FC2ブログ
2013. 10. 31  
昨日の祈祷会では、創世記12章のアブラムの旅立ちを共に読みました。

「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。(創世記12:1,2)」

アブラムは、神様の祝福の約束に乗っかるようにして、住み慣れた古い世界を捨てて、新しい世界へと旅立ちました。

約束の場所は「わたしが示す地」です。

そこは、神様には見えていても、アブラムにはまだ何も見えていません。

まったく先が見えない不安の中で、祝福を約束してくださった神様に、ただ信頼して歩みだしました。


ある姉妹は、ご自分のこれまでの歩みを振り返って教えてくださいました。

不安なことや、試練もいっぱいあったけど、確かに祝福を味わいながら歩んでくることができた・・・

いつも振り返ると、「ああ、神様は、ここに来なさいって私を導き続けてきてくださったんだな」って分かってくる・・・

私には見えない希望の未来を、神様はしっかり見ていてくださって、必ずそこに連れて行ってくださる・・・


今日も、どんな一日になるのか、まったく先が見えない不安があります。

でも、神様は必ず約束どおり祝福し、最善の導きを与えてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ、私たちは、今日も不安を抱えている者たちです。でも、あなたを信頼して、勇気をもって歩ませていただきたいと願います。主よ、信仰を励ましてください。
スポンサーサイト



2013. 10. 30  
ここのところ、病に向き合う方と共に祈ることが多くなりました。

ある方は、これまでは当たり前だと思って、神様に感謝してこなかったことが、あまりにも多かったと悔いておられました。

ふつうに食事ができること、眠れること、歩けること・・すべてに感謝をすることを、今教えられている・・。

そんな思いで、今与えられている病にも、感謝をもって向き合おうとしておられます。


詩篇136篇の冒頭を紹介します。

「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

主の中の主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

ただひとり、驚くべき大きな御業を行う方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

英知をもって天を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。・・・」

手元に聖書があれば、ぜひ全部お読みください。

「感謝せよ」との言葉をちゃんと聞いて、その通りに行う・・。

そんな風に「聞いて行う人」は、神のとこしえの慈しみを思い起こし、揺らぐことなく立つ人です。


共に祈りましょう。

父なる神よ、あなたの永遠の慈しみに感謝します。どうかこの一日、信仰弱い私たちを励まして、すべてのことにあなたの恵みを見出させてください。

病と向き合っているお一人お一人にも、あふれる感謝と信頼の思いを与えてください。

2013. 10. 29  
日曜日には、山上の説教のようなイエス様の言葉を「ちゃんと聞く」信仰の大切さを教えられました。

ちゃんと聞くと、生き方も変わっていかざるをえません。

自分の感覚にぴったりこなくても、イエス様の言葉のほうに自分の感覚を合わせていきませんか。

イエス様の言葉によって、自分が変えられていく・・・。

今週は、その方向性をもって歩んでいきたいのです。

エレミヤという預言者は、神様の言葉のとおりに行動することを嫌がり続けたのですが、ついには観念しました。

「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。

押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。(エレミヤ20:9)」



教えの通りにできないなと悩んだり、現実にどのように適応すればいいかの解釈に、各自の違いが出るということはあるでしょう。

でも私たちは、悩みながら、迷いながら、時に抗いながら・・・、

イエス様の言葉のほうに自分の生き方を合わせていくという、根本的な方向性を大事にしたいと思います。


共に祈りましょう。

主よ、大いなるあなたの、大いなる知恵と力に満ちた聖書の言葉は、私にとって違和感を感じることもいっぱいあります。主よ、この心を砕いてくださって、今日も、御言葉をちゃんと聞けるように導いてください。
2013. 10. 26  
今週は、実にたくさんの方々と祈りあうことができた一週間でした。

志を同じくする牧師たちと、祈りあい励ましあうことができました。

ある方とは、静かな祈りの時間を持ち、共に試練に向き合いました。

ある方とは、一人の方への配慮のために、祈りを合わせました。

私を励ますために、たくさんの方が祈ってくださいました。

娘も「パパがゆっくり休めますように」と祈ってくれました。

私も、たくさんの方のために祈った一週間でした。

そして、主の力と栄光があらわされることを願い、私たちを助けてくださいと、本気で祈った一週間でした。

この一週間を振り返りながら、今私は、この言葉をかみしめています。


「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ5:14-28)」


さあ今日も、共に祈りましょう。

主よ、この一週間を感謝します。あなたの大いなる慈しみの下で、兄弟姉妹と愛し合い、祈りあうことができる恵みを感謝します。どうか今日も、私の愛するすべての人々に、体と魂の慰めと平安がありますように。
2013. 10. 25  
色んなことがあって、心がざわめく時は、・・・・静かに、静かに、主の語りかけを待ちましょう。


預言者エリヤは、アハブ王の迫害から逃亡し、四十日四十夜歩き続け、神の山ホレブにたどりつきました。

ボロボロに疲れ果て、不安に押しつぶされ、夜を過ごす・・。

「見よ、そのとき、主の言葉があった。『エリヤよ、ここで何をしているのか。』」と書かれています。

さらには、このように続いていきます。

「主は、『そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい』と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。

主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。

風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。

地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。

火の後に、静かにささやく声が聞こえた。(列王記上19:11-12)」


不思議な場面ですね。

今日わたしはこの言葉を思い巡らし、風が吹き荒れ、地が震え、火が燃え盛ろうとも、・・・静かに、静かに、主の語りかけを待とうという思いが与えられました。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの声を聞かせてください。ざわめく心を鎮めてください。今、試練の中にある者を、人知を超えた大いなる御手の中で、大切に取り扱ってください。
2013. 10. 23  
昨日まで、あんなに主を近くに覚えられたのに、急に不安が強くなってしまった・・。

昨日まで、主の愛の道に励んだのに、急に憎しみがわいてきた・・。なんだか空しくなってしまった・・。

そして、そんな信仰の弱い自分に、嫌気がさしてしまった・・。

ある方が、そんな悩みを伝えてくださいました。

でも・・・だめな自分が嫌になるのは、あなたの中で、新しいあなたが確かに始まっているからです。

愛せないと悩むのは、あなたが愛し始めているからです。


ハイデルベルク114問には、神へと立ち返った人ならば、戒めを完全に守ることができるものですか?と問われます。

答えは、いいえです。

「それどころか、最も聖なる人々でさえ、この世にある間は、この服従をわずかばかり始めたにすぎません」と言われます。

でも、「わずかばかりに始まった」ことがすごいことなのです。

そしてこう続きます。「とはいえ、その人たちは、真剣な決意をもって、神の戒めのすべてに従って、現に生き始めているのです。」

あなたは「生き始めている」・・。主はあなたのことを、そのように見ていてくださいます。

フィリピ書3:12は、この114問の証拠聖句の一つです。

「わたしは、すでにそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちは、もがきながら、悩みながら、あなたによって始めていただいた、新しい私のストーリーを歩みます。主よ、今日も共にいて助けてください。

※ 所用のため、明日の配信はお休みさせていただきます。
2013. 10. 22  
テトス2:14にこういう御言葉があります。

「キリストがわたしたちのためにご自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるためだったのです。」

ポイントは「ご自分のもの」としてくださったということです。

わたしたちを、「ご自分のもの」として手に入れるために、イエス様はご自分の命という高価な犠牲を払ってくださった。

何の値打ちのない者が、それほどに大切にされています。

そしてキリストは、そのご自分の宝を、「良い行いに熱心な民」として、さらにピカピカに磨こうとしていてくださいます。


このテトス2:14は、ハイデルベルク信仰問答第1問の基礎になっている聖句の一つです。

「問:生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」

「答:わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。(後略)」

昨日、ハイデルベルク信仰問答450周年記念の研究会に出席し、改めて、この言葉の持つ確かさに胸を打たれました。

「キリストのもの」とされて生きる確かさを、ぜひ覚えていただきたいのです。



共に祈りましょう。

主よ、わたしの生きる意味を、存在の価値を、あなたが見出してくださっていることに感謝します。あなたの宝物としていただいた私が、今日もふさわしく輝いて生きることができますように、力をお与えください。
2013. 10. 19  
Ⅱテモテ3:1-5にこのような言葉があります。

「しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。

また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人を避けなさい。」


皆さんも一週間、このような人たちの中に囲まれて、生きてこられたのだと思います。

昨日私も、「お金が全部解決してくれるよ」という声に触れました。

冗談交じりの何気ない声でしたが、なぜか心に深い悲しみを覚えました。

世の大多数が大きな流れを作って、「人間」をおとしめていきます。

まさしく、「終わりの時」を迎えているかのようです。

そのような時代の中から、皆さんは主に選ばれ、命の道へと招かれています。

こんな時代だからこそ、狭く細い道を、大事に歩んでいこうとする人々が必要なのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの内にも深い罪があり、周囲の人を見下すことなどできません。主よ、今週のここまでの歩みを赦してくださり、そして作り変えてくださり、地の塩、世の光としてください。狭く細い命の道を歩んでいく力をください。
2013. 10. 18  
昨日まで三日間、教派の大会会議に出席のため、配信をお休みしました。

緊迫感ある会議で、有意義な決定がいくつかなされました。お祈りを感謝します。

****
今週は、「命に通じる門は狭く、その道は細い」との、厳しい教えが与えられました。

でも、その門は閉ざされているわけではありません。

その道は、確かに細いかもしれませんが、すでに開かれている道です。

イエス様が開いてくださった門であり、命への道です。

「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。(ヨハネ10:9)」と書かれています。

主イエスは、この門から入りなさいと、今日も招いていてくださいます。

この世の価値観に惑わされず、周囲の大多数の声に惑わされず、羊飼いイエスの導きの声を聞き分ける耳をもちたいものです。

「その門ではない、この門だ。あなたの歩むべき道はこっちにある・・」

そんな招きが、今日も私たちの色んな局面で与えられているのです。



共に祈りましょう。

愛する主よ、あなたを信じる者たちはまことに数少なく、それゆえに圧迫され、くじけそうになっています。主よ、私たちを今日も励ましてください。あなたと共に、狭く細い命への道を歩ませてください。
2013. 10. 12  
今日は、みんなで祈って準備してきた「勝田台ジョイフルコンサート」が14時から開催されます。

100名以上の方が集われると予想されます。

教会に初めて来られる方もあり、その中には色んな痛みを抱えている方もおられると聞きます。

皆さんの中で今日参加される方は、できれば身内で固まらないで、初めてお顔を拝見した方にぜひ声をかけてあげていただきたいのです。

主イエスは、敵をも愛する愛を教えてくださったところで、「自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。(マタイ5:47)」とも言われました。

「人にしてもらいたいと願うことは何でも、あなたも人にしてあげなさい」との御言葉に、一週間導かれてきました。

誰かにあたたかな声をかけられたことの喜びを知っておられる方は、どうかその喜びを、今日、出会う誰かにも与えてあげてください。



共に祈りましょう。

主よ、今日のコンサートを祝福してください。集うすべての人に、あなたの大いなる愛と平安と祝福が注がれますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR