FC2ブログ
2013. 12. 17  
今週は、悪霊にとりつかれた人を解放された主イエスの救いを覚えます。

私たちを破滅へと導く「悪霊=この世の霊、悪魔」という見えない世界の脅威を、霊の目でよく認識し、しっかりと戦うことが大事です。

その戦いのために、「神の武具」を身に着けなさいとのすすめに聞きましょう。

エフェソ6:10-18です。


「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。

悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。

だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。

なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。

また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」


共に祈りましょう。

主よ、悪の諸霊が今日も私たちを悩ませ、真理と正義と平和を乱そうとしています。気付かないうちに飲み込まれてしまわぬように、しっかり立たせてください。御言葉と祈りに、今日も深まっていくことができますように。
2013. 12. 14  
昨日に続き、「希望を告白する夜2」で受け取ったメッセージをお分かちします。

ダニエル書9:4-19には、ダニエルの祈りが記されています。

それは、バビロン捕囚という神からの裁きを引き起こした、民族の罪の告白に始まります。

「わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。あなたの僕である預言者たちが、御名によって・・・語ったのに、それに聞き従いませんでした。(5,6節)」



ダニエルといいますと、その少年時代より、決して屈することなく神信仰を守りぬいた、信仰の英雄のイメージが強くあります。

しかし、なにが彼をそうさせたのかを考えますと・・・「もう二度と繰り返してはならない」という意識が強くあったのだと、彼の祈りから気付かされます。

「私たちは、かつて決定的に神に背いて破滅した。だから、もう二度と繰り返してはならない!」

それが、ダニエルの信仰の戦いの原動力でした。

私たち日本人も、かつて決定的な過ちを犯し、国が廃墟となりました。

私たち日本のキリスト者の主流派は、決定的に神の御心を裏切り、戦争に加担しました。国家権力に抗うことなく、神社参拝も行いました。

・・・もう二度と繰り返してはならない。そんな思いを、共有できれば幸いです。




共に祈りましょう。

主よ、決定的に間違ってしまった私たちが、ただあなたの憐れみによって、荒廃から回復させられたことを思い、今、心から感謝します。どうか主よ、二度と過ちを繰り返さないように、私たちをしっかりさせてください。
2013. 12. 13  
昨晩の「希望を告白する夜2」においてなされた、山口陽一先生のメッセージから心に残ったことを、今日明日と皆さんにもお伝えします。

ダニエル書6:10(新改訳)から解き明かしがなされました。

「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。──彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。──彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」

「その文書」とは、ダニエルをねたむ大臣らの陰謀によって作成された、ダニエルを陥れるための法律です。

ペルシア王以外の人間や神に願い事をする者は、獅子の洞窟に投げ込まれるという、悪法です。

ただ主なる神のみを信じるダニエルにとっては、まさに絶体絶命です。

しかし彼は、その法律が制定されても、いつもとまったく同じように、ひざまづいて神に祈り、感謝を表します。

彼のひざが祈りを覚えている、と山口先生は表現されました。

私たちも、どんな困難な時代が到来しようとも、いつもと同じように礼拝をささげましょう。

ダニエルの部屋がエルサレムに向かってあいていたように、わたしたちには、神への回路がいつも開かれています。

だから、神に向かって一生懸命祈るのです。

「祈ることしかできない」のではなく、祈ることこそが何より大切なのです。



共に祈りましょう。

ダニエルを獅子の穴から救い出したもう、恵みの主よ。あなたに信頼します。祈ること貧しい者たちです。このひざが祈りを覚えるまで、いつも変わることなく祈り続ける者にさせてください。

2013. 12. 12  
今日は、19時から御茶ノ水クリスチャンセンターで、「希望を告白する夜2」に参加します。

教会にとって嵐の時代が来ると、不安を覚える若者たちが立ち上げた、超教派の集いです。

特定秘密保護法が強行採決されましたが、今後いよいよ社会全体が萎縮して、もの言えぬ空気が造り上げられて、全体主義的な傾向が強まっていくでしょう。

そうなると、マイノリティであるクリスチャンは、ますます「よそもの」扱いされます。

また、信教の自由をはじめとした様々な権利が侵害されて、教会の教え・思想に国家権力が介入してくるという危険もあります。

これは実際、戦中に起こったことです。

日本が戦争するなどありえない、そんな社会に戻るなど断じてありえない、と首相らは声高に叫びます。

しかし、もし仮に彼ら自身にその考えがなくとも、様々な法律がだんだんと想定を超えて悪用されていって、破滅的な戦争へと向かったのが、過去の日本の過ちです。



キリストの教会というのはいつも、嵐の中で揺れ動く小さな舟なのだと、日曜日に確認しました。

でもその舟には、「王の王、主の主」なるキリストが共におられます。わたしたちの希望はここにあります。

「この者ども(=悪しき権力者たち)は小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。(ヨハネ黙示録17:14)」

今夜の集会は、そんな勝利の主の希望を確認して、みんなで心を一つに祈る時です。みなさんもぜひ。


共に祈りましょう。

主よ、使徒の時代から今日にいたるまで、教会を守り導き、まことの信仰を継承させ続けてくださった、あなたの憐れみと恵みに感謝します。嵐の中で揺れ動く教会を、今日も助けて励ましてください。


2013. 12. 11  
詩篇107篇は、長いですがぜひすべてお読みください。

恐らくは、バビロン捕囚という「苦難」から解き放たれた、イスラエル民族の喜びが感謝となって歌われている歌です。

魂の飢えと渇き(1-9節)、闇と死(10-16節)、背きと罪のための苦悩(17-22節)、嵐と海(23-32節)・・・

それらは、私たち一人一人の人生にも起こり来る「苦難」です。

しかし主は、その「苦難」の中からの叫びを聞いてくださり、考えもつかなかったような仕方で、道を開いてくださる方です。



「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった

主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった。

彼らは波が静まったので喜び祝い、望みの港に導かれていった。

主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。(28-31節)」


こんな、救いの証しと感謝が、四回繰り返して歌われています。

主は私たちにも同じことをしてくださり、静かな港に必ずたどりつかせてくださいます。



共に祈りましょう。

主よ、人生の海の嵐にもまれ、揺れ動く私たちです。どうか憐れんでくださって、今日も全能の御手によって、望みの港へと導いてください。
2013. 12. 10  
クリスマスが近づいていますので、昨晩は映画「マリア」をDVDで鑑賞しました。

聖書にある、救い主イエスのご降誕にまつわる物語を、忠実に再現している映画です。

救い主の母として選ばれてしまったがゆえに、戸惑い、悩み、しかし、主の導きを受け入れていく、マリアの葛藤が印象的です。

夫であるヨセフの善良さにも心打たれます。

処女が身ごもった・・・、このスキャンダルな出来事に、周囲の村人たちは白い目を向けます。

しかしヨセフは、これは聖霊によるものだとの御告げを信じ、マリアをかばい、守り抜きます。

そんな苦悩の日々を越えて、ベツレヘムの馬小屋で、星の光の下でついに救いの御子がお生まれになる。

マリアとヨセフの歓喜の表情に、思わず感涙してしまいました。


私たちもまた彼らのように、救い主イエスとの関わりを与えられたがゆえに、それまでと違う人生に突入し、苦悩と葛藤を味わいます。

でも、この神からのプレゼントの喜びは、その苦しみを補って、はるかに余りあるのです。

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:10-11)」



共に祈りましょう。

救い主を与えてくださった神よ、あなたの恵みと憐れみに感謝します。あなたが与えてくださった、大いなる喜びを、この胸いっぱいに満たしてください。
2013. 12. 07  
死でパッケージされた世界の中で、やがて死ぬ者が今死んだ者を葬ることを繰り返しても、すべては空しさにのみこまれていく・・。

あなたは、わたしのもとで「永遠の命」を見上げなさい、とのイエス様の招きを受けています。

では、「永遠の命」とは何か?

ハイデルベルク58問にはこうあります。

問:永遠の命という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。

答:わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような、完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです。


そして、こういう聖句を覚えてください。ヨハネ福音書17:3です。

「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」


今日は、あえて解説しません。

ただ、ここでの「知る」とは単に知識ではなく、愛し愛され、深く結ばれていくことです。

私にはまだ、「永遠の命」の慰めを十分にお伝えすることはできません。いや、一生できないでしょう。

でも、それを得させていただくことこそが、「救われる」ということであるようです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの心に思い浮かびもしないような完全な祝福を、あなたが用意してくださることに感謝します。今日も、永遠の喜びのはじまりを、この地上で豊かに味わわせてください。

****
特定秘密保護法案の強行成立に、深い嘆きと憂いと不安を覚えるものですが、こんな時こそ、私たちに約束された完全な祝福を見上げましょう。
2013. 12. 06  
日曜日に分かち合った、マタイ8:21-22の御言葉です。

「ほかに、弟子の一人がイエスに、『主よ、まず、父を葬りに行かせてください』と言った。イエスは言われた。『わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。』」

これは、遺体の葬りなどどうでもいい!!とか、人間的つながり・家族への愛情など捨て去れ!!、ということではありません。

死を超える命の希望に生きよ、との招きです。

死にパッケージされた世界の中で、やがて死ぬ人が、今死んだ人を葬っていく・・その繰り返しの世界。

それはコヘレトが、「なんという空しさ」と嘆いていた世界でもあります。

罪と死に支配された人間同士が、傷をなめあい、あるいは傷を広げあい・・、結局、空しさに呑み込まれていくだけ・・。

でもあなたは、そこから離れなさい・・・。わたしのもとで「永遠の命」を知りなさい。



・・・永遠の命とは何か?それはまた明日にもお伝えしますが、簡単には分からないことです。

でも、とにかくそれを見上げることが、「まず」あなたがなすべきことだと、示されています。


共に祈りましょう。

主よ、罪と死の世界の外側へとこの心を引き上げてくださって、希望を満たしてください。病に苦しむ者、いじわるされて傷ついている者、重荷に悩んでいる者・・・私たちすべての罪人に、永遠の命の慰めをお与えください。

2013. 12. 05  
昨日から、東京基督教大学で、歴史学の聴講をはじめました。山口陽一先生は、重要な歴史神学者として注目されている方です。

この国にあって、国家権力の悪魔化により、悪しき歴史が繰り返されようとしているかに思える「今」という時代にあって、「過去」を読み解く視座を確かにし、あるべき「未来」を見定めたいと思いました。

授業を始めるにあたり先生は、コヘレト1:4-11を読んで、お祈りされました。

お手元に聖書のある方は、すべてお読みください。9節だけ書きます。「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何一つない。」

人間の罪はどこまでも深く、「過去」から学ぶことができずに、同じ過ちを何度も、何度も、何度も、繰り返します。

そんな繰り返しを、「なんという空しさ」と嘆くコヘレトの気持ちは、とても共感できる思いがします。

でも、こういう態度が、聖書が教えているすべてではありません。

そんな人間の空しい繰り返しをも、永遠のご計画の中で導かれ、歴史にはじまりと終わりを与える神が存在すると、聖書は教えています。

私たちの日々は、空しさにのみこまれていくものではありません。

歴史の主なる神の慈しみに支えられ、必ず希望の終末へといたります。

そう信じて、「過去」によく学び、「未来」をあきらめずに、「今」何をなすべきか正確に見定めて歩みましょう。


共に祈りましょう。

主よ。過ちを繰り返し続ける、私たち一人一人を作り変えてくださって、この地上にただあなたの御心がなりますように。どうか、あなたの御国を来たらせてくださいますように。
2013. 12. 04  
日曜日に学んだ、マタイ8:20の御言葉です。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」

これは、イエス様がご自身の苦難のご生涯を、私たちに教えてくださったものです。

イエス様には、安心してくつろぐことのできる家は無い。

これは、ホームレスということよりも、この世から憎まれ、締め出され、十字架にかけられる、主の孤独と屈辱を示しています。

それはイエス様にとっても平気でへっちゃらなことではなく、苦しくつらいことでした。

この方は、私たちと同じ「人の子=人間の子」として生まれてきてくださいましたから、私たちと同じように泣き、同じように悩まれたのです。

そのような方だからこそ、この方は、私たちの涙の意味をすべて理解してくださり、寄り添ってくださり、また、その魂を救いあげてくださるのです。

私のこれまでの人生の中でも、孤独と屈辱、みじめさを覚えた場面はたくさんありました。

皆さんもあるでしょう。思い出したくないでしょうが、今、しばし思い返してみてください・・・。






そのすべての場面で、「人の子」イエスも、一緒に泣いていてくださったのです。

これからも同じです。この方が、私たちより先に苦しみ、必ずそこに、新しい朝をもたらしてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ。病で心細い者、一人でがんばって孤独を覚えている者、思うようにならなくて心のざわめきを覚えている者・・・、どうかすべての者たちを上よりの光で照らし、慰め、励まし、癒してください。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR