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2015. 09. 11  
イエス様が私たちに教え、招いてくださる「義の道」を考えるために、ミカ6:6-8の御言葉とよく向き合うことが大切です。

以下に意訳をいたします。

「神様は、どんなものを喜んでくださるのであろうか。

主の御前に、いと高き神の御前に出ていくためには、どんな贈り物をさしあげればいいのだろう?

焼き尽くすささげものがいいのだろうか?おいしそうな子牛がいいのだろうか?

何千匹もの羊がいいのだろうか?高価な香油を流れるほどにさしあげようか?

あるいは、私の罪の身代わりとして、・・・私のかわいい長男の命を差し出そうか?

私の大事な跡継ぎの命までもささげるなら、神は喜んでくださるだろうか?

・・・いや、違うのだ。そういうことではないのだ。

人よ、神はあなたに告げておられるではないか。何が善いことなのか。神はあなたに何を望んでおられるのかを。

それは、正義と公正を行うこと。強きをくじき、弱きを助けること。

慈しみを愛すること。精一杯、神を愛して、隣人を自分のように大切にすること。

そして、へりくだって、あなたの神と共に歩むこと。砕かれた柔和な心で、神にすべてをおゆだねして・・・。」


共に祈りましょう。

主よ、今日の一日が、あなたの御心と寄り添う一日となりますように。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと。この義の道を行くことができますように。
2015. 09. 10  
説教が厳しいとお感じになることがあるかもしれません。

「悔い改めなさい。義の道に従いなさい」とのイエス様の呼びかけを、そのまま取り次ごうとすれば、厳しさを伴わないわけにはいきません。

私の研究しているある牧師の説教は、「〇〇しなければなりません」と、信仰生活の改善を厳しく求める言葉が多く見られます。

「真理に対しては恐ろしいほど厳しい」牧師だったそうです。

しかし多くの人が彼をとても愛していたし、彼に深く愛されたと、あたたかいエピソードを記録しています。

その厳しさが、群れに対する責任ある愛から生じるものであったからでしょう。

イエス様からそのように愛されたから、彼もそれにならいたいと努めたのでしょう。

イエス様は、厳しいですが、冷たくはありません。

これまでのあなたの罪を、背きを、過ちを、弱さを、私が十字架で全部引き受ける。

そして、これからのあなたの人生と、私はどこまでも共に行く。

徴税人や娼婦たちが、悔い改めたのは、そういうイエス様の責任ある愛に触れたからです。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。(Ⅱコリント5:17)」

今日も新たな悔い改めをもって、キリストに結びつきましょう。イエス様も、私たちにつながっていてくださいます(ヨハネ15:4参照)。


共に祈りましょう。

主よ、今日も私と共に歩んでください。信仰の戦いを共に戦ってください。愛と正義の業を行うために、私の手を取って支えてください。
2015. 09. 09  
神の望みどおりに生きられない・・・、そういう弱さや反発を誰もが抱えています。それに引きずられて、破滅の道を行く人もいる。

でも神はそういう者をも愛おしく見守ってくださって、あきらめはされないと、日曜日の説教で申し上げました。

そういう者が、素直に心をひらいて、ご自身の言葉に応じるようになるのを、いつまでも待っておられます。

あきらめはなさらない。

そして、イエス・キリストを通して、何度でも呼びかけられるのです。悔い改めなさい。義の道に進み行きなさい、と。

そんな神の思いのつまった、ホセア書の御言葉を分かち合いましょう。

「イスラエルよ、立ち帰れ、あなたの神、主のもとへ。
あなたは咎(とが)につまずき、悪の中にいる。
・・・・・・
わたしは背く彼らをいやし、喜んで彼らを愛する。
まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。
・・・・・・
ああエフライム、なおも、わたしを偶像と比べるのか・・。
あなたの求めに答え、あなたを見守るのはわたしである。
わたしは命に満ちた糸杉。
あなたは、わたしによって実を結ぶ。(ホセア14:2,5,9)」

(※意味が通りやすいように、9節「彼」を「あなた」に変えています。)


共に祈りましょう。

わたしの神、主よ、あなたに結ばれていなければ、私たちは実を結ぶことができません。神ではないものを頼りとしてしまうことがないように。我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。
2015. 09. 08  
今週はマタイ21:28-32の、「二人の息子」のたとえから学びました。

一人の息子は、「ぶどう園で働きなさい」とのお父さんからの呼びかけに、最初は「いやです」と応じなかったのに、後で考え直して聞き従いました。

しかし、もう一人の息子は、お父さんからの呼びかけに、「はい、行きます」と調子よく応じたのに、実際には行きませんでした。


最初の息子の姿は、イエス様のもとで悔い改めて生活を一変させた、徴税人や娼婦たちの姿を映し出しています。

彼らは神の御心に背いていました。あるいは、そこから目をそらし、逃げていた。

そして、もうそんな風には生きられないと、あきらめていたかもしれない・・。

しかし、神はそんな彼らをあきらめず、イエス様を通して「悔い改めなさい」と呼びかけられました。

ポイントになるのは、「後で考え直した」ということです。

御心から離れてしまっている自分の現在を考え直して、「この神の言うことに聞き従おう。ここにこそ私の歩むべき道がある」と心の向きを変えていく。

クリスチャンの歩みは、日々こういうことの繰り返しです。

神は毎日呼びかけておられます。「思い起こせ、ヤコブよ。イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。わたしはあなたの背きを雲のように、罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ。わたしはあなたをあがなった。(イザヤ44:21-22)」


共に祈りましょう。

主よ、今胸に手を当てて考えています。私もまた、あなたの御心に背き、そこから目をそらし、逃げて、ごまかして・・・。主よ、今週の歩みにおいて、私の内に、新しい心を創造してください。
2015. 09. 05  
「心の耳をすまして神様の御声に聞く」ことに深まってきたこの一週間です。

最後に分かち合いたいのは、Ⅱテモテ4:3-4です。

「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話のほうにそれて行くようになります。」

この言葉は、「誰も聞こうとしなくても、福音をのべ伝えなさい」との励ましの中で与えられています。

ですから私もこれまでは、この言葉に触れる時に、罪の世の人々のかたくなさを責める思いを覚えてきました。

しかし、今思うのは、自分自身のかたくなさです。

「自分に都合の良いことを聞こう」と、耳に痛いことは読み飛ばしてしまう。あるいは、解釈を強引にねじまげてしまう。そんな時がないでしょうか?

聖書を読んでいて、どうも納得できないという時はあると思います。そういうところを、納得いくまで調べてみるということは大切です。

ただし、注意しましょう。「自分に都合の良い」ように、聖書を合わせてしまうことがないように。

やはり私たちは、自分に聖書を合わせるのではなく、聖書に自分を合わせていかねばならないのです。

「耳をすまして御声に聞く」というのは、そういう姿勢となって表れてくるのではないかと思います。


共に祈りましょう。

主よ、この世にあって生きる中で、様々な葛藤の中で、あなたの御言葉に従いきれない私たちの弱さを憐れみ、赦してください。どうか私たちが、あなたの真理をねじまげてしまうことなく、御心をまっすぐに受け取ることができますように。
2015. 09. 04  
心の耳をすまして神様の御声に聞く、ということを今週のテーマとしています。

今日分かち合いたいのは、アモス8:11-12の「御言葉の飢饉(ききん)」を告げる有名な預言です。

「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
人々は海から海へと巡り、北から東へとよろめき歩いて
主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない。」

これは、終わりの時の裁きの予告として与えられています。

アモスの時代、ヤロブアム2世という王の下、イスラエルの国はつかの間の繁栄を享受していました。

そのような浮き足立ったバブルの時代に、人々の心は大切なものを見失い、やがてあぶくが消え去った後、急ぎ足で滅びへの階段を下り始めました。

まるで、どこかの国のようです。

そんなバブルの時代に、アモスは裁きを預言していたのです。もうすぐ飢饉が来る。それも、パンや水ではない。神の御言葉に聞けないという飢饉だ。それは、今あなたがたには、どうでもいいと思えるようなものかもしれない。しかし、人間にとって最も恐るべき、悲しむべきことなのだ・・・。

私たちの時代は、まさにそのような飢饉が起こっているように思うのです。

そして、その恐ろしさに気付いた人々は、本当の言葉を探し始めています。しかし、どこにも見いだせない・・・。

教会においても、それが見いだせないのならば、こんなに悲しいことはありません。今こそ、まず私たちが、聖書にしっかり向き合い、心の耳をすましましょう。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの御言葉を与えてください。私たちには、この時代には、あなたの御言葉が必要です。真に人間を生かす言葉を与えてください。私たちを教え、励まし、直してくださって、この時代を救ってください。
2015. 09. 03  
聖書において「祈る」とは、第一義的に、「一生懸命に神様のお声に心の耳をすます」ということだろうと、昨日確認しました。

そういう風に考えると、例えばマルコ11:24なども、今までとは違う響きをもってきます。

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」

こういう言葉から、「願いどおりにならないのは、自分の祈り・信仰が足りないからだ・・・」と苦しい思いをされていませんか。

しかし、いくらお願いしても、うまくいくことばかりではないのです。

では、イエス様がウソをついているのかといえば、そうではなく、「祈る」ということについての私たちの理解が浅いのです。

むしろ、ここで「祈り求める」というのは、「神さま、あなたの御心とひとつにならせてください。私が今何をなすべきか、あなたが何をおっしゃりたいのか、私に分からせてください」と、求めることかもしれません。

そういうふうにして「祈り求める」ことは、必ずすべてかなえられる。

そのようにして、神との関係をしっかりと確立し、「神を信じなさい(マルコ11:22)」と、主は招いておられます。


共に祈りましょう。

主よ、今日も御前にひざまずき、私の創造主であり救い主であるあなたに、聞き従いたいと願います。主よ、あなたと共に歩ませてください。そこに私の平安があります。あなたの御心を行うことができますように。
2015. 09. 02  
耳をすまして神様の御声に聞くこと。これこそが、祈りということの基本的な姿勢といえます。

以下は、山浦玄嗣さんの「『なぜ』と問わない」という本より教えられたことを紹介します。

日本語において「祈る」とは、神仏の力にすがって自分に都合がいいことを願うという行為を指します。

古くには、「祈り殺す」などという言葉もあり、呪うと同じような意味さえ持ちました。

聖書において「祈る」と翻訳されるのは、四つのギリシャ語です。

1つは、エウロゲオー。これは、「神様はすばらしい!!」とほめる、賛美する。

2つは、エウカリステオー。与えられた様々な恵みを「ありがたい」と感謝する。

3つは、デオマイ。これが一番日本語の感覚に近い。「〇〇してください」と願う。

最後は、プロセウコマイ。これが一番多く用いられています(85回)。イエス様が山に祈りに行かれる時などです。

面白いことに、そういう箇所を、日本語の先入観を捨てて改めて読んでみると、「祈る」といっても何をしているのかはっきり分からないことの方が多いのです。

それはお願いというよりもむしろ、人間の雑音からしばし離れて、「一生懸命に神様のお声に心の耳をすます」というのが、プロセウコマイの第一義のように思います。(続きはまた明日)

「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ1:35)


共に祈りましょう。

主よ、今日の一日も、あなたと共に歩ませてください。騒ぐ心を静めてください。あなたが用意しておられる、あなたの目にもっとも良いことが、今日もなされますように。
2015. 09. 01  
長い夏休みをいただきましたが、配信を再開いたします。

2012年9月から開始したこの配信、今日から4年目に入ります。新たな一年も守られますように。

*****
今週は、サムエル記上3章のエピソードから、耳をすまして神様の御言葉を「聞く」ことの意識を高められました。

霊的に腐敗し、神の祝福から離れてしまった暗黒時代に、見失われてしまっていたのがそのことでした。

「耳をすまして神様に聞く」ことが忘れられる時に、人間は暗くなります。悪くなります。

サムエルのように、「主よ、お話ください。僕は聞いております。」との素直な姿勢で、聖書に向かい、祈りに向かいたいと思います。

ともすれば私たちは、自分の言葉ばかりを聞いています。

自分で自分をいやそうとしたり、赦そうとしたり、自分で自分を責め苦しめたり・・。

そういう「自分の言葉」を捨てて、「神の言葉」に耳をすますという思いで、聖書に向かい、祈りに向かう一週間としましょう。


共に祈りましょう。

主よ、お話ください。僕は聞いております。今日、私たちが何をすればいいのか。あなたは何を望んでおられるのか。この困難な時代にあって、それぞれに与えられた試練の中で、聖書を通して、あなたの声を聞かせてくださり、歩むべき道を指し示してください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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