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2015. 03. 28  
昨日は、埼玉のK.A姉を訪問させていただきました。新しい土地にもすっかり慣れ、平安なご様子をうかがい感謝しました。

礼拝に通うことはできませんが、この御言葉メールを通して、毎日神様と対話しておられるとのことで、この小さな奉仕を続けていて良かったなと思います。

残念ながら、来週は、のぞみセンターでの奉仕とその準備のため、一週間配信をお休みさせていただきます。

しかし、来週は受難週。イエス様の十字架の苦しみを覚え、復活の希望を待ち望む大切な時です。

どうぞそれぞれに、例えば、ルカ福音書の22:31から最後までを読んでみるなどして、お過ごしください。

十字架のキリストの血がしたたり落ちる、そのイメージをもって祈ってください。


今、私たち改革派教会にゆかりの深い、メイチェンという神学者について少し調べていますが、彼は真理のために戦って、肺炎で55歳の生涯を閉じます。

その臨終の床から送られた、最後の電報にはこうありました。

「キリストの積極的服従を本当に感謝しています。それがなければ何の望みもありません。」

積極的服従とは、イエス様が私たちの代わりに、神の御心にかなう愛の業をまっとうしてくださったことです。

その愛の業の頂点は、十字架の犠牲です。

Ⅰペトロ2:18-25をお読みください。「・・キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。『この方は罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』・・・。」


共に祈りましょう。

主よ、私たちのためのキリストの十字架を本当に感謝しています。それがなければ何の望みもありません。私たちの内に、この望みをいよいよ確かにしてください。
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2015. 03. 27  
使徒信条「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」に進みましょう。

「教会を信じる」というのは、妙な感じです。

これは、神様に信頼するように、教会に信頼する、人生をゆだねるということではありません。

「私たちには教会が無くてはならないものであり、教会を建て上げていく道において、私たちの命は豊かにされる」と、信じることでしょう。

教会とは、「神が御子の血によってご自分のものとなさった(使徒20:28)」と言われるほどに、神にとってかけがえのない存在です。

このようにも言われます。

「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(エフェソ1:23)」

このような「教会」に連なり、その歩みに参与することで、私たちは、イエス・キリストの命につながります。


共に祈りましょう。

教会のかしらなる主イエスよ、あなたに連なる私たち一人一人を、今日もあなたの命で満たしてください。勝田台教会を、あなたの手として足として豊かに用いてください。
2015. 03. 26  
使徒信条、「聖霊」を信じるについて。聖霊の大切なお働きは、私たちの「聖化」です。

Ⅰテサロニケ4:1-12に、「聖なる生活をしよう」との勧めの御言葉があります。

「・・・実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念を持って妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。

・・・神が私たちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。

ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、ご自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。・・・」


神は、私たちに聖なる生活をさせるために、「聖霊」を与えてくださいます。

戒めの言葉を無視するなら、聖霊による「聖化」のお働きを拒絶するのと同じです。

言葉と聖霊を、すなおに受け入れるなら、確実に私たちは作りかえられます。


「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。(ガラテヤ5:22)」

聖霊は、このような「聖化の実り」を得させてくださいます。


共に祈りましょう。

聖霊よ、汚れた私たちの心を、雪よりも白く洗って、神に喜ばれる聖なる生活をなさせてください。情欲を取り除き、怒りや高慢を取り除き、キリストに似る者に作り変えてください。
2015. 03. 25  
使徒信条、「我は聖霊を信ず」を深めましょう。

「聖霊」は、イエス・キリストにおいて明らかにされた神の救いのすべてを、はっきり悟らせてくださる「真理の霊」です。

「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。(ヨハネ15:26)」


聖書には、目の見えない人が癒されるという奇跡がたくさん紹介されますが、それらは、「霊的開眼の必要」を暗示しています。

私たちは、罪ゆえに、霊の目が閉ざされていて、自力ではイエスの救いの喜びを悟ることができません。

イエス様を証しし、霊的開眼を与えてくださるのは聖霊です。

でも、せっかく信仰が起されても、悲しみや苦しみが襲いかかると、すぐに霊の目は閉ざされます。

希望がない、暗い、イエス様が遠い・・・、そんな風に、心細く思っておられる方もおられるでしょう。

それは違います。イエス様はいつも共におられるのです。あなたの目が閉ざされているだけです。

真理の霊である聖霊が、あなたの目を開いてくださいますように。

そのために、あなたもまた、聖書をよく読んで、イエス・キリストにおいて明らかにされた神の愛を、しっかり学ぶことが必要です。

「聖霊」は、その聖書の言葉と共に働いて、昨日までまったく見えなかった、永遠の真理を悟らせてくださいます。


共に祈りましょう。

聖霊よ、真理の霊よ、もっと聖書をよく読むことができますように。よく理解することができますように。そして、イエス様をよく知ることができますように。永遠の命を得ることができますように。
2015. 03. 24  
使徒信条の学びも大詰めです。「我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、体のよみがえり、永遠(とこしえ)の命を信ず。」

今日は、ハイデルベルク問53を確認します。ある牧師は、最愛の妻を失った悲しみの日々に、いつもこの信仰告白を口ずさむことで、平安を取り戻したといいます。


問:「聖霊」について、あなたは何を信じていますか。

答:第一に、この方が御父や御子と同様に永遠の神であられる、ということ。

第二に、この方はわたしに与えられたお方でもあり、

まことの信仰によって、キリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、

わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださる、ということです。


この信仰告白は、次のような御言葉に基いています。

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者(慰め主、助け主)を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

この方は、真理の霊である。・・・この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。(ヨハネ14:16-17)」


共に祈りましょう。

私たちと永遠に共にいてくださる聖霊よ、今日も私たちに信仰を与え、永遠の希望であるキリストと、父なる神の愛から離れぬようにしてください。今、悲しんでいる者、思い悩んでいる者を、あなたの慰めに満たしてください。
2015. 03. 14  
※ 来週は、所用のため一週間お休みさせていただきます。


使徒信条「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん」

このことこそ、キリスト者の究極の希望です。

この希望について記す、フィリピ3:17-21を分かち合いましょう。

「・・・キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。

しかし、わたしたちの本国は天にあります。

そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。

キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」


私たちは、「天」に国籍を持つ天国人ですから、「この世」のことばかり考えません。

いつも、キリストがおられる「かしこ=天」を見上げます。

あの方が、そこから再び「来られ」て、すべての涙をぬぐってくださる、その完成の時を「待つ」のです。



共に祈りましょう。

主よ、この世のことで疲れを覚える私たちを憐れみ、心を高く引き上げてください。今日の日、日曜日を「待つ」私たちに、完全な慰めを「待つ」信仰を豊かにさせてください。
2015. 03. 13  
使徒信条「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん」に進みましょう。

「かしこ」とは、今、イエス様がおられる天の、神の右の座です。

そこからあの方が、再び来てくださって、完全な救いをもたらしてくださる。これこそ、究極の希望です。

今、地上の悩ましいあれこれで落ち込んでいる方にも、この「再臨」の希望の光が届きますように。


「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。

そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを心に留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。

あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。

あなたがたの命であるキリストが現れるとき(=再び来てくださるとき!!)、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。(コロサイ3:1-4)」


共に祈りましょう。

主よ、私たちはまことに地上のことで揺さぶられる弱い者です。困難にくじけ、互いに傷つけあってしまいます。どうか、今日落ち込んでいる人を、究極の希望をもって励ましてください。私たちが、心を高く上げることができますように。
2015. 03. 12  
使徒信条「天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」を続けます。

イエス様は、十字架の死という低さの極みから、復活させられ、高さの極みである神の右の座へと上げられました。

そこから、御父と御子の霊である聖霊を注いでくださり、その「絶大な」力をもって、教会を動かしておられます。

「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。

神は、このキリストを死者の中から復活させ、天においてご自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。

神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。

教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(エフェソ1:19-23)」


信仰生活を、個人的な小さなものにしてしまわないで、この圧倒的なスケール感を覚えていただきたいと思います。

原始教会の信徒たちは、現実には吹けば飛ぶような小さな群れに過ぎなかったのに、このスケール感で、「教会」というものをとらえ、勇気を得たのです。


共に祈りましょう。

あらゆる者の上に立つ『王の王』、すべてにおいてすべてを満たしておられる主イエスよ、今日もあなたの手足として「教会」を自在に動かし、ご自身の栄光をあらわしてください。
2015. 03. 11  
昨日は、配信を休ませていただきました。すみません。

一昨日、T.M兄の葬儀が、祝福されて終わりました。この御言葉が読まれました。


あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。

あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。

こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。

しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」

これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。(Ⅰペトロ1:22-25)


人間は、草のように空しく朽ち果てていきます。この地上のものは、すべてあとかたなく崩れます。

しかし、イエス・キリストのもとにある命の希望を伝える「主の言葉」が、最後に残ります。

永遠に変わることのない希望の言葉が、私たちのはかない存在を、永遠の輝きに高めます。

そういう「主の言葉」にすべてをゆだねて、T兄は、最後の時を安らかに生き、そして死んでいかれました。


共に祈りましょう。

永遠の希望の言葉を与えてくださった主よ、ご遺族に、人知を超えた慰めと平安がありますように。私たちもまた、主の言葉に支えを得て、空しさからあがなわれて、今日を生き、また死んでいくことができますように。
2015. 03. 07  
昨晩、21時38分、T姉のご主人である、T.M兄が天に召されました。

2月22日に病床にて洗礼を受け、キリスト者として、希望をもって死ぬことがゆるされました。

長い地上の人生を歩みきり、最後の試練を、主の支えによって乗り越えて、イエス・キリストのおられる天へと進みいかれました。

兄弟の生涯に恵みを満たし、最愛の伴侶を与え、キリストとの出会いへと導いてくださった、大いなる神をほめたたえます。

十字架と復活によって、私たちを、永遠の滅びのむなしさから救ってくださった、イエス・キリストに感謝します。

「主はこの山で、すべての民の顔を包んでいた布と、すべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼしてくださる。

主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民の恥を、地上からぬぐい去ってくださる。

これは主が語られたことである。(イザヤ25:7-8)」


共に祈りましょう。

主よ、愛する兄弟を平安のうちに召してくださって感謝をします。どうか、愛する姉妹を、永遠の慰めで包んでくださって、悲しみと疲れをいやしてください。命を与え、奪われる、大いなるあなたに、栄光がありますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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