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2014. 09. 13  
今週から「十戒」を学び始めていますが、この10の戒めに集約される神の律法(教え、道)は、私たちを「自由」にするものであるということを、改めて確認しましょう。

その「自由」とは、「罪からの自由」です。

私たちは皆、罪という奴隷商人によってだまされて、売り飛ばされそうになっている存在です。

罪という奴隷商人は、あなたを縛り付けている神の禁令から解き放たれて、人間らしい自由を謳歌しなさいと唆してきます。

私についてくれば、フロンティアに連れて行ってあげようとだまします。

そうして罪に飼いならされて、間違った自由を謳歌した結果はどうでしょう。

なんでもありの、自分の自由で人を殺し、自分を殺すこともできると考える、底なしの悲惨に沈む現代人が生まれました。

神が与えてくださるのは、その間違いから抜け出す道です。

真の「自由」とは、「御言葉に反することに従わない自由」であり、「キリストに従う自由」です。

罪の正体を正しく知り、罪と戦いはじめることが必要です。自分のための解放戦争です。

十戒は、そのために与えられた武具であり、正しい地図なのです。

「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネ8:31-32)」


共に祈りましょう。

主よ、私たちが、罪の教えではなく、神の言葉である十戒にとどまることができますように、今日も助けてください。悪い思いに飲み込まれないように、私自身の罪と、社会の悪に、正しく対峙することができますように。
2014. 09. 12  
もし最愛の伴侶から、「私が他の異性と関係を持ってもいいでしょ?怒るなんて器が狭い。」と言われたら、どうでしょう。

個人の自由だと許容するのは、寛容ということなのでしょうか。

それとも、それは愛の放棄なのでしょうか。

十戒の第一戒「わたしのほかに神があってはならない」も、問題なのは、愛なのです。

「わたしはあなたを決して裏切らない」と、永遠の愛を約束される神の熱情に動かされ、「わたしもただあなただけを愛します」と、愛を契る。

これが、信仰を告白するということです。


旧約聖書ホセア書には、何度も夫を裏切る妻のことを、なお愛せよと、神から命じられるホセアの苦悩が描かれます。

それは、民から何度も裏切られながらも、愛することをやめない神の愛を体現するものでした。

「主は再び、わたしに言われた。『行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。(ホセア3:1)」

神は決して寛容なのではありません。非寛容で、排他的です。裏切りに怒り狂われます。

でも神は、私たちが、何度過ちを犯しても・・、決して見限らないで、愛し続けてくださるのです。

この神の愛を、もう裏切りたくないのです。


共に祈りましょう。

主よ、ただあなただけを一途に愛することができますように。家族を、配偶者を、一途に愛することができますように。あなたが愛しておられるすべてのものを、私も愛することができますように。
2014. 09. 11  
十戒の本文に入ります。第一戒はこれです。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(出エジプト20:3)」

この言葉を、排他的で嫌だと感じる方はいらっしゃるでしょう。

でもこの言葉を、私たちを捕らえているいろいろなものからの解放宣言として、受け取ってみませんか。

「わたしだけを信じていれば大丈夫だよ」と言われていると、受け取りなおしてみませんか。


私たちは色んなことに思い煩い、不安を覚え、だから、色んなものにすがりたくなります。

例えば、人間にすがりますね。

私もたくさんの人を頼りにしています。妻、長老たち、教会の皆さん、恩師、友人、・・・etc、

あの人がいなくなったら立ち直れないかもしれない・・・

そんな風に、「決して失いたくない」としがみついているというのは、その人を「神」としているということです。

オカネやカイシャを「神」としている場合もあるでしょう。

あるいは、そういう風にすがることのできる「神」を何も持たないで、心細くしている方もいるでしょう。

でも、「あなたにはわたしがいるではないか。」と、神は言われます。

「すべてのものには終わりがある。神々と呼ばれているものも、すべては空しい。わたしだけが主、あなたの神だ。わたしを信頼しなさい。」と、神は言っておられます。


共に祈りましょう。

唯一の主、大いなる神よ、あなたを信頼すること鈍い私たちですが、おゆるしください。今日、私がもつすべてのよい物が失われても、どうかあなたは私を見捨てず、永遠に愛してください。
2014. 09. 10  
十戒には、具体的な戒めに先立つ序言があります。

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。(出エジプト20:2)」

この序言が大事です。この序言抜きで、十戒を考えてはいけません。

この序言から分かることは、神は私たちの解放者であることです。

十戒は、わたしたちを束縛するための言葉でなく、罪からの自由に生きる新しさへの解放のための言葉です。

「わたしは主、あなたの神」とは、わたしはあなたの生涯を責任をもって導く救い主だ、あなたをどこまでも愛する者だという宣言です。

同じ呼びかけで始まる有名な言葉は、イザヤ43:3-4です。

「わたしは主、あなたの神、イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。

わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代償とする。

わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。」


共に祈りましょう。

神よ、大いなる愛よ。私を罪から解き放つために、身代わりに御子を与えてくださったことを感謝します。今日もこの魂を、聖書の言葉によって解放し、罪に支配されない生き方へと導いてください。
2014. 09. 09  
今日から十戒の学びをいたします。

十戒というのは、私たちがどちらを向いて歩いていけばいいのかを教えてくれる、道しるべです。

イエス様はわたしたちを、「まことの悔い改め(回心)」へと導いてくれます。

それは、「古い人の死滅」と「新しい人の復活」という、二つのことで成り立ちます。

古い人の死滅とは、これまでの自分の罪を心から嘆き、これからはそこから離れたいと、罪を憎み避けはじめることです。

新しい人の復活とは、キリストによって心から神を喜び、神の御旨にしたがった善い行いに、心を打ち込んで生きるということです。

「心を打ち込んで生きる」というのがいいですね。(以上、ハイデルベルク問88-91参照)


十戒とは、そのような「まことの悔い改め」のための、道しるべ(または地図)として、救いに招かれた者たちの新しいスタートのために、与えられる恵みです。

「わたしの法を行い、わたしの掟を守り、それに従って歩みなさい。わたしはあなたたちの神、主である。わたしの掟と法を守りなさい。これらを行う人はそれによって命を得ることができる。わたしは主である。(レビ18:4-5)」


共に祈りましょう。

主よ、今日も道しるべにしたがって、私たちが間違った道に迷ってしまわないように導いてください。あなたが喜んでくださることに、心を打ち込んで生きることができますように。
2014. 09. 06  
長く配信をお休みしていましたが、再開したいと思います。

いよいよ3年目に突入です。毎朝のこの時間を大切に、御心がなりますようにと祈り続けていきましょう。

今週は、神戸での訓練会の恵みにあずかりました。その中心は、聖書の発見学習です。

講師の先生の言葉が印象的でした。

「神様が、今日も御言葉を通して新しいことを発見させてくださる!!

この期待感をもって、日々過ごしてほしいのです。そして、教会の皆さんにも、この期待感を与える牧師でいてほしいのです。

どんな期待をもって人生を歩むかが、大切なのです。」

詩篇119:130の御言葉を思い出します。「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。」

必要なことを何も知らない私たちです。

でも神は、今日も必ず御言葉を開いてくださって、新たな光の中に導き、新しい理解を与えてくださいます。

神様について、自分自身について、救いについて、希望について、歩むべき道についての、新しい理解を。

そのとき私たちは、昨日までとは違う自分へと、高められるのです。



ともに祈りましょう。

主よ、今週も今日まで、あなたと共に生きることがゆるされ感謝をします。病んでいる者にも、心悩ませている者にも、人知を超えた平安をお与えください。今日も、私の貧しい思いを超えた、御言葉の光を発見させてくださって、この心を高く引き上げてください。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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