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2015. 03. 06  
使徒信条「天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」

神の右に座すとは、古代オリエントの宮廷のイメージに由来する表現です。

宰相が王の右に座し、王に等しい権威を行使したように、御子も御父の右に座し、神に等しい権威を行使されます。

そして、その神の右の座で、イエス様がしてくださることの一つは、私たちのための「とりなし」ということです。

「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成していてくださるのです。(ローマ8:34)」

「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。(Ⅰヨハネ2:1)」

「それでまた、この方は常に生きていて、人々のためにとりなしておられるので、ご自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。(ヘブライ7:25)」


今日も、私たちはたくさんの間違いを犯します。いや、この罪人の存在そのものが、間違いであります。

でも、この間違いだらけの私を、「赦してやってください」と父にとりなしてくださっている方がおられることを、よく意識して、今日の一日を生きてみましょう。


共に祈りましょう。

大いなる父よ、イエス様のとりなしゆえに、今日も私たちを赦し、生かし、愛してください。そして私たちが、少しでも正しく歩むことができますように、どうか聖霊によって聖化してください。
2015. 03. 05  
徒信条の学びを進めます。「天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」。

「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(ルカ24:50-51)」

このように、イエス様は弟子たちの目の前で、天に上げられました。

手を上げて祝福しながら・・・、礼拝の最後に毎週繰り返される、牧師の「祝福」の原型がここにあります。

このイエス様の昇天を目撃した弟子たちは、大喜びでエルサレムに帰り、神をほめたたえたと記録されています(52-53節)。

イエス様が見えなくなる寂しさ・不安より、あふれる喜びが勝ったのです。

イエス様は、私たちのために、天に場所を用意してくださいます(ヨハネ14:2,3)。

今や私たちにとって、天は、遠いところではありません。

そこは、イエス様が迎えてくださる完全な安息の場所となりました。

信者の魂は、死の後、そこへと招き入れられ、終わりの時の復活まで安らかに過ごします。

私たちは、そのように信じます。


共に祈りましょう。

主よ、今、死の床にある者が、あなたの支えによって、最後の試練を耐え忍び、完全な希望へと進みいくことができますように。我らを天へと迎えてくださる、救い主イエス・キリストを、心からほめたたえます!!
2015. 03. 04  
もう症状は治まりましたが、日曜日に、大変なじんましんを発症しました。

そうやって病を知ると、今まで健康であったことが、特別なことだったと悟らされ、自分の傲慢を恥じます。

また、病を抱える苦しみや不安を、全然分かっていなかったことも知りました。

同じように、私は、皆さんの苦悩を全然分かっていないと、ここのところよく考えさせられます。

死の足音の重さ・・、未信者のご家族との葛藤・・、看病の切なさ・・、仕事の人間関係・・、不合格の無念・・、

牧師は、色んなことを知らない、世間知らずの者であります。どうかご容赦ください。

そのことを思いながら、沈み込んで、イエス様と対話しました。

そして、「それでもなおお前は、いと高き神の真実を指し示し、民の心を高く上げさせよ」と示されました。

口ごもりながらも、皆さんに、詩篇103篇をお贈りします。できれば、全篇をお読みください。

「わたしの魂よ、主をたたえよ。・・主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓からあがない出してくださる。

・・・天が地を超えて高いように、慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。・・父がその子を憐れむように、主は、主を畏れる人を憐れんでくださる。・・・」


共に祈りましょう。

私たちのすべてを知っていてくださる神よ。私たちの苦悩と悲惨を味わい尽くしてくださったイエス・キリストよ。そして、私たちの心に命と希望と光を満たしてくださる聖霊よ。どうかこの一日、愛するお一人お一人の魂をお守りください。
2015. 03. 03  
先の日曜日に、すべての者が、完全に義なる神の御前で、最下層の卑しい「罪人」として平等であるということを、お伝えしました。

人間の目には、神様のなさることは時に、不平等のように思えます。

財産を多く与えられる者もいれば、そうでない者もいます。しかし、だれもが神の御前で「罪人」として裁きを免れないという点では、完全に平等であるとお伝えしました。

しかし、これだけではやはり十分ではありませんし、誤解を招くかもしれません。

加えて覚えるべきは、キリストのもとでの万人の「信仰における平等」です。

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。・・・そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。(ガラテヤ3:26-28)」

私たちと同じ最下層へと、自らくだって、最も卑しい姿で十字架にかかってくださったイエス様を「信じる」なら、誰もが等しく神の子とされ、高く上げられます。

神の国における、そういう神の子たちの平等が、地上において、とりわけ教会において具現化されることを願いましょう。


共に祈りましょう。

主よ、あなたのもとで、すべての者は罪人であり、またすべての者が憐れみを受けていることを覚えます。そのことをわきまえずに、色んな差別を繰り返して、傷を広げる私たちの時代を、どうか赦してください。私たちの内に、平等な世界を実現してください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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