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2014. 12. 16  
使徒信条を学んでいます。「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」

「その独り子」ということだけでも、いくらでも話ができます。

先週土曜日に、東関東の学生たちのクリスマス会でメッセージを語りました。

初めて教会に来られた方も含め、未信者のお友だちが6名ほどいました。

私は、ヨハネ福音書の3章16節を、「自分にとって決して失うことのできない言葉です」と、お伝えしました。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

私は、この言葉がなければ、もう生きていけないとさえ思います。

この言葉ゆえに、私は今日も、神に愛されていることを確信して疑いません。

コンプレックスだらけで、自分は誰からも愛されていないとまで思いつめた学生時代でした。

未来には不安だらけで、責任のある歩みをすることを放棄したがってばかりいた若者でした。

でも、神は、その私のために、独り子を犠牲のいけにえとして、与えてくださった・・

それほどに、神に愛されていることを知った時、私は、「私はここに立つ」と言うべき場所を見出したのです。

Ⅰヨハネ4:9,10も、合わせてお読みください。


共に祈りましょう。

私はあなたを愛していなかったのに、私を愛してくださった神よ。このアドベントの時、独り子が世に与えられたことの喜びと希望が、すべての人の心をとらえますように。
2014. 12. 12  
私の母教会である神戸の板宿教会のN長老が天に召されました。

本日18時からの前夜式に参列します(明日の配信はお休みさせていただきます)。

長老は、私の信仰を育んでくださった大切な恩人のひとりです。結婚の立会人もしていただきました。

不器用で、正直で、人間味あふれる方でした。

教会に通い始めた23歳の頃、求道中の私を、よく家に招いてくださって、独特のスタイルで信仰の話を聞かせてくださいました。

長老は照れ屋でしたから、真正面から、神の愛や希望ということを語ったりなさいません。

でも、いつも斜め45度くらいの角度から、自分の信仰の確信を伝えてくださいました。

「坂井くん、誇る者は、主を誇れやで。自分を誇ったらあかん。絶対あかんで。

おじさんは誇れるものなんか何もない。ほんまにない。でも主が生かしてくださるんや。誇る者は、主を誇れやで・・・。」

出会って間もない私に、そんな風に一生懸命語ってくださる大人の姿に、私は言い知れぬ魅力と信頼を覚えました。

こうやって書いていますと、目に涙がにじんできます。

「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いになられたのです。『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。(Ⅰコリント1:30,31)」


共に祈りましょう。

主よ、あなたが備えてくださった様々のよき出会いを通して、キリストとの出会いへ導かれたことを、心から感謝します。私は主を誇りとします。この信仰を与えてくださって、本当に、本当にありがとうございます・・。
2014. 12. 11  
使徒信条を学んでいます。「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」

私たちは、イエス様が、父なる神の特別な「独り子」であると信じます。

創世記22章のアブラハムによるイサク奉献の記事を思い出します。

アブラハムにとってイサクは、かけがえのない、いや、そんな言葉では言い表せないほどに、決して失うことのゆるされない、重大な意味を持つ一人息子でした。

しかし、そのイサクを犠牲としてささげよとの恐るべき命令に、彼は従います。

その葛藤・・。しかし、彼を動かすのは主への信頼。「必ず、すべてを備えてくださる・・」。

そんなアブラハムに、御使いを通して主は言われます。

「その子に手を下すな。何もしてはならない。まことに今、わたしは知った。あなたが神を畏れる者であると。

あなたはわたしのために息子さえ、あなたの独り子さえ、惜しむことをしなかった。(創世記22:12私訳)」
  

しかし、私たちの罪の赦しのために、独り子さえ惜しむことをしなかったのは、本当は父なる神のほうなのです。

神は、ご自分が私たちに与えてくださる以上のものを、私たちから要求したりなさいません。

独り子を与えてくださったという、圧倒的な神の愛と献身が、何よりもまず、そびえ立っているのです。


共に祈りましょう。

独り子をお与えになったほどに世を愛してくださる神よ、クリスマスの近づくこの季節、ことさらにあなたの愛を覚えます。父よ、あなたを信頼します。今日も必要なすべてを備えてください。
2014. 12. 10  
今日2014年12月10日、特定秘密保護法が、施行されます。

この法に対する意見は様々でしょうが、私はとても単純に、こう思います。

人間が何かを隠そうとするというのは、きっと良くないことだ、と。

人間の堕落を伝える創世記の記録は、罪の本質が「隠す」ことにあると示しています。

「主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか。』彼は答えた。『あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。(創世記3:9-10)」


安倍総理は、「機密に関わる役人や、テロリストやスパイを罰するための法で、『ふつうの国民』には関係ない」と言いました。

しかし、彼の考えている『ふつうの国民』とは何でしょう?

国家の意向に逆らうことなく、黙って言うことを聞いている「臣民」のことか?と思えてなりません。

「非国民」との言葉がのさばりはじめ、みんなが口をつぐみ始めた今の日本です。

かつてのように「あいつがスパイだ」との告げ口を恐れる、相互監視社会になることも時間の問題でしょう。

わたしたちは、人間の罪、国家の罪を鋭く見つめて、目を覚ましていたいのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日の日を心に刻みます。主よ、暗さが増していくこの罪深い時代に、十字架の主の勝利を希望として、ひとりでも立つことができますように支えてください。
2014. 12. 09  
使徒信条の学びを進めます。「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」

使徒信条の中心は、イエス・キリストとはどんな方(人格)であり、何をしてくださったのか(生涯と御業)、です。

この後、「主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ・・・」と続きますが、

このイエス・キリストの「ストーリー」にこそ真理があると、私たちは「信じる」のです。

先の日曜日に、「人間の教え・言葉ではなく、神の教え・言葉に忠実に聴かねばならない」との、厳しい説教がなされましたが、

私たちが聴くべき「神の教え・言葉」とは、イエス様がその生涯をかけて教えてくださったものに他なりません。

イエス様が体現してくださった「救いの言葉、愛の教え」は、どこまでも真実で、不変です。

テモテへの手紙Ⅱ2:11-13の言葉を思い出します。この真実な言葉が、今日の皆さんの力になりますように。

「次の言葉は真実です。

わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。

耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。

キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。

わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。

キリストはご自身を否むことができないからである。」


共に祈りましょう。

我らの救い主イエス・キリストよ、あなたに信頼します。人間の教えではなく、あなたの教えに従い歩むことができますように、導いてください。
2014. 12. 06  
今週は「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」との信仰告白をもって歩んできました。

最後に「父なる神」を信じる恵みを確認しましょう。

キリストの救いのゆえに、全能の神が、今や私の「父」でもいてくださる、ここに喜びがあります。

自分のようなダメな父親でも、子らにとっては絶対的な信頼の対象であるのだなと感じて、言動を省みる時があります。

父のひざに座って、絵本を読んでもらう、そんなぬくもりの思い出を子どもたちは、とても大切にしています。

神は、私の真実な父として、広く深く大きな愛で、養い、見守り、くつろがせてくださいます。

この父は、なんでもできる頼もしい方ですから、信頼していればいいのです。

「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。(マタイ7:11)」


共に祈りましょう。

天のお父様、今週も、たくさんの恵みをありがとうございます。あなたが私を見ていてくださるから、何も怖くありません。今日も、必要なすべてを備えてください。
2014. 12. 05  
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」を考えます。

何も無いところから、天と地を造られた神様だからこそ、できないことはなにもないと、私たちは信じます。

海を割ってエジプトから脱出させることも、イエス様を死からよみがえらせることもできました。

強大なバビロニア帝国を動かして、腐敗したイスラエルを滅ぼすこともできました。

またその後に、バビロニアを滅ぼして、イスラエルを回復させることもできました。


かつて預言者エレミヤは、間もなく国が滅びるというその時に、土地を購入しなさいとの主のお告げを受け、当惑しました。

そんなことをしても、もう無意味ではないですか・・・と。

しかし主は言われます。

「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことがあろうか。(エレミヤ32:27)」

そしてその後、この裁きの破滅の後に、わたしは民に新しい心を与え、もう一度この地に帰還させると約束されました。

やがて、その約束は実現し、エレミヤが購入した土地は、彼の子孫の所有として意味を持ちました。

だから、どんなに絶望的な時代が来ようとも、わたしは決して絶望することなく、この神の言葉を淡々と皆さんにお伝えします。


共に祈りましょう。

大いなる主よ、天地創造の大いなる力をもって、私たちの世界に関わり続けてくださる、あなたの全能に今日も信頼します。主よ、必要なすべてを備えてください。
2014. 12. 04  
大会執事活動委員会からの緊急アピールが来ていますので、この場を借りて分かち合います。

2011年の東日本大震災の後、私たち日本キリスト改革派教会の関係団体が、様々な支援活動を行っています。

福島に程近い宮城県山元町の「のぞみセンター」、

東仙台教会が行う東松島での「ボランティアセンター(サクラハウス)」、

また、仙台栄光伝道所による「チーム陸前高田」、名古屋岩の上伝道所による「フクシマ支援」、などがあります。

今回のアピールは、これらを支援するための献金のお願いです。財源がどうがんばっても不足してしまうのです。

勝田台教会でも募金など検討しますが、まずは祈り始めてください。

アピールの言葉に、こう書かれています。

「これらの活動は何よりも主の御国に伴うシャローム(平和、平安)を、被災者の方々に味わっていただき、

これを心の支えに、生きる勇気と喜びに、町々の復興に、主への憧れにつなげる活動です。」

イザヤ9:5の、あのクリスマス預言を思い出します。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。

その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君(シャローム)』と唱えられる。」


共に祈りましょう。

私たちにシャロームをもたらすために、世に来てくださったイエス様に感謝します。今、困難の中にある東北の方々に、あなたの平安と慰めが届きますように。また、長野の被災者の方々にも助けがありますように。

※ こちらにアピールの全文があります。東日本大震災現地支援ニュース 臨時号
2014. 12. 03  
「使徒信条」の学びを再開しましょう。

最初は「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」です。

キリシタン時代の信仰教育に用いられた「どちりなきりしたん」の最初、「第一かんようのだいもく(肝要の題目)」として、天地創造の神を信じるということが挙げられます。

「いちもつもなきところに種なくして天地萬像をつくりあらせたまひ・・・・」と。

この「天地の造り主」という神概念は、日本には無かったものでした。

それを教えられたのは、当時の日本人には大きな驚きであり、また喜びでもありました。

自分たちが生きる狭い島国の、狭いムラ社会しか知らなかった人たちです。

宣教師たちは、そのはるか彼方から来て、教えてくれたのです。

世界は、あなたたちが想像すらできぬほどに広く大きい。

しかもその世界は、それを造られた方の大きな大きな手に支えられている・・・。

そのはるかなスケールをもった教えに触れ、心を高く上げたのです。

「神である方、天を創造し、地を形づくり、造り上げて、固く据えられた方・・主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。

地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。(イザヤ45:18,22)」


共に祈りましょう。

天地の創造主なる主よ、大いなるあなたに今日も信頼します。心がちぢこまってしまっている者も、のびやかに、この日を歩めますように!!
2014. 12. 02  
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯火。(詩篇119:105)」

先の主日、青年会の学びで、この有名な御言葉を分かち合いました。


若い方々には、「道」という言葉が、ピンとこないそうです。

しかし、これまで自分の中に無かった神の言葉を、自分のものとしていくことが、信仰の成長です。

ぜひこれから、「道」ということを意識して、聖書をよく読んでください。

私は個人的には、キリスト教は、本来「キリスト道」と言ったほうがいいと思っています。

キリストは私たちに、「歩むべき道=主の道、命の道」を教えてくださる方です。

「道を学ぶ」とは、「どうして生きるのか」「いかに生きるのか」を学ぶということにも通じます。

そこがあいまいなままでは、まるで暗闇の中をさまようような、むなしい人生に終わります。

聖書とは、「このように生きなさい」と、あなたが歩むべき道を照らし示してくれる、「道の光」なのです。


共に祈りましょう。

主よ、様々な場面で、ふさわしい判断を行うことができるように、聖書によって、今日も私たちの人格を整えてください。
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茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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