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2014. 11. 29  
今日は、船橋高根教会でバチコイ★アドベントという、中高生のクリスマス会があります。

本当は、まだアドベントにも入っていないので、一足早すぎるのですが、祝福をお祈りください。

明日の日曜日から、アドベント(待降節)が始まります。

アドベントは、救い主イエスがこの地上に生まれてきてくださった恵みを覚え、主をこの心にお迎えできるように、祈って備える時です。

また、この期間は、終わりの時に、再び来てくださる主を待ち望む思いを、新たにする時でもあります。

かつて内村鑑三は、戦争をなくすことのできない人間の現実に、

「罪」の深刻さを見つめ、主の再臨を待ち望む「神の国運動」を起しました。

わたしたちも今、「主よ、来てください。あなたの義と愛と平和に満ちる世界を、来たらせてください」と、祈りを集めたいと思います。


聖書の一番最後、黙示録22:17、20をもって、祈りに変えさせていただきます。


「“霊”と花嫁とが言う。『来てください。』これを聞く者も言うがよい、『来てください』と。

渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

・・・以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』

アーメン、主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」
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2014. 11. 28  

昨日、K・Aさんの試問が無事終了し、クリスマスに信仰告白式をすることとなりました。

「イエス・キリストを信じる者の希望と、主に与えられる目的」の尊さということを、長老が語ってくださいました。

Aさんは今、そんな「信じる者」の希望と目的を持つ者として、新しく歩みだし始めています。


「使徒信条」は、「我は・・・信じる」との決然とした告白です。

「我々」ではなく、ひとりの、孤独な「我」です。

もちろん、この「我」は、過去・現在・未来の、また世界中のクリスチャンである「我々」のひとりです。

でも、神との垂直な関係の確立は、他のだれにも手伝えませんし、邪魔もできません。

私たちはだれも、ひとりで生まれ、死んでいきます。限りなく孤独な存在です。

でも、その孤独な「我」を、どこまでも見守り続けていてくださる、神の愛があります。

その愛に気付いた時に、「わたしもあなたを愛します。あなたを信じます」と、自分ひとりで決断する。

それが信仰告白です。

「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。(詩篇116:1-2)」


共に祈りましょう。

主よ、今日もわたしは、あなたを信じます。あなたの全能の御力を、キリストの愛を、聖霊の恵みの導きを信じます。主よ、どうぞ今日も見守っていてください。

2014. 11. 27  
「使徒信条」は元来、洗礼試問の言葉にさかのぼるものです。

洗礼を受ける者が、洗礼を授ける者から、「あなたは全能の神である父を信じますか」と聞かれます。

「信じます」と答えると、最初の水に浸されます。

次に、「聖霊によっておとめマリアから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられて、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇って父の右に座し、生者と死者をさばくために来られる神の子、イエス・キリストを信じますか」と聞かれる。

「信じます」と答えると、二度目の水に浸される。

最後に、「あなたは、聖なる教会の中で聖霊を信じますか」と聞かれ、「信じます」と答えると、三度目の水に浸される。

こういう儀式が元となって、やがて「使徒信条」へとまとめられていきました。


今日は、K・Aが、信仰告白のための試問を受けます。

2000年前より脈々と継承され、お父さんとお母さんにも与えられた三位一体の神への信仰を、「私も信じます」と受け継ごうとされています。

その心に宿った信仰の命を、聖霊がふさわしく育て、言葉にさせてくださいますように。

「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。(ローマ10:10)」


共に祈りましょう。

三つにして一人にいます、我が救いの神よ。今日試問に臨む一人の姉妹をかえりみ、その信仰を励ましてください。私たちにもそれぞれ、自分自身の信仰を省みる時を備えてください。
2014. 11. 26  
K君、M姉や、M姉をはじめ、風邪を引いておられる方が多くいます。お祈りください。
********

「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。

わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。

打ち砕かれた心を包み、捕われ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。(イザヤ61:1)」

この預言は、ご自身において成就していると、イエス様は言われました(ルカ4:18)。

「わたし」はそういう者であり、罪からの解放をもたらすために遣わされてきたのだ、と。


「十戒」の学びを終え、今日から「使徒信条」の解説をいたします。

「使徒信条」の中心は、今日のイザヤ書の預言にもあるように、

イエス・キリストとはどんな方であり、何をしてくださったのか、ということです。

3世紀のローマで、洗礼試問に用いられた古ローマ信条がその原型と言われます。

伝説では、12人の使徒たちが、一節ずつ聖霊を受けて語ったと言われますが、いずれにしろ、使徒の時代より脈々と受け継がれてきた信仰が、この短い文章に継承されています。


共に祈りましょう。

父なる神よ、あなたが与えてくださった救い主キリストが、2000年前に生きて働かれたように、今日も生きて働かれることを信じます。聖霊によって、私たちを助け導いてください。
2014. 11. 25  
昨日は、東関東中会の信徒研修会が開催され、前神学校校長の市川康則牧師が講演されました。

大きく取り上げられたのは、「信徒による証し」の大切さです。

「キリストが自分にどんなすばらしいことをしてくださったのか」を、言葉をもって「証言」する。

また、それと切り離せないのは「生活証言」、つまり日常生活の行動による証しです。

ペトロの手紙2:12を思い出します。

「また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」

自分の立派さをあざとくアピールしては台無しですが、「キリストがあがめられますように」と願って、日々を大切に生きたいものです。

印象深いエピソードを教えていただきました。

ある熱心なクリスチャンの方がいて、職場でも勤勉に忠実に励んで、よい証しを立てておられた。

しかし、自分がクリスチャンだと名乗ることはなかった。

だから市川先生はおっしゃったそうです。「ぜひ公言されるべきですよ。そうでないと、職場のみなさんは、あなたのことを立派だと思うだけで、キリストをあがめることにはなりません。

あなたを、救い、作り変え、導き続ける、イエス・キリストのことを指差しましょう。」


共に祈りましょう。

主よ、滅びに向かっていた者が、キリストの血によって贖われ、命の道へと取り戻していただいたことを感謝します。思いと言葉と行いにおいて、あなたの恵みを証しすることができますように。
2014. 11. 22  
明日は会員総会があります。十分な祈りをもって備えていただきたく願います。

特に、長老・執事の選挙は、神の御前に深い畏れと、一人一人の献身の思いをもってなされるべき、重大な営みです。

キリストは、特定の職務に召された役員を通して、ご自分の教会を統治されます。

しかしその役員は、会員一人一人の祈りと決断によって選ばれます。

私たちは、自らの意志をもって、彼らの下で、彼らと共に、教会の前進のために力を尽くすことを決断し、票を投じるのです。

そのようにして、一人一人が真剣に選挙に臨むならば、そういう教会は必ず進展します。

使徒言行録6:1-7に、ステファノたち七人が、奉仕者として選ばれたという記録があります。

彼らは執事職の原型であったとも言われますが、今日はそのことには触れません。

大切なのは、その選挙の後に、「こうして、神の言葉はますます広がり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき・・」とあることです(使徒言行録6:7)。

教会が、必要な奉仕者を求めて、みなの心を一つにして祈り、ふさわしい役員を選び出す時、

聖霊は、その教会の信仰を祝福し、役員の適切な統治の下に、思いを超えた進展を与えてくださるのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの勝田台教会を祝福してください。どうか私たちに、ふさわしい長老・執事を与えてください。あなたの栄光に満ちた教会を形成したいのです。


2014. 11. 21  
第十戒「なんじ、むさぼることなかれ」を考えてきました。

「少しでも多くのものを自分のものにしよう」と願う心は自然の道理のように思えます。

しかしそのような世の常識に、流されるがままにのみこまれていくのか、神の道にとどまるのかが問われています。


いくつかの鍵となる聖句を分かち合いましょう。

「(マタイ6:24)だれも、二人の主人に仕えることはできない。・・・あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

「(箴 28:25)貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。」

「(Ⅰテモテ6:8-10)食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。

金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。

その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。

金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」

「(ヘブライ13:5)金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。

神ご自身、『わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました。」


共に祈りましょう。

すべてを与えてくださる愛なる主よ、今日私たちが、あなたから注がれる様々な恵みに目が開かれ、自分自身に深く満足することができるように、魂を導いてください。
2014. 11. 20  
第十戒「なんじ、むさぼることなかれ」を考えています。

この戒めは、隣人の持っているものをうらやんで「欲しがる」ことの問題を教えてくれます。

隣の家の芝生は青いと言いますが、「あの人ばかりいい思いして・・」とか、「わたしは何も持っていない・・」という思いは、悪魔に利用されます。

「ねたみ」の問題を考えることも大切です。

新約聖書では、「ねたみ」から離れなさいと、何度も繰り返し語られています。

ローマ12:15には「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とありますが、

泣く人と共に泣くことはできても、喜ぶ人と共に喜ぶのは至難の業です。

自分が持っていない幸福を手に入れた人のことを、共に喜べない・・嫉妬してしまう・・。

でも、そういう「ねたみ、嫉妬」から、悪いことが次々と始まります。

ヤコブ 3:16「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。」

どうしたらいいのでしょうね・・。「ねたみ」から離れられない自分が、どんどん惨めになります。

でも、そうやっていじいじして終わらずに、そんな私の罪深い惨めさをも覆ってくださる、神の愛へと目を上げることから、一日を始めましょう。


共に祈りましょう。

主よ、こんな罪深い私をも愛してくださることを、本当にありがたいと思います。あなたから愛されている自分自身を、いつも喜ぶことができますように。そして、「隣人の幸せを願う」愛をも与えてくださいますように。
2014. 11. 19  
十戒の学びも、いよいよ最後の第十戒になりました。

「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。(出エジプト20:17)」

この第十戒は、「人のもの欲しがる」ことの罪、その思いに潜む闇を、教えてくれます。

神さまは、私たちに 必要なものを与えてくださいます。

しかし、人は、少しでも多くのものを、自分のものにしようと欲しがります。

この「むさぼりの心」から、争いも生まれます。盗みも、嘘も生まれます。

だから、その思いから離れなさいと、神様は語りかけておられます。

神様は、私たちに、必要なものを必ずすべて与えてくださいます。

そして、私たちの心を、人の幸せを願うように造り変えてくださいます。


共に祈りましょう。

慈しみ深い父なる神よ、今日もあなたが与えてくださる恵みに期待します。

今日一日、あなたに与えられた私だけの人生に満足し、感謝し、人に与えることを喜びとして生きる者とならせてください。
2014. 11. 18  
「悔い改め」とは、「罪を悲しみ、憎み、捨てること」と、子ども教理問答にあります。

こんなことは神様が嫌がられる、ダメだ・・と分かっていても、兄弟げんかをしてしまうよね・・。

私たちの心の中には、恐ろしい「罪」があるね。

悪い気持ちが止められなくて、悪い言葉を使ったり、たたいてしまったり・・。

そうやって人間は、互いににくみあって、殺しあいます。

・・・本当に悲しいね。わたしたちは、本当に悲しい者たちだね・・。

でも、そういう「悲しみ」をしっかり見つめて、「もういやだ、罪を捨てたい、捨てよう」と願うなら、神様は決して見捨てないでいてくださいますよ。

先の主日の日曜学校で、子どもたちに、そんなことを伝えました。


今、ちまたでは、互いをののしりあう言葉があふれ、どんどん人間が悪くなっていくように感じて、悲しくてなりません。

右も左も、上も下も、老いも若きも、私もあの人も・・。

私たちの誰もが抱える「罪」を、私は悲しみ、憎み、捨てたいと願うのです。

捨てようと、叫ぶのです。捨てさせてくださいと、祈るのです。


共に祈りましょう。

主よ、ヒソプの枝でわたしたちの罪を払ってください。わたしたちが清くなるように。

わたしを、わたしたちを洗ってください。雪よりも白くなるように・・。(詩篇51:9)
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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