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2015. 01. 14  
「我は、その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」

「イエス・キリスト」という方を、「我らの主」と信じるというのは、

この方こそ、私の人生をコントロールする「主人」であるから、この方に従って、この方のように生きていきたいと心を定めることでもあります。

思い出すのは、この聖句です。

さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。(ヨハネ13:12-17)」


「足を洗う」というのは、十字架へといたる主のまったき献身と圧倒的愛の象徴です。

この愛は、私たちをも、互いに愛する者となることへと突き動かす、突き動かさずにいない。そんな迫力を持つのです。


共に祈りましょう。

私たちをこの上なく愛し抜いてくださった、我らの主であり、師であるイエスよ。あなたに愛され、あなたを愛し、そしてあなたのように誰かを愛する、そんな一日にしてください。
2015. 01. 13  
昨年末からお休みしていた、使徒信条の学びを再開しましょう。

「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」を学んでいたところです。

しばらく「イエス・キリスト」について考えます。

当たり前のことですが、キリスト教というのは、イエス・キリストを救い主として信じ従うから、キリスト教というのです。

でも、この当たり前のことが、十分に意識されていないで、漠然と「神様、神様」とあがめている方が多いように感じています。

しかしそれでは、私が22歳まで親しんだ、家の宗教である御岳本教などと何も変わりはないのです。

私は幼い頃から、家に神棚がありましたから、漠然と「神様」の存在を身近に覚え、祈ってもいました。

でも、「神様」とは、おじいちゃんが信じてきたものではなく、「イエス・キリスト」においてご自身を明らかにしてくださった方のことだったのだと、私は聖書からはっきりと教えられたのです。

「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。・・・ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。(使徒言行録4:10-12)」


共に祈りましょう。

憐れみと恵みに富給う、我らの主、イエス・キリストの父なる神よ。今日もキリストのゆえに、私たちの罪を赦し、あなたの守りと平安の中で、一日を歩ませてください。
2015. 01. 10  
今週は、今年の目標である「キリストの道を伝える」という使命のために、御言葉の励ましを受けてきました。

最後に、この一日、祈ることの大切さを改めて思い起こしましょう。

福音伝道は、聖霊がなさる業です。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒言行録1:8)」

この「聖霊」の「力」を受けてはじめて、弟子たちは、「証人」として道を伝えることができました。

私たちも、福音伝道をすすめる「聖霊の力」を求めて、共に祈りましょう。


主よ、私たち勝田台教会を聖霊の力で満たしてください。

私たちの思いを超えた、聖霊の力によって、明日の礼拝に、私たちの教会の会堂をいっぱいにしてください。

聖霊の力によって、私たちの大切な家族に、友人に、キリストの救いの恵みを受け取らせてください。

聖霊の力によって、若い方々が、子どもたちが、信仰の確信を支えに、人生を切り開いていくことができるようにしてください。

聖霊の力によって、年老いた方々が、与えられる地上の一日一日を力強く生き、そして永遠の希望をもって、死んでいくことができるようにしてください。
2015. 01. 09  
「この町にはわたしの民が大勢いる」、だから「恐れるな。語り続けよ」と、イエス様はパウロを励ましてくださいました。

勝田台の町にも、まだ私たちが出会っていない神の民が大勢いると、私は確信しています。

その方はまだ主イエスのことを知らなくても、主はすでに、その方のことを知っておられます。

そして主は、そういうお一人お一人に、私たちの思いを超えた不思議な導きを与えてくださって、いつか必ず信仰を与えられます。

とはいえ、何もしなくてぼんやり待っていればいいわけではありません。

私たちに与えられた「福音伝道」の使命を忠実に果たすことです。


思い出すのは、イザヤ55:8-11の御言葉です。

「・・・天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。

雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ・・・

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」

罪からの解放を伝える主の救いの「言葉」が、しっかり語られ続けるなら、それは決してむなしいままで終わることはないのです。


共に祈りましょう。

主よ、天地の創造される前から、あなたは私たちを選んでいてくださって、不思議な導きによってあなたに出会わせてくださいましたから、本当に感謝します。今日もまた、新たな兄弟姉妹との出会いが与えられますように。
2015. 01. 08  
「わたしがあなたと共にいる」から、「恐れるな。語り続けよ」と、イエス様は言ってくださいます。

聖書の神様は、「共にいてくださる方」です。

モーセをエジプトに遣わす時の、主の言葉を思い出しましょう。

「見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。またエジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。

今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。・・・わたしは必ずあなたと共にいる。(出エジプト3:10、12)」


「わたしは必ずあなたと共にいる」

この主の言葉を、目をつむって、何度も心の中で繰り返してみてください。

自分の声なのか、主の声なのか、分からなくなるくらいまで。

今も主なる神は、罪の悲惨にあえぐ隣人を平安へと連れ出すために、私たち一人一人を、それぞれの戦いの場へと遣わそうとしておられます。


共に祈りましょう。

わたしと共にいてくださる主よ。たとえ火の中、水の中を通る時も、あなたの力によって、今日も強く雄々しくあることができますように。わたしを遣わし、御業をなしてくださいますように。
2015. 01. 07  
「恐れるな。語り続けよ。」とイエス様は言われました。

「続けよ」と言われているように、伝道を継続していくことが大切です。

逆に言うと、がっかりして、あきらめてしまわないということです。

私の経験では、一番がっかりしてしまう時は、キリストの道をあたまから拒絶される時ではありません。

ちゃんと受け取ってもらえない時です。

自分勝手な都合のいい理解で、「神様とはこういう方ですよね」と確認をしに(あるいは押し付けに・・)いらっしゃる。

だから、「聖書では、そうは教えていませんよ」と伝えれば、「じゃあ、そんな神様は要りません」となってしまう。

そういうことが、教会の内外で起こる。そういう時に、本当にがっかりしてしまう・・。

でも、私自身もまた、そういう自分勝手な理解を、神様に押し付けようとする傲慢な者でもあります。

主がそんな私を、忍耐深く導いてくださって、少しずつ砕いて、聖書に書かれていることをちゃんと受け取るようにしてくださることを願います。

Ⅱテモテ4:2の言葉が、やはり大切です (お手元に聖書があれば、5節までお読みください)。

「 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」


共に祈りましょう。

主よ、まず私たち自身が、正しく聖書を理解し、あなたの御心を歪めることなく受け取れるようにしてください。そして、それを伝えることができる知恵と力をください。

2015. 01. 06  
日曜日には、こういう励ましの言葉が与えられました。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。(使徒言行録18:9-10)」

今週は、この言葉に深まっていきましょう。

「恐れるな」とあるのは、「キリストの道を拒絶されるのを恐れるな」ということです。

どうして拒絶されるのか・・、いろんな理由があるでしょう。

日本人に植えつけられたキリスト教邪宗観、オウム真理教以来の「宗教はヤバイ」という雰囲気・・。

いろんな誤解や、知識不足によって、むしろ私たちの周囲の方々のほうが、教会を「恐れている」ようです。

犬がほえるのも、実は、犬のほうが怖がっているからですね。

だから、まずは周囲の方々との信頼関係を高めて、「大丈夫ですよ、キリストの道とはこういうものです」と丁寧に説明していくことが必要ですね。

その上で、明確な意図をもって拒絶されるのであれば、それは仕方ありません。

イエス様もまた、拒絶されたのです。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ1:5)」


共に祈りましょう。

主よ、新しい年のそれぞれの働きや学びを祝福し、周りの方々とのあいだに平和を作り上げることができますように。あなたの愛と希望の光が、証しされますように。
2015. 01. 03  
昨日は、お休みをいただいて、子どもたちとたくさん遊ぶことができました。

お出かけの帰り道、強烈な渋滞がありました。利根川を渡るための橋に、車が集中し、ほんの1キロほどに1時間もかかってしまいました。

私は忍耐力に乏しく、渋滞が大の苦手です。とてもイライラしてしまいました。

今朝になって、そんな自分を反省しています。

キリストの道を歩む私たちの人生にも、「渋滞」はあるのです。いや、「渋滞」ばかりかもしれない。

やることなすことうまくいかなくて、祈りが聞かれなくて・・・。

一人一人の生活にも、伝道と教会形成の営みにも、そんな渋滞があります。

でも、どんな時も、神が生きておられるという事実は、変わりません。

そして、どんな渋滞も、その向こうに、必ず永遠の命というゴールがあります。

だから、こう言うことができるはずです。

「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。(詩篇42:6)」


共に祈りましょう。

主よ、今人生に苦悩しているすべての方々に、また伝道に苦しむ私たちの教会に、おだやかな平安をお与えください。その渋滞を解消してください。
2015. 01. 02  
今年、私たちの教会は、「伝道」という使命に集中して取り組むことへ召されています。

実は、「伝道」を真剣に考えることは、自らの信仰理解を見つめ直すことにも通じます。

預言者イザヤは、罪に満ちた時代に、神の裁きと愛を伝えるために、恐るべき幻の中で召命を与えられました。

聖なる主の臨在に触れて、彼は恐れおののいて、こう言いました。

「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。・・(イザヤ6:5)」


人々が、「汚れた唇」で卑しい言葉ばかりを語って、神への感謝と賛美も忘れた時代に、彼は生きていました。

そんな時代を嘆き、人々の不信仰に憤るような時も、イザヤにはあったでしょう。

しかし、聖なる万軍の主を仰ぎ見たその時、彼は、自分自身を問い直さざるを得ませんでした。

「わたしは汚れた唇の者・・。この罪深い者は、滅ぼされる・・。」

「伝道」へと遣わされるということは、こういうことなのです。

私たち一人一人は、汚れた唇の者です。この唇では、神のすばらしさを、十分に証しすることもできません。

しかし、そのような者たちをなお愛し、赦し、生かしてくださる、十字架の主の愛を、私たちは伝えるのです。


共に祈りましょう。

主よ、今年一年、私たちが伝道という使命に十分に取り組むことができますように、知恵と力と、励ましと勇気を満たしてください。
2015. 01. 01  

2015年が始まりました。昨日与えられた御言葉の続きから、新年を始めましょう。

「希望はわたしたちをあざむくことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:5)」


現実の「苦難」を味わいすぎてしまった人は、失望に慣れてしまいます。

「希望」と聞いても、「そんなのは希望にすぎない」なんて言いたくなってしまう。

しかし、練られて、純度が高くされた信仰者は、どんな時も、神を「希望」とすることをやめません。

希望というものは実現しないものと、どこかで私たちは思っている。

でも、「この希望はあざむかない」と言われています。

なぜなら「神の愛がわたしたちの心に注がれている」からです。これは動かぬ事実です。

この後、6節以降に、キリストがわたしたちのために死んでくださったということが書かれています。

そして、まさにそのことによって、神の愛がわたしたちに示されたのだと教えています(8節)。

十字架の主の愛を確信し、「希望をもつ」ということを改めてやり直して、2015年を始めていきましょう。


共に祈りましょう。

世界の希望である主よ、不安と失望に満ちた私たちですが、生きておられるあなたにより頼むことに、いよいよ深まっていくことができますように。そして、希望をもつことができますように。

※勝田台教会では、今日は11時から元旦礼拝がなされます。ぜひ御出席ください
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勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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