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2015. 10. 09  
10月25日は秋のウェルカムチャーチデーです。勝田台教会は、勝田台駅のすぐ近くです。ぜひこの機会にお越しください。
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今朝は詩篇49篇の御言葉を分かち合いましょう。私訳です。

「・・人は栄華のうちにとどまることはできない。滅びゆく獣に等しい。

これが、自分の力に頼る者の道。自分の言葉に酔いしれる者のなれのはて。

おびえる羊のように、彼らは陰府に捨て置かれ、「死」が彼らを飼いならす。

朝になれば、直き者たちが彼らよりも上に立ち、そのきらびやかだった姿は陰府に食い尽くされる。

しかし、神は、わが魂を、陰府の手から買い戻される。

まことに、私を取り戻される。・・・(詩篇49:13-16)」


この詩篇は、「富む者、強い者」を恐れる思いから解き放たれて、神を正しく畏れるようにと、導いてくれます。

「死」は誰にも訪れます。地上で、「自分の言葉に酔いしれて」いる権力者であっても、獣と等しく、朽ち果てていくばかりです。

富と力によっては、魂は安んじないのです。代わりに詩人が差し出す救いの道は、神を正しくあなたの神とすることです。

神と信仰者の命の交わりは、死によって切断されることはありません。

神は「死」という奴隷商人の手から、信仰者を「買戻し」、御自分の大切な宝として「取り戻される」(16)。

それは主イエスの死と復活に示された、確かな信頼のおける希望なのです。


共に祈りましょう。

主よ、イエス・キリストにあって永遠の愛を契ってくださったあなたの手から、私たちを引き離すことは誰にもできません。主よ、あなたに希望をおきます。この貧しい魂を、今日も広く高く押し広げ、恐れなく歩むことができるように導いてください。
2015. 10. 08  
10月25日は、秋のウェルカムチャーチデーです。語ってくださる赤石純也先生はチャーミングな方です。ぜひご予定ください。
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昨日の祈祷会で、「復活の証人として生きる」ということを学びました。

十字架で死んだイエス・キリストが三日目によみがえられた。それによって、私たちの罪が赦され、永遠の命への道が開かれた!!

これこそが、最初の弟子たちを突き動かした「福音=よき知らせ」です。

彼らが命がけで「証し=証言」したのは、この「イエス様が復活なさった」というニュースの喜びです。

教会でもしばしば、「証しをする」という言い方をしますが、それは本来このように、「イエス様の復活の喜び」を証言するということです。


イエス・キリストの復活を信じる者は、最後の最後のところで、絶望しない者でもあります。

パウロが、そのような「復活の証人」としての「証し」を書き残してくれています。

「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。

わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。

神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(Ⅱコリント1:8-10)」

「死者を復活させてくださる神」は、どんな絶望の中にも希望を生み出してくださいます。

この神に希望をおく、私たちの確信と喜びの姿が、百の言葉に勝る「証し=証言」となるのです。


共に祈りましょう。

主よ、死者を復活させてくださる神よ、あなたに私たちの希望はあります。生きていくことは苦しくて、今日も不安や恐れがたくさんありますが、あなたに希望をおいて、与えられた一日を精一杯生きようと思います。主よ、私を確信と喜びの人として整えてください。
2015. 10. 07  
10月25日は、秋のウェルカムチャーチデーです。「聖書を読んでみませんか」というテーマです。
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エジプトで圧迫されているイスラエルの人々を救い出すために、神は導き手としてモーセを選ばれました。

しかし、モーセはうろたえ戸惑います。「わたしは何者でしょう。どうしてファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか?(出エジプト3:11)」

勘弁してください、私には無理です・・・と尻込みしています。あるいは、逃げようとしているとも言えましょう。

神様から新しい役割へと召されるということは、人間的にはあまりにも重荷です。

だからモーセの他にも、ギデオンやエレミヤなど、みんな同じようにうろたえ戸惑いました。

今でも、牧師・長老・執事に召されることに、いやもっと根本的には、信仰告白をしたクリスチャンとしてこの世に遣わされることに、誰でもうろたえ戸惑い、逃げようとするのです。

しかし、そういう私たちに対して、神はいつでも同じことを言われます。「恐れるな。わたしがあなたと共にいる」と。

モーセにも言われました「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。(出エジプト3:12)」

あなたの先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブと愛を契ったように、今私は、モーセよ、あなたとの永遠の愛を契る。私はあなたと必ず共にいる。

永遠に生きる神である私が、どこまでもあなたと共にいる。

だから、恐れることなくエジプトに向かい、民を救い出せと、神はモーセを召し出されたのです。


共に祈りましょう。

あなたが私と共にいてくださる。だから、死の陰の谷を行くときも、私は恐れません。主よ、今日もそれぞれに与えられる人生の苦悩、恐れ、不安をぬぐってください。そして、戦うべき罪から逃げないように、おびえる背中を押してください。
2015. 10. 06  
今月末、10月25日には、赤石純也牧師をお迎えしてのウェルカム・チャーチ・デーがあります。久しく礼拝から離れておられる方も、ぜひお越しください。
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出エジプト記3章の、モーセの召命の場面は、大変重要な歴史の転換点です。

人口が多くなりすぎたイスラエル人を排除しようと、赤子を殺したり、強制労働をさせたりと、エジプト人が圧迫します。

主なる神は、「労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声(出エ2:23)」を聞き、いてもたってもいられず、救いの手を差し伸べようとなさいます。

なぜなら主は、はるか昔、イスラエルの祖先である「アブラハム、イサク、ヤコブ」たちと契った契約を、ずっと大切にしておられたからです。

彼らの神となって、彼らを愛し、祝福し、その子孫を繁栄させるという約束です。


モーセの前に現れてくださった主は、こう名乗られました。

「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。(出エ3:6)」

これは、「わたしはあなたの祖先たちと結んだ契約を、今も少しも変わらず大切にしているよ」と、言っておられるのに等しいです。

この神が、モーセの神でもあり、今や、私たち一人一人の神でもいてくださるということが、覚えるべき福音なのです。

続きはまた明日。


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたが私の神でいてくださり、アブラハム、イサク、ヤコブ、またモーセにしてくださったのと同じように、祝福と守りの手の中に置いていてくださることを信じ、感謝します。さまざまな圧迫を覚えて胸が苦しい時、主よ、どうかふさわしい助けを、今日も与えてください。


2015. 10. 03  
今週の締めくくりとして、ダビデの祈りに合わせ、共に祈りましょう。

歴代誌上29:10-14を口語訳で分かち合います。

「そこでダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った、「われわれの先祖イスラエルの神、主よ、あなたはとこしえにほむべきかたです。

主よ、大いなることと、力と、栄光と、勝利と、威光とはあなたのものです。

天にあるもの、地にあるものも皆あなたのものです。

主よ、国もまたあなたのものです。あなたは万有のかしらとして、あがめられます。

富と誉とはあなたから出ます。あなたは万有をつかさどられます。

あなたの手には勢いと力があります。あなたの手はすべてのものを大いならしめ、強くされます。

われわれの神よ、われわれは、いま、あなたに感謝し、あなたの光栄ある名をたたえます。

しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。

すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。」


今週の私たちの生の営みも、すべては神から受けたものです。

感謝と賛美と喜びをもって、神から受けたものを、神に返す。そんな思いで今日を過ごしたいものですね。
2015. 10. 02  
Ⅰコリント10:13の言葉は有名です。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練にあわせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」

ここで言われる「試練」とは、「誘惑」という言葉と同じです。

私たちを悪い道へと誘い、罪の泥沼に引きずり込もうとする「誘惑」です。(テキストの文脈では、特に偶像崇拝の誘惑です)


ですから、このように理解することもできます。

「人間だれもが経験する共通の誘惑以外に、あなたに襲いかかる特別恐ろしい誘惑なんてありません。

神は誠実に私たちを導いてくださる方です。

あなたが打ち勝つことのできない誘惑を、決しておゆるしにはなりません。

あなたに誘惑が襲いかかる時にも、それに打ち勝ってしっかり立つことができるように、戦いの糸口を備えてくださいます。」


私たちには、今日もそれぞれに直面する誘惑があります。そして、誘惑に引きずられてしまう「弱さ」があります。その弱さを言い訳にしてしまう「ずるさ」もあります。

ずるずると、誘惑に負け続けるなら、あなたは必ず深く傷ついていきます。

でも、神はそんなあなたを救ってくださる方です。聖霊が、必ず打ち勝たせてくださいます。だから祈りましょう。その祈りは必ずかなえられます。「求めなさい、そうすれば必ず与えられる」とはそういうことです。


共に祈りましょう。

主よ、それぞれに与えられている悪への誘惑に、どうか打ち勝たせてください。キリストという服を着た、新しい私になりたいのです。主よ、あなたの助けを与えてください。
2015. 10. 01  
「神のものを神に返す。」

神の名の刻まれた、神のものである私自身を、燃やしてささげて、神の喜びのために用いていただく。

そんな風に意識しながら、今日も生きたいものです。

イザヤ書の聖句を心にとめましょう。

「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り/西からあなたを集める。

北に向かっては、行かせよ、と/南に向かっては、引き止めるな、と言う。わたしの息子たちを遠くから/娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。

彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者。(イザヤ43:5-7)」

私たちはみなこのように、東西南北から呼び集められ、神の子として数えられるという、ありがたい招きにあずかった者たちです。

「神の名によって呼ばれる者」と言われるように、この私の存在には、まさに神様の名前がでかでかと記されています。

そして私たちは、「神の栄光のために」創造されました。

そういう本来の姿を、イエス・キリストの贖いによって回復していただきました。だから、今や、その本来の目的に生きるのです。


共に祈りましょう。

主よ、この私が、あなたの栄光のために創造されたということ、なんと素晴らしいことでしょう。今日も、私の口から、喜びと感謝と賛美の調べが、常に流れ出しますように。主よ、この貧しい私の思いを超えて・・。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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