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2015. 05. 16  
昨日の女性会修養会、妻として女性として、大らかな喜びに生きた「賀川ハル」さんの足跡に、豊かな励ましを得ることがゆるされました。

イエス様にこれほどに愛されたという喜びが、そのままに彼女の体からあふれ出しているようでした。

献身とか使命感とかいうことよりも、愛の喜びのおもむくままに、貧しい方々への奉仕に明け暮れておられたのだろうと思います。目が開かれた思いで聴いていました。

賀川豊彦との、夫婦の深い愛情、信頼にも、心和ませていただきました。


今日は、18日に大腸の手術を控えて入院しているT姉を特別に覚え、御言葉を取り次ぎます。

詩篇16篇をお届けします。特に、7-9節を共に読みましょう。

わたしは主をたたえます。
主はわたしの思いを励まし
わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
わたしは絶えず主に相対しています。
主は右にいまし
わたしは揺らぐことがありません。
わたしの心は喜び、魂は踊ります。
からだは安心して憩います。

病院の夜のベッドはとても退屈で、さみしいでしょうが、主とまっすぐに向き合うためにはちょうどいいかもしれません。

主は必ず、私たちの右にいてくださいます。

これまで数多の信仰の勇者たちと共におられたように、あなたとも共におられます。


共に祈りましょう。

主よ、私たちのからだも魂も、すべてをあなたにおゆだねします。揺らぐことのないように、支え、励まし、あなたの大いなる手の中で憩わせてください。


2015. 05. 15  
今日は、10時半から勝田台教会を会場に、東関東女性会修養会が行われます。

東京基督教大学で教鞭をとっておられる岩田三枝子姉が、「賀川豊彦の妻はる」と題して、講演してくださいます。

賀川豊彦といえば、神戸のスラムと呼ばれた新川という街に14年間住んで、住民の救霊・救貧・防貧に取り組んだことなど、多岐にわたる愛の業で知られています。

ガンジー、マザー・テレサと並んで、三大聖人として世界的に評価されている人ですが、残念ながら日本では、それほど知られていない印象です。

はる夫人のことは私もよく知りませんが、賀川によく協力された方だったとのことです。

今週日曜日に与えられた、マタイ20:25-28の御言葉を、そのままに受け止め、生きようとされたご夫妻だったのでしょう。

「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。

『あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」


共に祈りましょう。

主よ、今日の女性会修養会が祝福されますように。講師の三枝子姉を豊かに用いてください。

私たちのために、命を使い果たして仕えてくださった主イエスの愛に感謝をします。どうかこの私たちも、愛と知恵と献身と、本当の謙遜と、わずかな勇気をもって、人に仕えることができますように。
2015. 05. 14  

「わたしたちを造られた方、主の御前にひざまずこう。
 共にひれ伏し、伏し拝もう。
 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民、
 主に養われる羊の群れ、御手の内にある羊。
 今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。(詩篇95:6、7)」

勝田台教会の主日礼拝の、招きの言葉として読まれる言葉です。

礼拝で私たちは、生けるキリストに出会います。

その方は圧倒的な方であって、大いなる救いの創始者、万物の支配者なる神の御子であるのだと、ヘブライ書は教え、私たちの心を高く引き上げてくれます。

この方を信じ、御前にひざまずき、聞き従う。

その低く砕かれた心に、主のやさしい声がしみこみ、命は潤されます。

しかし、私たちの心はもろく、日々の生活に追われる中で、主を疑い、主を離れ、かたくなになります。

荒れ野でぐらぐらに揺れ動いたイスラエルの民の中に、私の姿があります。

今日木曜日、新たな思いで、主イエスを拝み、信頼しなさいと招かれているようです。

「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。・・・今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。(ヘブライ3:12-15)」


共に祈りましょう。

大いなる主よ、ただひたすらにあなたを信頼する、幼子のような信仰を与えてください。今日もすべてを備えてください。私たちが道を見失わないように、魂をとらえていてください。
2015. 05. 13  
ヘブライ人への手紙を読み進めましょう。

「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ(1:3)」である御子イエスの登場は、それ自体が、最終的・究極的な神からの救いのメッセージでした。

これまでの歴史において、天使たちを通して語られてきたことを遥かに凌駕する「救い」を、御子はたずさえてきてくださったのです。

この方は、私たちを栄光へと導くために、数々の苦しみを通って、十字架の死を死んでくださいました(2:9,10)。

悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった私たちを解放してくださったのです(2:15)。

そういう御子の足跡そのものが、大いなる救いへの神の招きです。
 
この招きは、人類の歴史の大転換点です。


でも私たちは、「今はそれどころじゃない・・・」と言いかねないほどに、慌しく、忙しく、疲れてしまっているかもしれません。

あなたの魂は漂流していませんか。

しばし手を止めて、神の壮大な語りかけに耳をすましませんか。

押し流されてしまわないように・・・。

ヘブライ2章1~3a節「だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。・・・わたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。」


共に祈りましょう。

主よ、今、魂のいかりを降ろします。どうか私たちをつなぎとめてくださって、押し流されないようにしていてください。御子が与えてくださった、大いなる救いの希望によって、今日も、この心を満たしてください。
2015. 05. 12  
二週間ぶりの再開です。今日からしばらく、ヘブライ人への手紙を解き明かします(リジョイス執筆と兼ねています)。


神とは「祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方」です(Ⅰテモテ6章15,16節)。

この神を見た者は、死なねばならないと、旧約の民はおそれを抱きました(士師13章22節など)。

しかし、「私たちはイエス・キリストという方において、その神を見たのだ」と、最初の弟子たちは告げ広めました。

「御子は見えない神の姿(コロサイ1章15節)」とパウロは告白し、「わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです」とペトロは叫びました(Ⅱペトロ1章16節)。

あのヨハネ福音書のプロローグも然りです。

それは、弟子たちにとっても、まったくありえないような告白であったはずです。

でも、イエスに出会った者たちは、そう叫ばざるを得なかった。なんと驚くべきことだったのでしょう。

「御子は、神の栄光の反映、神の本質の完全な現れ(ヘブライ1章3節)」とは、そういうすさまじい信仰告白です。


共に祈りましょう。

イエス・キリストの栄光をほめたたえます。私たちがあまりに身近に思いすぎて、イエス様を軽々しく扱ってしまうことがありませんように。

しかしまた、あまりにイエス様をおそれすぎて、遠くに覚えてしまうことがありませんように。大いなる方が、今日も共にいてくださることを感謝して・・・。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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