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2014. 01. 03  
この2014年のはじめに、ジュネーブ教会教理問答の問172が、心の中でリフレインしています。

「問172:霊的安息とは何ですか。答:それは、主がわたしたちのうちで御業を行うように、わたしたち自身の働きを止めることです。」

神が働いてくださるのを待って、その活躍の舞台を空けるようにして、「わたしたち自身の働きを止める」・・・。

そのようにして、神への完全な信頼をもって、すべての手を止めて静かにする時・・・、人知を超えた「霊的安息」に満たされます。

 

2013年の歩みを振り返る時、あまりにも「わたし」が前に出てしまって、神を見失い、しばしば「安息」を失っていたと反省しています。

「わたし」の策略、計算、好き嫌い、怒りや憎しみ、悲しみ、絶望、責任感、焦燥感・・・

そういう「わたし」をふさわしく棄てることができる時、キリストが、「わたし」の代わりにわたしを生かしてくださるのでしょう。

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。(ガラテヤ2:20)」

2014年に、この言葉を少しでも自分のものにしていきたいと願うのです。


共に祈りましょう。

主よ、わたしのキリストよ、わたしのすべてにおいてすべてとなりたまえ・・・。この一年、ただあなたと心を一つに、あなたに信頼し、いつまでも安息の中で歩むことができますように。
2014. 01. 02  
昨日の元旦礼拝では、マタイ20:25-28の御言葉を分かち合いました。

「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」


今年私たちの教会は、「愛の業に生きる」という目標が与えられていますが、そのために必要なのは「相手の喜びのために仕える」ということです。

私たちは罪深いので、「愛する」ことも「愛される」ことも上手にできません。

独りよがりの自己満足の愛で、相手を傷つけてしまったり・・・

素直に愛を受け取れずに、すねてしまったり、ひがんでしまったり・・・

だから、「愛する」側も「愛される」側も、お互いが「僕のように仕えあう」ことを学びたいと思います。

主イエスが私たちのために、徹底的に仕えてくださったように。



共に祈りましょう。

愛なる主よ、私たちの救いのために十字架に身をささげてくださったキリストの愛を覚え、感謝します。どうか私たちの心を砕いてくださって、主イエスの「仕える」心を学ばせてください。
2014. 01. 01  
2014年は、詩篇98篇から始めましょう。

「新しい歌を主に向かって歌え。
主は驚くべき御業を成し遂げられた。
右の御手、聖なる御腕によって
主は救いの御業を果たされた。(詩篇98:1)

「新しい歌」とは、バビロン捕囚からの解放という「救い」と「勝利」に打ち震えた詩人が、これまでと違う感動の中で、主なる神を賛美しはじめたものです。


私たちは弱いから、すぐにマンネリになって神を見失い、御言葉に飽き、そして神から思いが離れます。

旧約の民も、そうやって神から離れ、その結果としてバビロン捕囚の悲劇が起きました。

でも神は、そんな民をも見捨てることなく、そこから救い出して、また新たな関係へと招いてくださいました。

だからこそ詩人は呼びかけます。今改めて、神との新鮮な関係を始めさせていただこう!!

心に沸き起こる「新しい歌」をもって、主を賛美しよう!!


私たちもまた、2014年のはじまりに、改めて、神との新鮮な関係を始めさせていただきましょう。

今日は11時から元旦礼拝です。「新しい歌」を歌うにはもってこいです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの恵みによって、新しい年のはじまりを得させていただきました。主よ、この一年、あなたの恵みと祝福を、ひとつひとつ丁寧に受け取らせていただいて、いつも喜んでいたいのです。主よ、この貧しい信仰を励まし続けてください。


プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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