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2014. 04. 16  
今週は受難週です。

ハイデルベルク問37によれば、主イエスは、その地上での御生涯のすべての時に、とりわけその終わりにおいて、

全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われました。

それは、この方が唯一のいけにえとして、ご自身の苦しみによって、

わたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、

わたしたちのために、神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした。


昔、旧約の神殿祭儀においては、羊の頭に手を置いて、神の前で自分が償うべき罪を羊に負わせました。

その羊を屠ることで、自分の身代わりとしたのです。

そういう旧約時代のいけにえ制度によって与えられる罪の赦しと解放は、まだ不完全なものでした。

イエス様の十字架の犠牲によって、ついにそれは完全なものとして成就しました。

もういけにえを繰り返す必要はありません。キリストが、ご自身を唯一のいけにえとしてささげてくださいました。

「・・たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。(Ⅰヨハネ2:2)」


共に祈りましょう。

十字架の主イエスよ、あなたの唯一無比の犠牲により、たとえ罪を犯しても赦される・・。この恵みを感謝します。どうかこの一日、あなたへの感謝をもって、罪を犯さないようにできますように、私たちを導いてください。
2014. 04. 15  
今週は受難週です。伝統的に教会におきましては、キリストの十字架の苦難を思いながら、自らの罪を悔い改める時としてこの受難週を過ごします。

イエス様の十字架の死は、「神の御前に呪われた死」であったことを覚えましょう。

残酷ということなら、もっと残酷で悲惨な殺され方はありました。

そういうことよりも、それは呪われた死に方だと聖書に書かれている、これがポイントです。

ハイデルベルク問39にもあります。

「その方が『十字架につけられ』たことには、何か別の死に方をする以上の意味があるのですか。」

「あります。それによって、わたしは、この方がわたしの上にかかっていた呪いを、ご自身の上に引き受けてくださったことを、確信するのです。なぜなら、十字架の死は神に呪われたものだからです。」

二つの聖句を確認しましょう。

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)」

「死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。(申命記21:23)」


共に祈りましょう。

全能の神よ、あなたから呪われる人生とは、いかに惨めなことでしょう・・。木にかかって死んでくださった、主イエスの犠牲を必要とする私たちの深い闇を、見つめ直すことができますように。聖霊のよき導きをお与えください。
2014. 04. 12  
今週は、6日に天に召されたK姉の愛唱聖句をたどってきました。

姉妹は、マルタとマリアの物語も愛しておられました。

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。(ルカ10:41-42)」

「必要なこと」は唯一つだけ、それは、主イエスの御言葉に、一心に耳を傾けること・・・。

そんなマリアの純粋に、信仰者はだれも憧れるのだと思います。

だれもが、多くのことに思い悩み、心乱しています。

Kさんも、きっとそうだったのでしょう。マルタのような自分をよく知っていた。

だからこそ、主の言葉を真剣にうけとめて、マリアのように一生懸命に、御言葉を聴こうと努めておられたのだなと、思い返します。

受けた説教の恵みや慰めを、いつもうれしそうに伝えてくださったことが、なつかしく思います。

マリアのように耳を傾ける時、きっと主は、人知を超えた喜びの世界を開いてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ、一筋の心を私たちにください。あなたの御言葉にまっすぐ向き合うことができるように、この耳を、心を、魂を、整えてください。
2014. 04. 11  
K姉は、ペトロがイエス様のことを三度否んだ場面を、大切にしておられました。

ご自身の信仰の頼りなさを、ペトロの姿に重ねていたようです。

その最後に際しても、病の苦しみに心縛られて、イエス・キリストという希望を見失ってしまうのではないかと、自分の信仰に不安を覚えておられました。

だから私は申し上げました。

「私たちが主を見失っても、主は決して、私たちを見失われることはありません。」

そして、イエス様がペトロの背反を予告された場面を共に読みました。

そこで主は、ペトロにこう言っていてくださいました。「・・しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ22:32)」

このイエス様の愛に導かれ、ペトロの信仰の火は消え去ってしまうことはありませんでした。

そして、あの背きさえ赦されて、新しい者として生まれ変わらせていただいたのです。

「だから安心してください。主はあなたを、必ず永遠の命まで導いてくださいます。」

Kさんは、この言葉に深くうなずき、救いの確信をもって死に向かわれたのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も信仰の不確かな私たちを赦してください。そして、霊の目を開いてくださって、生きておられる主イエスの愛を、はっきりと覚えさせてください。

愛する者を先に送った、ご遺族や、友人たちに、主の慰めがありますように。
2014. 04. 10  
K姉の葬儀にはたくさんの方が集まって、本当に慰め深い時が与えられました。

フィリピ1:29も、彼女が愛しておられた聖句のひとつです。

「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」

苦しむことも・・・恵みとして、与えられる。


神を信じるのは、苦しみから守られるため・・・、多くの方はそのように考えています。

しかし聖書が示すのは、苦しみもまた神の恵みであるという世界です。

Kさんが信じておられたのは、苦しみから遠ざけて下さる神ではなく、苦しみの意味を教えて下さる神です。

そしてその苦しみを、共に苦しみ、乗り越えさせてくださる神です。

苦しみは、「恵み」として、すなわち「私のためのもの」として、全知全能の神から与えられます。

この神の手の手の中に、宇宙に起こりくるすべてのことは握られています。

しかもこの神は、独り子をお与えになったほどに、私を愛してくださっています。

だから、悪いようになさるはずがありません。

この確信ゆえに、すべてを神の恵みと感謝して生きる。これが、キリスト教信仰というものです。


共に祈りましょう。

主よ、愛する姉妹の葬儀に、深い慰めと希望を満たしてくださって感謝します。どうぞ、ご遺族を、また信仰の兄弟姉妹たちを、今日も慰め励ましてくださって、あなたの偉大な「恵み」を悟ることができますように、今日も導いてください。
2014. 04. 09  
今日は10時半から、K姉の葬儀があります(祈祷会は朝夕ともお休みです)。

参列できる方は、どなたもぜひお集まりくださって、一緒に神を礼拝しましょう。

しかし、参列できない方も多いと思いますから、今週は、K姉の愛唱聖句の数々を分かち合いましょう。


Kさんは、イザヤ53章の苦難のしもべの歌を愛しておられました。

彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎(とが)のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
(イザヤ53:3-5)

彼とは、主イエス・キリストです。

この歌は、主イエスが十字架でお受けになった、屈辱と苦難の意味を教えてくれています。

Kさんは、闘病中、痛みがどんどん激しくなる中で、主の十字架の苦しみを近くに覚えますと、よくおっしゃっていました。

そして、深い慰めを見出しておられました。

かくも大きな犠牲のゆえに、わたしは救われ、魂をいやされ、そして今、神に愛されているのですね、と。


共に祈りましょう。

十字架の主よ、受難節の今、あなたが払ってくださった犠牲の大きさを、ことさら深く覚えます。そして、御独り子を与えてくださったほどの、絶大な神の愛に感謝します。

神よ、今日、あなたが愛された姉妹の葬儀が行われます。罪の赦しと永遠の命の希望と慰めが満ち、あなたの栄光があらわされますように。
2014. 04. 08  
K姉が、4月6日に天へ召されました。

最後は、本当に苦しい病との闘いがありましたが、今は主イエスのもとで完全な慰めを与えられ、休んでおられます。

闘病中、Kさんが大事にされていたのが、フィリピ4:4-7の言葉です。

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

特に、「主はすぐ近くにおられます」という言葉に、慰めを覚えておられました。


この地上で、わたしたちにはたくさんの思い煩いが与えられます。苦しみが与えられます。

祈っても祈っても、かなえられないこともあります。K姉の病が癒えなかったように・・。

でも、本当に「人知を超える」神のご配慮によって、思いもかけない仕方ですべてが備えられ、姉妹の思い煩いが取り除かれていったことを、私は証しできます。

すべてのことは、大いなる主の手の中にあるのです。

だから、何が起ころうとも、主において、常に喜んでまいりましょう。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの愛する姉妹に、永遠の安息を与えてくださったことを感謝します。姉妹の信仰の証しに励まされ、私たちも今日を生きます。すべてをあなたに委ねて、喜んで生きることができますように。
2014. 04. 05  
日曜日には、地上の家族の絆にまさる、「神の家族」とされる喜びを確認しました。

イエス・キリストによる和解ととりなしゆえに、私たちは神から、「怒り」ではなく「愛」を受けます。

それは、神から「子」と呼んでいただくほどです(Ⅰヨハネ3:1)。

神に「アッバ(=お父ちゃん)」と呼んでも、ゆるされるほどです(ガラテヤ4:6)。

孤児を養子として引き取る、それは本当に労苦多い、大変な愛の業です。

神は、そのような「愛」をもって、わたしたちを養子として、「神の家族」に迎えてくださいました。


「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。(ガラテヤ3:26~29)」

わたしたちは「神の子」とされ、「キリストを着ている」・・。

なんだか、お兄ちゃんであるイエス様のお古を着させていただいたような、なつかしさです。



共に祈りましょう。

アッバ父よ、あなたの子とされたことを喜びます。誇りに思います。あなたに育てていただいて、本当に感謝です。

お父さん、今日も私を見守っていてください。また私の兄弟姉妹を、生きる時も死ぬ時も支え励まし、永遠の命に導いてください。
2014. 04. 04  
昨日まで神戸で訓練会を行い、聖書の発見学習と祈りに集中してきました。

今回は、「暴力」ということがテーマでした。

神にかたどられた人間の尊厳をおとしめる、様々な暴力がこの世界に存在します。

言葉による暴力や、無視、差別、圧迫、etc・・・。私たちは、その被害者にも加害者にもなる可能性がいつもあります。



箴言にこういう言葉があります。

「弱者を虐げる者は造り主をあざける。造り主を尊ぶ人は、乏しい人を憐れむ。(箴言14:31)」

弱肉強食の社会的ダーヴィニズムが蔓延するこの世界では、ある種の人々を、淘汰されていくべき人間、生きる価値のない人間と見なして排斥しようとする、悲しい現実があります。

しかしそれは、創造主の作品を愚弄する暴挙です。

創造主を重んじる者ならば、たとえ憎い敵でさえも、「暴力」によってその尊厳をおとしめてはなりません。

また創造主を重んじる者ならば、その最愛の作品である、自分自身に対しても「暴力」をふるってはなりません。

自分など生きていないほうがよい・・・そんなことを、誰が勝手に決めていいものか。

それは、私たちを愛しておられる方を、あざける暴挙なのです。


共に祈りましょう。

私たちを生み出し、愛し、今日も生かしてくださる創造主よ。あなたが大切にしておられる私自身を大切にし、隣人を大切にすることができますように。今日、あらゆる暴力から私を遠ざけてください。

※今日は神戸改革派神学校の入学式です。昨年、勝田台教会で証しをしてくださった三川共基兄も入学されます。お祈りください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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