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2014. 05. 31  
日曜日の御言葉を思い返しましょう。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイ11:28-29)」

この有名な言葉は、実は、悔い改めへの招きの言葉だと申し上げました。

わたしのもとで、神を見つめ直しなさいという招きです。

あなたは神を見失っている。そして自分を見失っている。だから、疲れてしまっている・・。

神を見つめなおしなさい。自分を見つめ直しなさい。

それは、柔和=神に委ねきった人である、イエス様と同じようにしなさいという招きでもあります。

柔和なわたしに学びなさい。神との内的一致に生きる人間の、充実、平安、強さ、やさしさ・・を知りなさい。

あなたも幼子のようになって、神との関係を回復させていただきなさい。

その時、あなたは永遠の安らぎを得る。

あなたが願っていたどんな安らぎよりも深く、やさしい、あなたの魂を完全にいやし、憩わせてくださる神の安らぎを得るだろう。

・・・そういう、根源的な悔い改めの招きなのです。


共に祈りましょう。

主よ、今週もあなたを見失ってばかりで、くたくたになってしまっている私たちです。このかたくなな心を、あなたへと向かわせてくださって、永遠の安らぎへと至らせてください。
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2014. 05. 30  
「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。(Ⅰペトロ2:5)」

「神に喜ばれる霊的ないけにえを献げる」、これが大切なことです。

それはどういうことか。分かりやすいのは、勝田台教会の5つの使命に沿って考えることです。

①礼拝・・主日礼拝や祈祷会、それぞれの家庭での聖書と祈りの時間を大切に取り分ける。

②愛の業・・慈善の業のために献金・献身する。

③伝道・・伝道に励んで、回心者を得て、彼らを「供え物」として神に献げる(ローマ15:16)。

④まじわり・・兄弟姉妹を助けるために、時間を献げる。

⑤教育・・神の道を深く知り、自分が聖化されていくように、学びと訓練に励む。


ハリー・リーダー牧師は面白いことを言っていました。

聖書の舞台である、ガリラヤ湖と死海、この二つの湖。

ヘルモン山の雪解け水を受け、それを飲み水として供給するガリラヤ湖は生きている。

しかし、ただ受けるだけで、どこにも流れ出る川が無い死海は、文字通り死んでいる。

「受ける」だけでは、死んでしまいます。

「神から恵みを受ける」だけではなく、「神に献げる」ことが必要なのです。


共に祈りましょう。

すべてを与えてくださる主よ、今日も恵みと祝福で満たしてください。私たちもまた、あなたに喜ばれる霊的ないけにえをささげ、生きた歩みをすることができますように。

2014. 05. 29  
昨日まで、「教会の再活性化」のためのセミナーに参加してきました。

勝田台に赴任してから取り組んできた方向性に間違いがないことを確認できました。

新奇なことは何もなく、ひたすらまっすぐに、命を生み出す福音の喜びに立ち返らせていただき、より健やかな牧師、教会となれるように、聖書から学びました。


分かち合いたいことはいくつもあるのですが、何よりうれしかったのはこんなエピソードです。

講師のリーダー牧師は、大変立派な方ですから、国会議員にならないかとお誘いがあったそうです。

彼は、即座に、断固として断りました。

彼にとって、イエスの羊を養う牧師として召されたことこそ、最高の栄誉だからです。

彼にとっては、国会議員になるのは「格下げ」だったのです。

私も、3年前、ある牧師との出会いを通し、この自覚と誇りを与えていただきました。今回、また心を燃やされました。

「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネ10:10-11)」

皆さんお一人お一人は、まことの羊飼いイエスが、命をかけて愛された羊です。

その宝物をゆだねられる・・、これほど誇らしいことはありません。


共に祈りましょう。

大牧者なるイエスよ、あなたに愛されている私たちは幸せです。私たちが互いに愛し合えますように。

あなたに選ばれたこの貧しい羊飼いが、あなたの最愛の羊たちを正しく命へと導くことができますように、今日も助けてください。
2014. 05. 25  
明日から、水曜日まで、日光オリーブの里で、「教会の再活性化」をテーマとしたセミナーに出席します。

そのため、日々の御言葉はお休みし、木曜日から再開させていただきます。

よろしくお願いいたします。
2014. 05. 24  
はや土曜日ですね。今週も、私はたくさんの人との豊かな語らいの時が与えられ、大きな恵みをいただきました。

みなさんはいかがでしたか?昨日までの恵みを数え、そして、今日という日を喜びましょう。

日曜日に与えられた御言葉を思い返します。(マタイ11:20-30)

イエスの招きに素直に応える「幼子のような、くだかれた信仰」ということが、一つのポイントでした。

キリスト者の成熟とは、イエス様のようにくだかれていくことです、という話もしました。

しかし「くだかれる」というのは、難しいことですね・・。

今日はあえて、これ以上何も言わず、いくつかの御言葉をお届けして終わります。


「わたしは、高く、聖なる所に住み、
 打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、
 へりくだる霊の人に命を得させ
 打ち砕かれた心の人に命を得させる。(イザヤ57:15)」

「わたしが顧みるのは
 苦しむ人、霊の砕かれた人
 わたしの言葉におののく人。(イザヤ66:2)」

「主は打ち砕かれた心に近くいまし
 悔いる霊を救ってくださる。(詩篇34:19)」


共に祈りましょう。

主よ、幼子のような信仰にあこがれます。私たちは、たくさんのことを経験したがゆえに、汚れて、疲れて、信じる心も失ってしまいました。

どうか主よ、この惨めな私たちを、丸ごと受け止めてくださって、あなたの愛で、すべての罪を覆ってください。
2014. 05. 23  
誓約の第六は、教会への忠誠です。

⑥あなたは、日本キリスト改革派教会の政治と戒規に服し、その純潔と平和のために務めることを約束しますか。

教会の政治と戒規・・などと聞くと、構えてしまう方もおられるかもしれませんが、決して特別なことではないのです。

教会は、地上にあらわれた神の国の中心であり、キリストの王国です。

国に政府と憲法があるように、キリストの王国にも役員組織と教会憲法があって、キリストが与えてくださったルールに則って、活動が行われています。これが教会政治です。



教会は、絶対君主であるイエス様によっておさめられています。

「ナルニア物語」の偉大なライオン=アスランは、イエス様をモチーフにしていますが、王の王なるイエス様の頼もしさを、うまく表現していますね。

教会はいつも、どんな時でも、この頼もしい王のゆえに揺らぐことありません。

「主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。(詩篇93:1)」


共に祈りましょう。

教会のかしらなる主、王の王イエスよ。今日もあなたの教会に連なるすべての兄弟姉妹に、求道の友に、慰めと平安を与え、希望を満たしてください。
2014. 05. 22  
昨日は夜の祈祷会で、「聖定」ということを考えました。聖定・・・すなわち、神様の永遠のご計画です。

神は、宇宙のあらゆる運行を、深い熟慮に基く永遠の決意によって、あらかじめ定めておられます。

祈祷会では、色んな疑問をみなで分かち合いました。

その中の一つは、「祈りによって神様のご計画が変わるのですか?」というものです。

これは本当に、神秘に属する難問です。確かにそういう場面があります(アブラハムの執り成しが聞かれる、など)。

でも、それはご計画が変わったというのではなく、それも含めてすべてが究極的には神のご計画ということになるのですが・・・これは人間理性の限界を超えていますね。


ちいろば先生で有名な、榎本牧師はこう言っていたそうです。

「全知全能の神にできないことはない。信じて必死に祈りなさい。

でも、それが御心かどうかは神様の計画にあるのであって、我々人間の思いや希望に従って動かれるのではない。

もしそんなもので動くくらいの神様なら、私が信頼するだけの価値がない。

神様をとことん信じて、徹底的に御手にゆだねる。

主の御手の中で、主の責任において起こることであれば、どんなことも問題ない。」


「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。(箴言19:21)」

大切なことは、大いなる神の愛に満ちた「主の御旨」への、ひたすらな信頼です。


共に祈りましょう。

主よ、あなたが何を考えておられるのか、すべては分かりませんが、あなたに信頼いたします。あなたの御旨にしたがって、この宇宙を、今日もふさわしく導いてください。


2014. 05. 21  
誓約⑤あなたは、最善をつくして教会の礼拝を守り、その活動に奉仕し、教会を維持することを、約束しますか。

「最善をつくして教会の主日礼拝(また祈祷会)を守る」ことは、神が求められることです。

でもそれは、「わたしたちが、神のために、礼拝を守らねばならない」ということではありません。

「神が、わたしたちのために与えてくださる礼拝の時間が、わたしたちの体と魂を守ってくれる」のです。

これは私が、繰り返し申し上げていることです。

先の日曜日にも、一人の求道の友が伝えてくださいました。

「心がカラカラに渇いていることに気付いて、礼拝に来たいと思いました・・。」

人間は、神と共に生きる者として造られた者ですから、神との関係を見失ったままでは、必ず渇きを覚えるようにできているのです。

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。・・耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。(イザヤ55:1-3)」

このように、神はご自身のもとに私たちを招き寄せ、命の水である御言葉を語ろうとしてくださいます。

今日の、朝と夜の祈祷会も、神との垂直な関係を確かめる機会として、神が用意してくださったものです。

雨の一日ですが、可能な方はぜひご参加ください。


共に祈りましょう。

愛する主よ、私たちの疲れた魂は、あなたのもとにある永遠の平安と慰めを必要としています。主よ、今日も兄弟姉妹が、あなたとの交わりがゆるされて、しっかり立つことができますように。
2014. 05. 20  
先週土曜日、東関東中会の女性の会修養会に参加しました。

そこで、他教会の一人の姉妹から、ホームページに掲載している「日々の御言葉」を、毎日読んでいますとの、うれしい報告をいただきました。

この「日々の御言葉」は、私たちの心に、御言葉が「貯金」されていくことを願って、継続しています。

そういえば、土曜日の修養会で、講師の山内長老(医師)もこんなことを言っておられました。

「御言葉を心に蓄える」

死を間近にした方々と向き合う時に、その蓄えられた御言葉だけが、口から出てくるのです、と。

それは、伝道という場面だけではなくて、私たち自身の試練や困難、また死と向き合う場面でも同じですね。

心に蓄えられた御言葉は、いざという時に輝きだし、内なる神の語りかけとなります。

聖霊は、そんな血肉化した御言葉を通して、慰めと希望をもたらしてくださいます。

ヤコブ書1:21の言葉は真実です。

「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちの心に、あなたの恵みの御言葉を植え付けてください。この心にしっかりと、あなたの御言葉が蓄えられますように。御言葉によって、今日もどんな時も、強く雄々しくあることができますように。
2014. 05. 17  
「④あなたは今、聖霊の恵みに謙虚に信頼し、キリストのしもべとしてふさわしく生きることを、決心し約束しますか。」

聖霊とはどんな方か?どんな恵みをもたらしてくださるのか?

・・・実は、この問いにしっかりとした答えを持っているか否かで、その人の信仰のありようは激変します。

旧約聖書においては、聖霊はまだはっきりとご自身を表されず、ただ神からの感化力とかエネルギーというぐらいのような感じに書かれています。

しかしイエス様が、聖霊の真のお姿を教えてくださいました。

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。(ヨハネ14:16)」

このように、聖霊とは、イエス様が天へと移動されて後、代わって遣わされる別の弁護者(助け主、慰め主、生命の与え主)であります。

ただ神からのエネルギーというのではなく、人格のある方として、わたしたちに深く関わり、共に生きてくださる方です。

イエス様に代わって、あらゆる時代に、あらゆる場所で、信じる人の心の中に生きる、別の形のキリストと言っていい方です。

わたしたちは「イエス・キリストが私の中で生きておられる」と言いますが(ガラテヤ2:20など)、それは、天から遣わされた代わりの助け主である聖霊が、宿っていてくださるという意味なのです。

この方が、永遠に一緒にいてくださる・・このことが、すべての慰めの源泉なのです。


共に祈りましょう。

聖霊において永遠にわたしたちと共にいてくださる、主イエス・キリストよ、父なる神よ。今日も、三位一体なるあなたの完全な守りと祝福の中で、わたしの命を輝かせてくださいますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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