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2014. 10. 17  
洗礼の意義について、色んな角度からの説明がなされます。

さまざまな教理問答を見比べて、広く深い理解をされるのが望ましいです。

私は、ジュネーブ教会信仰問答の問324の答を、特に大切にしています。

「洗礼の意義には二つの部分があります。

すなわち主は洗礼において、われわれの罪の赦しを、

次にわれわれの新生もしくは霊的更新を、われわれに差し出されるのです。」


わたしたちの魂は、キリストの血と霊によって洗われ、罪が赦されます。

洗礼の水は、そんな「罪の洗い」の確かさを保証するしるしです。

そのようにして、きれいに洗っていただいて、新しい自分が始まります。

つまり、聖霊による「新生もしくは霊的更新」です。

以下のテトス3:5-7にあるように、わたしには聖霊が豊かに注がれ、洗われ、「新たに造りかえて」いただいたと、受洗者は確信してよいのです。

「神は・・ご自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」


共に祈りましょう。

主よ、洗礼を控える兄弟に、上よりの豊かな祝福と備えを与えてください。私たちすべての者が、今この時に、人を救いに導かれるあなたの大いなる愛に目覚め、思いを新たにすることができますように。
2014. 10. 14  
今日から改革派教会の大会会議ですので、明日明後日と配信をお休みします。

女性長老問題を含め、大事な議題が話し合われますので、お祈りに覚えてください。
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次の日曜日に、洗礼を受けられる予定のS.Tさんのために、みなの祈りを合わせたいと願います。

昨年、H姉の洗礼に際して、皆さんにご紹介したのは、ジュネーブ教会教理問答問111です。

「真の信仰」とは何か?という問いに、こう答えています。

「それは、わたしたちに対する神の慈愛についての、確実な揺らぐことのない認識です。」

つまり、「わたしは、どんな時も、何があっても、絶対に神に愛されている」と、どこまでも信じることです。



聖書にはこう書いてあります。「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・・・わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(ローマ8:35-39)」

Tさんには、これからの信仰の歩みを通して、この確信に至ってほしいと願います。

「わたしたちに対する神の慈愛についての、確実な揺らぐことのない認識」を持って、生き、そして死んでいくことができますように。


共に祈りましょう。

主よ、これほどまでにあなたに愛された、わたしたちは幸いです。今日、様々な場面で、あなたの慈愛を見出し、心を強くすることができますように。確信へと至ることができますように。
2014. 10. 11  
「父母を敬え」と言われますが、父母から適切に敬ってもらったと思えないのに、父母を敬うことなどできないでしょう。

皆さんの中にも、父母に対する複雑な思いをお持ちの方は少なくないでしょう。

そして、そういう人は、自分のことも正しく愛せないものです。

親から大切に扱われたという手応えがないと、自己肯定感の低い人となると一般に言われます。


実際の父母との関係が破れてしまっている人に対して、「親換え」ということを薦めたのは、亡くなった古川第一朗牧師です。

私たちは肉親を選ぶことはできません。

でも、地上の父母は欠け多いもので、十分に子を愛せない方々もいます。

そういう親への恨みに縛られるのではなく、神様という新しい親を選びなさいと、言われます。

父なる神の、無限の愛の中で癒されて、自分の大切さをしっかり把握しなさい。

そうして、親から子へと受け継がれてきた恨みの連鎖を巻き返し、

あなたから始まる愛の連鎖を作り出していくのです、と教えられています。

「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。(Ⅰヨハネ3:1)」


共に祈りましょう。

父なる神よ、あなたの大きな愛で私を満たしてください。あなたにこれほどに愛していただいている、自分を大切にすることができますように。

親子の関係で悩んでいる者たちを、どうか憐れんでください。親子それぞれの抱える傷がいやされて、愛し合う喜びを知ることができますように。
2014. 10. 10  
昨日ある姉妹と語らったことを、皆さんにもお伝えします。

信仰者とは、結局「他力本願」で、自分の努力をしようとしないで神の助けばかり求めている、との批判があります。

私たちのぐうたらで無反省な日常が、そのような批判を呼ぶのでしょう。

まず、私たち自身が、理解を正確にする必要があります。

信仰に生きるとは、確かに「他力本願」と表現される面があるでしょう。

でも、「他力本願」とは本来、自力での救済を必死に、必死に、必死に求めた末に、どうにもならない自分の限界を思い知らされた人が、たどりついた信仰の境地です。

「もう、神に救っていただくよりない・・」というところまで、自分と世界の罪を、病を、愚かさを、弱さを、悲惨を見つめぬくなら、「他力本願」になるしかないのです。


「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるに違いないと、わたしたちは神に希望をかけています。(Ⅱコリント1:8-10)」

「生きる望みさえ失うほど」に追い詰められたところではじめて、神の希望の光を見出したのです。

私たちの信仰は、先人たちのこのような必死の戦いを経て、継承されてきているのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちの人生をおゆだねします。あなたの助けがなければ、空しさにのみこまれていくこの罪人を、どうか今日も憐れんでください。
2014. 10. 09  
「父母を敬え」という第五戒を考えています。

完璧に愛せる親はいませんから、誰でも多かれ少なかれ、親への恨みを抱いています。

「こういう親であればよかったのに・・」と、身勝手に親を責めます。

しかし親になると今度は、やっぱり愛し方が下手で、自分と同じ苦しみを子に与えてしまいます。

アダムとエヴァの堕落以来、人間はそんな「子育ての労苦」を味わうものとされました。

創世記1:16の「お前のはらみの苦しみを大きなものにする」との神のエヴァへの定めは、出産の痛みのはじまりだと言われます。

でも原語から判断して、これは「子を生み育てることに伴う切ない労苦」のはじまりだと、私は解釈します。

聖書に出てくるたくさんのいびつな親子関係(特に母との関係)は、そういう「労苦」を証ししています。

この「労苦」を宿命づけられている以上、だれ一人としてふさわしく、「父母を敬う」ことも「子を敬う」こともできないでしょう。

キリストの完全な愛の中で、親も子も完全に愛され、それぞれの罪を赦されることが必要です。

そして、和解し合い、家族を再創造していただく必要があるのです。


主よ、父母を敬うことができないで苦しんでいる者を憐れんでください。子を上手に愛せないで苦しんでいる者を憐れんでください。互いに傷つけ合う私たちの愚かさを、どうか赦してください。キリストの愛を、この心に満たしてください。
2014. 10. 08  
十戒は、第四戒までが対神関係についての言葉で、第五からは対人関係についてです。

その一番最初にくるのが、「あなたの父母を敬え」なのです(出エジプト20:12)。

父母との関係が、あらゆる人間関係の要だと示されています。

父母を適切に敬うことができる人は、自分を適切に敬うことができます。

そして、自分を敬うことができる人は、隣人を敬うことができます。


でもそれは逆に言えば、父母との真に健やかな関係を作ることが、もっとも難しいということでもあるのです。

父母に恨みを抱いている。親に愛されなかった。どうしてこんな親からわたしは生まれてきたのか・・。

そんな風に苦しんで、自分など生まれてこなければよかったのかと考えてしまう人もいるでしょう。

その反対に、父母との関係が濃すぎて、いつまでも互いに依存して・・。

それもまた、いびつであるでしょう。

「あなたの父母を敬え」とは、なんと困難な戒めでしょう。

でも神様は、この一番重要な問題にちゃんと向き合いなさいと教えてくださっています。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの与えてくださるすべてのものを、今日も喜び生きることができますように。父母との関係に、また子との関係に苦しんでいる者たちにも、最善の導きがありますように。
2014. 10. 07  
先の日曜日に、N.Tさんの洗礼試問が行われ、10月19日に洗礼式を執行することとなりました。

聖霊の導きに、驚きと畏れと感謝を覚えつつ、よき備えができますようにと祈りましょう。

10月26日には、ジョン・ゴー宣教師をお迎えしての、ウェルカムチャーチデーです。

家族や友人の救いのために、改めて祈り願いましょう。

ホームページにも案内を出しました。http://www.katsutadaichurch.com/

使徒言行録17:22-32の、アテネにおけるパウロの説教から、「知られない神に」というテーマで語ってくださいます。

少し砕いた訳で、アテネを日本に変えて、読んでみましょう。

「日本の皆さん、あなたがたは宗教に大変関心をお持ちのようですね。町を歩けば、必ず多くの神社仏閣が目に留まります。

皆さんは、自分たちがまだ知らない神がおられるということも、謙虚に認めておられるようだ。

私は今、その方のことを、お話したいのです。

その「知られない神」は、世界とその中のすべてのものを造られた天地の主です。・・・・」

私たちの隣人がまだ知らない、聖書の神についての正しい知識を、丁寧に提供できたらいいですね。


共に祈りましょう。

主よ、私たちそれぞれが、祝福の源として、今日もそれぞれの場にあって、あなたの存在を豊かに証しすることができますように。あなたを知る喜びに、私たちを満たしてください。
2014. 10. 04  
今週、安息日の恵みについて考えてきました。

安息日を休むのは、神が休まれたからだと言われています。

「安息日を心に留め、これを聖別せよ。・・七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。・・六日の間に主は天と地と生みとそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。(出エジプト20:8-11)」


私は庭いじりが好きなのですが、一仕事終えた後の休憩は、実にいい気分です。

デザインどおりに植栽された植物が、これからどう育っていくか楽しみにしながら、満足感に浸る。

神様にとっても、天地の創造を終えられた後のお休みは、そんな喜びの一日だったでしょうか。

神は満足をもって、「すべては極めて素晴らしい!!」と、天地のすべてを喜んでくださいました。

安息日は、そんな神の喜びの声が響く時です。

その喜びに励まされ、世界と自分とを喜ぶ時です。

そして、神の賛美に呼応するようにして、大きな声で、神をほめたたえる時です。

明日の礼拝に、そんな思いをもって集いたいですね。

集うことのできない方にも、神の喜びの声が聞こえますように。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの最愛の作品として生み出され、喜んでいただく、自分の存在の尊さを思い、感動します。今日も私たちを喜んでください。今、自分を大切にできない人がいましたら、どうか励ましてください。
2014. 10. 03  
昨日は長野のM兄姉をたずねておりまして、配信をお休みしました。お二人とも平安なご様子でした。
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安息日、すなわち礼拝の一日である日曜日は、神の前で静まって、自分の力を捨てる時だと確認しました。

こりかたまってしまった自分の考えを捨てて、神の言葉に耳を向けるのです。

重荷を自分で背負うのではなく、まるごと神に担っていただくのです。

自分の操縦席を、神に開け放して、お休みするのです。


そしてそれは本来、日曜日だけでなく、生涯のすべての日において必要とされることです。

「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。

この神は、わたしたちの神、救いの御業の神、主、死から解き放つ神。(詩篇68:20)」

「日々」担ってくださる方が、今日もわたしたちの味方です。

この方に信頼し、安心して息をしながら、今日の日を過ごしたいですね。


共に祈りましょう。

主よ、自分のこと、愛する人々のこと、この世界の行く末・・心配なことがたくさんあります。でも、今日もあなたを信頼します。わたしたちの神よ、あなたがすべてをご支配くださり、最善を備えてください。
2014. 10. 01  
安息日を守りなさいとの、第四戒を考えています。

「私たちが安息日を守るのではなく、安息日が私たちを守るのだ」

これは、ヘッシェルというユダヤ人哲学者の言葉です。

私も真似して、「日曜日の礼拝が私たちを守ってくれるのです」と、繰り返し言っています。

一週間もすれば、色んなことがありますから、私たちの心はすぐに黒く染まります。

自分中心の考え方にたくさん触れて、疲れてしまいます。

不安がだんだん大きくなり、心がかき乱されます。

一週間に一度、魂のお洗濯が必要です。リセットが、リフレッシュが必要です。

神の前で、ひたすら静まって、自分が今どういう状態なのかを見つめ直すのです。

その時、主が私たちの内に、大いなる救いの力を働かせてくださいます。

「力を捨てよ、知れ、わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。
 
万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。(詩篇46:11-12)」


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたの御言葉によって、魂のリセットをしていただいて感謝します。この一日が、あなたと共に生きる喜びに満たされますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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