほどまでして、神はわたしたちの近くで、共に生きようとしてくださいました。

わたしたちと世の終わりまでいつも共にいてくださるイエス様は、共に泣いてくださり、苦悩を担ってくださり、死と呪いを引き受けてくださいます。

父・子・聖霊なる神が、今日も共にいてくださる。だから、私は今日も勇気をもって生きます。

「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。(イザヤ43:5)」


共に祈りましょう。

主よ、たとえ死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。あなたが私と共におられるから。主よ、この小さな私の生涯を、今日もあなたにおゆだねします。
2013. 10. 01  
日曜日のウェルカムチャーチデイは、本当に祝福された時間でした。

語られたのは、詩篇23篇の御言葉でした。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。・・・死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。(1,4節)」

この美しい言葉。でも、「美しさのあまりか、今までするすると流してしまっていた」とある姉妹が振り返っておられました。

本当に、有名すぎるがゆえに、ありがたさを見失ってしまうことはありますよね。

今回改めて、「わたしの羊飼いなる神が、共にいてくださる」ことの恵みが、魂に染みてきました。


折りしも、昨日ヤング宣教師の送別会がありました。

ヤング師は、日本に来てから幼い娘さんを突然死で天に送ったり・・・

関わった伝道所がいくつも閉鎖になったり・・・

本当に、死の陰の谷を行くような、苦しみ多い、宣教師としての32年間の歩みであったことを知りました。

でもそのすべてを「心から主に感謝します」と、おだやかな笑顔で振り返られたお姿に、私はただ感動しました。

「ああ、確かに主は、この方と共にいてくださったのだ・・。この素敵な先生は、確かに主と共に歩んでこられたのだ・・・。」


共に祈りましょう。

主よ、あなたはわたしの羊飼い。わたしはあなたのもとで、心おだやかに、今日も過ごします。主よ、この小さな者を、決して離さず、正しく導いてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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