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2014. 03. 15  
今週は、東日本大震災の復興のために祈りつつ、カンボジアでの旅を思い起こして、黙想を深めてきました。

旅をしますと、とにかく自分の「小ささ」を思い知らされます。

自分のかいだことのないにおいがあり、食べたことのない味がありました。

大地の悲しみに圧倒されて、言葉を失い、無知を恥じ、無力を嘆きました。


日曜日には詩篇121篇を分かち合ったことを思い返しています。

そびえたつパレスチナの岩山を前にして、おのれの「小ささ」を知る詩人の思いが、自分に重なるような気がしました。

しかし、121篇の詩人は、自分を見つめて下を向くのではなく、「目を上げて」、天地を造られた主を見上げます。

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。

この大いなる主の手に支えられて、人生の旅路を歩んでこられた、たくさんの信仰の先輩たちにならいながら、私もまた、強く雄々しく、旅路を歩みきりたいとの思いが与えられています。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、この小さな私たちの、小さな人生の一こま一こまを守り導き、最後まで、恵みと慈しみをもって、旅路を支え励ましてください。
2014. 03. 14  
カンボジアでのミッショントリップの間、若者たちと共にペトロの手紙第一を、毎日一章ずつ読んでいました。

一日を振り返りながら聖書に向き合い、主から語りかけられてくる御言葉を心にとどめ、また新しい朝に向かう。

この繰り返しを導いていました。

そんな日々の中で、特に私たちチームの印象に残ったのはこの御言葉です。

「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(Ⅰペトロ2:24)」


そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました・・。

キリストのお受けになった十字架の傷によって、この罪の悲惨に傷つき果てた世界がいやされていく・・。

収容所跡やキリングフィールドをたずね、カンボジアのあまりに悲しすぎる過去に言葉を失っていた私たちには、この言葉が本当に救いでした。


そして主イエスは、その十字架において、すべての罪の現実を担い、引き受け、赦し、

「罪に対して死んで、義によって生きる」新しい命を創造してくださる・・。

ホザナスクールの教師たちの愛と熱心と、そこに生きる子どもたちのはじける笑顔に触れて、この言葉を体感したのです。


共に祈りましょう。

生きて働いておられる主よ、すべての罪をいやしてくださる、キリストの十字架の救いに感謝します。今日も私たちのうちに、新しい命を燃やしてください。
2014. 03. 13  
東日本大震災直後に、ビートたけしさんがこんな文章を残していました。

「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被災者のことを少しも理解できない。

そうじゃなくて「一人が死んだ事件が2万件あった」ということなんだ・・。

カンボジアで、ポル・ポトの大虐殺の際に用いられた収容所(拷問所)跡をたずねた際に、そのことを深く考えさせられました。

そこで殺された人々の一人一人の写真が、掲示されているのです。

虚ろな顔、憎しみをたたえた顔、絶望している顔・・。

やせ衰え、起きることもできずにいる人の写真もありました。

子どもたちもたくさん殺されました。そのおびえた顔の写真も残っています。

200~300万人の人が殺されたと言われますが、「一人の人が理由なく殺された事件が、200~300万件もあった」と考えるべきでしょう。


「わたしはあなたの名を呼ぶ」との言葉が耳に響いていました(イザヤ43:1)。

神は、一人一人の名を呼ぶ方として、一人一人とその家族・友人の悲しみをすべて見つめ、よく知っておられます。共に悲しんでおられます。

キリストが十字架の上で背負っておられるのも、一人一人の悲しみです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たち一人一人、それぞれの人生を懸命に生きていきます。病と闘う者、転機にある者・・一人一人を見つめ、支えてください。わたしの名を呼び、忘れないでいてください。

2014. 03. 12  
マレーシア航空の飛行機は、行方不明になったまま、依然として痕跡が見つかっていない模様です。

私には他人事に思えません。私もまた、まったく同じように、あの日、クアラルンプールから、マレーシア航空の飛行機で帰国したからです。

しかも、私たちの飛行機が飛び立ったのは、あの行方不明機が飛び立つ、わずか1時間前です。

ひょっとすると、私たちが食事をしたあのレストランにいた東洋人の中に、行方不明になった方々がいるかもしれない・・。

そう考えると、「私は守られた」と手放しに喜ぶ気には到底なれません。

三年前の震災の時もそうでした。

どうして私は生きていて、あの人たちは死んだのだろう・・。そんなことばかり考えていました。

コヘレトはこのように言っています。

「わたしは知恵を深めてこの地上に起こることを見極めようと心を尽くし、昼も夜も眠らずに努め、神のすべての業を観察した。まことに太陽の下に起こるすべてのことを悟ることは、人間にはできない。人間がどんなに労苦し追求しても、悟ることはできず、賢者がそれを知ったと言おうとも、彼も悟ってはいない。(コヘレト8:16,17)」

神のなさる業の一つ一つの意味を悟ろうとしても、うまくいきません。

分かるのは、「私は今日生かされている」という事実です。

そして「神は独り子をお与えになったほどに、世を愛しておられる」という真理も揺るぎません。

ですから、今日もいつものように神の愛を信じ、私に与えられた一日を、一生懸命生きたいと思います。


共に祈りましょう。

主よ、今悲しみの中にある方々、不安に襲われている方々が、よりどころを得ることができますように。今日私たちにどんなことが起ころうとも、あなたが共にいて、道を支えてくださいますように。
2014. 03. 11  
今日は3月11日です。あの大震災から3年が経過しました。

この朝に、主はどんな御言葉を与えてくださるのだろうと、1時間ほど祈って考えていました。

すると、「大地を揺り動かされる神の偉大さを見つめよ」と示されました。

それを手がかりにしながら聖書をひもとくと、ヨブ記9章全体の御言葉にいきあたりました。

その中の、5-6節です。「神は山をも移される。怒りによって山を覆されるのだと誰が知ろう。神は大地をその立つ所で揺り動かし、地の柱は揺らぐ。」


このような、圧倒的な神の力と知恵を前にして、私という存在はいかに卑小な者であるかを、私は良く知っていると、ヨブは言います。

でも、だからといって、その神の手の中で引き起こされる悲劇を、納得して受け入れることができるわけではありません。

その意味を悟れるわけでもありません。ヨブは悲しみ続けています。


私たちもまた、ヨブと同じ、小さな人間に過ぎません。

それをすぐに忘れる人間の傲慢を、一瞬で砕かれる神への「おそれ」を、今改めて心に置く必要があります。

同時に、その小さな人間一人一人の名を知り、その悲しみをも知り尽くし、すべての出来事の意味を握っておられる神が、「生きておられる」ことを、慰めとしたいと思います。

ヨブもまた最終的に、大いなる神が確かに存在しておられることを知って、ただそれを知って、慰められたのです。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、あの大震災から3年、被災者もそうでない者たちも、それぞれに迷走し、闇が深まっています。主よ、憐れんでください。憐れんでください。






2014. 03. 03  
今日から土曜日まで、一週間の予定でカンボジアへのミッション・トリップに出かけます。

それに伴い、今週は配信をお休みさせていただきます。

皆さんの一週間が、御言葉と御霊の導きによって、希望に満ちたものとされますように。
2014. 03. 01  
私にとっては癒しを願った長い一週間でした。皆さんはいかがでしたか。

また今日は、二月の最後の日です。二月は大雪を抜きにしても、教勢が昨年比で落ち込んだりして、教会にとって色んな意味で「試練の二月」だったかなと思います。

神の民に試練はつきものですから、避けようとしても仕方ありません。

大事なのは、試練の時に何をするかです。

ヘブライ3:7-19全体をぜひお読みください。

書かれていることは要するに、試練の時こそ、「信仰」を確かにしなさいということです。


8節「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」

12節「兄弟たち、あなたがたのうちに信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。」

13節「あなたがたのうち誰一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。」


キリストが、世の終わりを来たらせ給うその時まで、与えられた『今日』を、日々励ましあって、精一杯生き、精一杯主に仕えるだけです。

今日も共に祈りましょう。

憐れみ深い主よ、今週の一日一日の恵みを与えてくださったことを、今思い返し、感謝いたします。主よ、「今日」も私たちが、互いに励まし合って、信仰を確かにすることができますように。
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プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
茅ヶ崎にある改革派教会、湘南恩寵教会の牧師です。
茅ヶ崎駅南口から徒歩8分の教会です。
御茶ノ水聖書学院の聖書科講師をしています。
ネット番組「がっつりコミュニケーション」のパーソナリティーです。

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