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2014. 04. 30  
これからしばらく、信仰入門の方々のために、洗礼志願者の6つの誓約事項を、いっしょに学んでいきましょう。

これまでのスタイルも時折交えながら、基本的には、6つのことを何度も繰り返していくことにします。

その第一は、「あなたは、天地の創り主、唯一の生ける真の神のみを信じますか」です。


コヘレトの言葉12:1に有名な言葉があります。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」

コヘレトは、日本人には共感を覚えやすいですね。神を見失った人生の空しさが、えんえん11章にわたって語られます。

しかし、最後の12章に至って、そのむなしい人生を意味あるものとする、唯一の原理を語ります。

それがすなわち、「あなたの創造主を覚えよ」ということです。

創造主がいるということは、私たちが生まれたのは、偶然ではないということです。

人知を超えた深いご計画と、愛情の中で、私たちは、創造主の御手により創りだされました。

もしたとえ、あなたの誕生が、あなたの親に望まれていなかったとしても、神はあなたの存在を、強く望んでおられました。

だから、あなたはこの世界に創造されました。

だから、あなたの存在には意味があります。生きる目的があります。神は特別な意図をもって、あなたを創りだされたのですから。

「創造主に心を留める」とは、そういう自分を大切にすることでもあるのです。


共に祈りましょう。

私を愛してくださる創造主よ、あなたによって用意されたこの人生に、今日も取り組みます。どうぞ、尽きせぬ恵みをお与えください。特に若い方々に、自分の人生の意味を深く悟らせてください。
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2014. 04. 29  
勝田台教会では今年、「愛の業に生きる」を目標にしています。

今日は、愛の業に関する、古代の教父アウグスティヌスの言葉を紹介しましょう。

「『友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13)」

このように主は、・・愛がどのように完成するかを示し、この完成に至るようにと招いておられます。

しかし、あなたは心の中でこう問いかけて言うでしょう。

「いつになれば、わたしたちがそのような愛をもつことができるようになるだろう。」

あまりにも性急にあきらめてはなりません。

きっと、あなたの中に愛が生じているのです。

それはまだ、不完全な愛です。この愛を窒息させないように、育てなさい。」


共に祈りましょう。

主よ、あなたの愛を満たしてください。わたしの内に生きていてくださるキリストの霊が、どうかこの貧しい者を、愛の人へと作り変えてくださいますように。
2014. 04. 26  
昨日に続いて、Ⅱコリント4章の敷衍訳です。

「・・・私たちも、聖霊によって信仰をいただいて、信じているからこそ、大胆に語ります。

何を信じているか?それは、主イエスを復活させてくださった方が、私たちをもイエス様とともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることです。

・・・・だから、私たちは落胆しません。

たとえわたしたちの生まれながらの「外なる人」は衰えていくとしても、キリストによって生まれた「内なる人」は日々新たにされていきます。

私たちが今被っている一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。

今見えている現実は、私たちのすべてではありません。

苦しみはやがて過ぎ去ります。見えるものは一時的です。

だから、今は見えない、天にある喜びを望み見ます。見えないものはいつまでも続くからです。(Ⅱコリント4:13-18)」


地上の生涯には、病があり、涙があります。でも復活の希望に生きる者にとっては、目に見える苦しみがすべてではないのです。

この世の力を失えば失うほど、その空っぽになった私たちの体と魂は、復活の命の希望に満たされて、力強く輝きます。


共に祈りましょう。

主よ、この一週間、復活の希望の光を確認しながら、その光を追いかけて過ごすことが赦されましたことを感謝します。

今弱さの中にある人もいます。どうかお一人お一人が、見える現実に打ちのめされてしまわないように、いつも心を照らしていてください。
2014. 04. 25  
日曜日の礼拝では、Ⅱコリント4章から御言葉をいただきました。

牧師による敷衍訳(ふえんやく:意味が明瞭になるように解釈を加えた翻訳)でお届けします。

「この土の器にすぎない私という存在の中で、キリストの救いの光という素晴らしい宝物が、輝いていています。

・・・私たちは、あらゆることで追い詰められます、しかし、押しつぶされることはありません。

途方にくれてため息をつくことはあるでしょう、しかし、絶望することはありません。

必ず迫害を受けます、しかし、神に見捨てられることはありません。

何度も打ち倒されます、しかし、決して負けやしません。

・・・私たちは生きている間、イエス様と共に生きるがゆえに、絶えず死の力に苦しめられています。

しかし、イエス様と共に生きるがゆえに、イエス様の復活の命もまた、死ぬべきこの肉体に現れ出ているのです。(Ⅱコリント7~11節)」



イエス様が、十字架の苦しみとその死の向こうに、復活の命によみがえられたように、私たちの苦しみ多い人生もまた、必ず命に通じる。

これが、2000年の間、キリスト教会が信じ続けてきたことです。

今日も私たちは、そう信じて、「生と死」に向き合うのです。


共に祈りましょう。

十字架の主をよみがえらせたもうた神よ、今日も私たちに、その大いなる力を注いでくださって、強く雄々しくあらせてください。
2014. 04. 24  
もう自分の力ではどうにもならない、万策尽き果てた・・・、復活のキリストの力というのは、そういう絶望の中で示される神の力です。

十字架というのは絶望の風景です。

芥川龍之介は、イエスの十字架を「土砂降りの雨の中で無残にも折れたまま、天に向かってのびている梯子」にたとえたそうです。確かにそのようにしか見えなかったかもしれない。

しかしそのような弱さの極みの中で、この世のだれも見たことがなかった神の力が現されて、栄光に輝く復活の体にキリストがよみがえられた。


「このイエスを・・あなたがたは・・十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。(使徒言行録2:23,24)」

このイエスを信じるゆえに、わたしたちは決して絶望しない。

このイエスを信じるゆえに、わたしたちは、弱い時こそ強い。

これが、復活の主イエス・キリストを信じる信仰なのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も復活のイエスの命と力を、このもろくて弱い土の器に満たしてください。

今、病の弱さの中にある方々、老いの弱さを覚える方々、さまざまな試練に向き合っている方々に、希望の光を注いでください。
2014. 04. 23  
Ⅰコリント15章の35節からには、復活の時にはどんな体によみがえるのかが、丁寧に記されています。

いくつか言葉を拾っていきます。

「また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きは異なっています。(40節)」

「蒔かれる時は朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれる時は卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。(43節)」

「わたしはあなたがたに神秘を告げます。・・・わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。(51節)」

このように、復活の時に与えられる栄光の体は、地上の肉体とは全然ちがうものであることが分かります。


秦の始皇帝をはじめとして、権力者は永遠に生きることを望みますが、それは絶頂にあるからであって、

ほとんどの人には、ただ永遠に生きるだけなら、それは苦しみでしかありません。

もちろん権力者にとっても実際は、病と苦悩の日々が待つのですが・・。

私たちは罪人であるがゆえに、生きることは悲惨に満ちています。

しかし、イエスが与えてくださる「永遠の命」とは、ただ永遠に生きるということではありません。

すべての罪と、涙と、悲惨から解き放たれた、「今とは異なる」命の輝きなのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたが与えてくださる永遠の命の希望を仰ぎ見て、今日の一日を生きていきます。この体を照らしてくださり、命の輝きに満たしてください。

2014. 04. 22  
今年のイースターは、死の向こうにある命を望み見る、ということを強く意識しました。

目には見えない、「永遠」の世界を仰ぎ望む思いが、私の中でここ数年どんどん大きくなっています。

クリスチャンになるまでは、私は死後の世界など一切関心がない、現実主義者でした。

牧師になってからも、やはりどこかで、目に見える現実の希望だけを追いかけて、聖書に向き合っていました。

しかし、聖書にはこう書いてあるのです。

「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。(Ⅰコリント15:19)」

そして、キリストの復活を信じなさい。またあなたも復活させていただけることを信じなさい、とすすめられています。


「復活」や「永遠の命」ということが、自分にとっての希望としてまだ受け取れない・・そういう方もいるでしょう。

しかし、牧師として何人かの方の死に立ち会ったりしてきた中で、私には、Ⅰコリント15:19の御言葉は確かに本当だなと思えるようになりました。

この世の生活を超えた希望が与えられていることは、本当に感謝だなあと思います。


共に祈りましょう。

私たちのために死んでよみがえってくださったイエス・キリストに感謝します。主が開いてくださった命の道を、今日も歩ませてください。復活の希望で、この一日を明るく照らしてください。
2014. 04. 19  
今日はイースター子ども会がありますので、お祈りください。
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受難週の最後の日です。Ⅱコリント8:9に記された、十字架の犠牲の恵みを確認しましょう。

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」

主が貧しくなられることで、私たちが豊かになる。

それは、イエス様の味わった死と呪いによって、私たちには命と祝福がもたらされる、ということです。

これをルターという人は、「喜ばしい交換」と言いました。

イエス様は、私たちの存在の「貧しさ」の極みまで見ておられます。私たちが自分で数えぬ罪まで数えておられます。自分でもまだ知らぬ闇まで、知っておられます。

だからこそ、十字架で惨めに呪われて、その「貧しさ」の極みまで下りてきてくださいました。

そして、罪赦されて神の子として新しく生きる「豊かさ」と、交換してくださったのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたが示してくださった十字架の愛と恵みに、ただあずからせていただきます。今日の日を、闇ではなく光の中で、罪の貧しさではなく神の豊かさの中で、とどまることができますように導いてください。
2014. 04. 18  
教会の暦で聖金曜日とされる今日は、キリストが十字架にかけられたとされる日です。

今朝はローマ6:6-7です。分かりやすく意訳します。

「あなたがたの古い邪悪な欲望は、キリストといっしょに十字架につけられました。私たちのこの罪を愛してしまう体は滅ぼされましたから、もはや罪の支配を受けず、二度と罪の奴隷にはなりません。罪に対して死んだ私たちは、どんな罪の誘惑や力からも自由にされています。」

わたしたちの古い自分が、この方と共に十字架につけられ、死んで、葬られる。

そのように、古い私を死なしめてくれるのは、十字架の上で犠牲となって死んでくださったキリストの御力です。

そうして死なしめられた私たちは、もはや肉の邪悪な欲望に支配されないで、

かえって、自分自身を感謝のいけにえとしてささげ、キリストのために生きたいと願うようになる。

それが、私たちに与えられる、十字架の犠牲死の「ご利益」だと、ハイデルベルク問43に言われています。


罪に支配された、古い自分が死なしめられ、葬られた・・・とてもそうは思えないのが現状でしょう。

でも、あなたの中に、あいも変らぬ自分の罪深さを嘆く思いが生まれているなら、それは確かに、古い自分がもう死んだ証拠です。

今や私たちは、十字架のキリストの愛と恵みによって、罪の支配から自由にされ、罪と戦うことのできるステージに入らせていただいているのです。


共に祈りましょう。

我が罪のため、栄えを捨てて、天より降り、十字架にかかってくださった主よ。古い私を死なしめてくださったことを感謝します。今日の一日、罪の奴隷ではなく、あなたの僕として、罪との戦いに勝利させてください。
2014. 04. 17  
ハイデルベルク問40によれば、キリストが死を苦しまねばならなかった理由は、

神の御子の死による以外には、わたしたちの罪を償うことができなかったからです。


私たちは、神の正義の前に罪人であり、永遠の滅びに定められてしまった存在である・・。

それは、あの創世記のはじめのアダムとエバの堕落以来の、悲しい真実として、聖書に示されています。

「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。(創世記2:17)」

この神からのルールを守れなかった、アダムとエバの姿は、私たちの姿を映し出しています。

だれもが、神のルールに従えないし、従おうとしない罪人です。

そうである以上、ここで約束された永遠の「死」を、だれも免れることはできません。

でも、それを免れさせるために、神の御子が身代わりに、「死」を苦しんでくださったのです。


共に祈りましょう。

私たちの身代わりに死んでくださった十字架の主よ、あなたによって開かれた命を、今日も精一杯生きたいと願います。どうか、与えられるすべての時間と働きの中で、あなたの栄光をあらわすことができますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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