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2016. 10. 29  
土曜日はカルヴァンの祈りを紹介しています。8回目です。
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全能の神よ。あなたは私たちに、人生における私たち自身の位置と持ち場を指定してくださいました。

どうか、私たちが、私たちに定められたことに満足することができるようにしてください。

また、あなたが私たちを低くしたもう時、心から喜んであなたに服従することができるようにしてください。

あなたのご支配に身をゆだねることができるようにしてください。

私たちを破滅に導きいれるような、どのような高きをも、願望することがないようにしてください。

また、どうか私たちの様々な仕事や働きにおいて、あなたが私たちのうちにあって光を放ち給うほどに、慎み深く振る舞うことができますように。

どうか、私たちの親しい交わりにある兄弟たちを助けることだけを、私たちのつとめとして与えてください。

そうしてすべての人々のあいだに、あなたのご栄光をあらわしてください。

私たちの主イエス・キリストによって、アーメン。
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2016. 10. 28  
陸前高田の皆さんとの交流の想い出をもうひとつだけ。

夜の食事の時に、スパーリンク宣教師が賛美歌294番をうたってくださいました。

小さい頃からの愛唱讃美歌であるそうですが、すばらしいことに、英語よりも日本語の歌詞のほうがより良いので、日本に来てからもっと好きになったそうです。

きれいな深い声で、伴奏なしの独唱で、ゆっくりとうたってくださいました。


「みめぐみゆたけき 主の手にひかれて この世の旅路を 歩むぞうれしき

たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ みあとをゆくこそ こよなき幸(さち)なれ」


今まで自分では、それほど大事にしていなかった讃美歌でしたが、いっぺんに好きになってしまいました。

特に3番が好きです。「けわしき山路も、おぐらき谷間も 主の手にすがりて やすけく過ぎまし」


この讃美歌294番は、有名な詩編23篇を基にしてつくられたものです。

今日もみなさんの一日に、この詩編の言葉がひびきわたりますように。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。・・・・・」


共に祈りましょう。

主よ、あなたと共に歩む今日という日に、恵みと祝福が豊かにありますように。今、リハビリに励む者にも、心に深い雲がかかっている者にも・・・、どうかわたしたちを、いつも正しい道に導いてください。

2016. 10. 27  
陸前高田の仮設住宅におられる(おられた)23名の方々と、一緒に礼拝をすることがゆるされたと、昨日報告しました。

この方々にとって、はじめての教会、はじめての礼拝。

イ・グンベ牧師が選んだ御言葉は、創世記28:10からの、ヤコブの階段の物語でした。

それは、兄の怒りから逃れるために旅に出たヤコブが、はじめて過ごす荒れ野での夜の出来事でした。

真っ暗な荒れ野の夜です。いつ野獣に襲われてもおかしくない、そんな不安と孤独の中で、冷たい石をまくらにして野宿するのです。

試練と失意の夜でした。でも、その悲しみの場所で、ヤコブは神の臨在を知りました。

天から地へと伸びる階段・・。それは、いと高き神が、どん底に沈むヤコブのところに降りてきてくださる道でした。

そして、主なる神は彼のかたわらに立ってこう言ってくださったとあります。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。・・・(15節)」

それを受けたヤコブは、こう言いました。

「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。・・ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。(16-17節)」


イ・グンベ牧師は言いました。陸前高田の皆さんが、避難所や仮設で過ごした不安の日々を想った時に、この御言葉が心に浮かんだ、と。

みな、家を失いました。愛する人を失った方もいます。

たくさんお米を炊ける巨釜を失ったことを、今でも悲しく思っておられる方もいます。それが家族の象徴だったからです。

みな、不安と孤独の夜を過ごされました。避難所は、石のまくらで眠る悲しみの場所でした。

しかし、「そこに神様がおられたのですよ」とお伝えしたかったと、イ・グンベ先生はおっしゃいました。

神様は見えません。でも、どんな悲しみの場所にも、共にいてくださるのです。

そして、今、この教会という場も、神がおられる場なのです。そう、ここはまさに神の家、天の門なのです・・。

そんな慰めを届けたかったと、イ・グンベ先生はおっしゃったのです。


共に祈りましょう。

憐れみ深い主よ、昨晩、不安と孤独の夜を過ごした者もいるかもしれません。悲しみの場所にたたずむ時にも、どうか主よ、あなたが生きておられることを教えてくださり、私たちの魂を励ましてください。
2016. 10. 26  
月曜日から仙台に一泊して、陸前高田の皆さんとともに過ごしました。

陸前高田から23名の方が、仙台栄光教会をたずねてくださって、いっしょに礼拝をすることができました。

イグンベ牧師をはじめとした仙台栄光教会の皆さんが、「チーム陸前高田」として、物資の届かない小さな仮設住宅をたずね歩くことからはじまった活動。

実に70回以上の訪問を重ね、信頼関係を築いてこられました。

今は、物質的にはもう援助は必要ありませんが、霊的なケアをしてほしいと、地域の方々からお願いされて、なおも訪問を継続しておられます。

そういう仙台栄光教会に、一度行ってみたい・・・、地域の方からそんな声があがりました。

それは、「この人たちの信じている神様にお礼を言わねば・・。お参りさせていただかねば・・。」というような思いでありましょう。

でも、どんな思いにせよ、「教会に行ってみたい」との声は、教会の皆さんにとってどれほどうれしかったことかと想像します。

短い、30分ほどの礼拝でした。

ふだんは20名弱で礼拝を守っている小さく貧しい会堂に、人がいっぱいになりました。

私を含め、応援にかけつけた牧師・宣教師も大きな声で主を賛美し、会堂に歌声が響きわたります。

イグンベ先生や長老たちが泣いておられます。それを見ながら、主イエスが喜んでおられると、私は思っていました。

陸前高田の方々が、このようにして神様の御言葉に触れ、その生涯において礼拝を経験した。そのことの意味は、決して小さくないと思います。

生きておられる主が、お一人お一人の魂を、思いを超えて導いてくださって、罪からの救いにあずかることができますようにと、改めて祈りをいたします。

礼拝において分ち合われたのは、創世記28章のヤコブの階段の記事でした。

また明日、分かち合いましょう。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果すまでは決して見捨てない。(創世記28:15)」


共に祈りましょう。

主よ、どうかたくさんの人々が、あなたの素晴らしさを知り、あなたの愛に気付くことができますように。今日もあなたの教会を励まし、伝道と愛の業に励ませてください。
2016. 10. 22  
今日は、勝田台教会設立45周年を記念してのジョイフルコンサートです。クラシックギターの長佑樹さんをお迎えします。12:30開場です。

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土曜日は、カルヴァンの祈りを紹介しています。


全能の神よ、お聴きください。私たちは今、無数の敵に囲まれております。

悪魔は新しい罠をかけて、われらを悩ますことをやめません。全世界がわれらに対して、敵対的であるほどです。

されば神よ、願わくはわたしたちが、その悪魔でさえも、あなたの手綱によって制御されているのだということを、いつも思い出すことができますように。

願わくは、すべての不敬虔な者たちが、あなたに従うことへと導かれますように。

神よ、あなた御みずから、彼らの心を支配してください。

そして、われらがあなたの御手の保護のもとにあって、いかに安全確実であるかを、経験として知ることができますようにしてください。

そして、ついに私たちが、天においてわれらのために貯えられている、かの祝福に達するまで、あなたの御約束にしたがって、われらの召命のうちに進むことを得させてください。

私たちの主イエス・キリストによって、アーメン。
2016. 10. 21  
「生まれたばかりの乳飲み子のように、霊の乳を慕い求めなさい」との御言葉に導かれて、今週分かち合ってきました。

「霊の乳」とは、「霊の糧、命のパン」である神の御言葉であり、教えです。

そして「慕い求める」とは、遠く離れている人に会いたい会いたいと切実に胸を焦がすような思いで、ひたむきに求めることです。

詩編の119篇は、そんな風にして「御言葉を慕い求める」、恋愛にさえ似た思いをつづった歌です。

今日のわたしたちの祈りとして、この詩編の言葉に心を合わせましょう。(私訳でお届けします)

「我が魂は、あなたの救いを慕って絶え入るばかり。 私はあなたの御言葉を待ち望みます。(81節)」

「どれほどわたしは愛していることか、あなたの教え、ひねもすこれが我が祈りです。(97節)」

「どれほど我が口に滑らかなことでしょう、あなたの約束、我が口に、蜜よりも。(103節)」

「あなたの御言葉が開かれると光を放ち、純朴な者たちを悟らせます。私は口を開けて喘ぎ求め、まことにあなたの戒めを切望します。(130-131節)」   
2016. 10. 20  

今朝はアモス8:11の御言葉に聴きましょう。

「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。

人々は海から海へと渡り、北から東へとよろめき歩いて、主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない。」

神様は、霊の糧である「主の言葉」の飢饉を与えると言われます。

それは、食糧の飢饉よりも、もっとおそるべき、最も悲しむべき裁きです。

食べるもの、飲むものはたくさんあるかもしれない。でも、主の言葉を聞くことができないで、魂が飢え渇き続ける・・・、そのことが何より恐ろしいことなのです。

今まさに、そのような飢え渇きの中に、たくさんの人がいる。真実の言葉を求めて、あえいでいる人がたくさんいる。

そういう人々は、もはや主の言葉を聞くことができないのでしょうか。

・・・・そうではないのです。

今や、キリストの十字架によって、裁きはすべて取り除かれました。

本当に聴きたいと願うならば、主の言葉はいつでも聖書から、あるいは教会の説教から、聴くことができるのです。

だからこそわたしたちは、霊の糧を慕い求めることに、もっとひたむきでありたいのです。


共に祈りましょう。

主よ、主の言葉を受け取ることのゆるされている幸いを感謝します。どうか今日も、折に適った御言葉を与えて下さって、それぞれの信仰生活を深めてくださいますように。
2016. 10. 19  

「生まれたばかりの乳飲み子のように、霊の乳を慕い求めなさい」と言われています。

霊の乳とは、霊の糧、霊のパンといってもいいでしょう。

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と、イエス様が教えて下さった事を思い出します(マタイ4:4)。

これは、もともとは申命記8:3にある教えです。


ここで言われている「生きる」とはどういうことなのでしょうね。

聖書の民は、「生きている、生きていない」とか「命がある、死んでいる」ということにこだわりました。

まちがいなくこれは、肉体の生命の問題だけではありません。

あなたの体は生きているかもしれないが、本当にあなたは「生きている」のか?と、いつも私たちは問いかけられているようです。



申命記の最後近く32:45-47で、モーセはこのように民に伝えます。これは、モーセの生涯最後のすすめでもあります。

「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心にとめ、子どもたちに命じて、この律法の言葉(=聖書の教え)を忠実に守らせなさい。

それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちは・・長く生きることができる。」


聖書の教えは、わたしたちにとって決してむなしい言葉ではなく、わたしたちの命である。

このことを心に刻み、共に祈りましょう。

主よ、わたしが今日、本当に「生きる」ことができますように。命の喜びを知ることができますように。そのために、いつもあなたの御言葉が、私とともにありますように。




2016. 10. 18  
今週はⅠペトロ2:1-3の御言葉を分かち合いました。

「だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。」

生まれたばかりの乳飲み子のように、というのが印象的な言葉です。

母親の乳にがむしゃらにむしゃぶりつく乳飲み子のように、ひたむきに、純粋に、霊の糧を求めなさい・・・。

説教の中で、「乳飲み子は、生まれてきたことの喜びに満たされているように見える」と申しました。

母親である方が、「本当にそうだと思う、感動した」と伝えてくれました。

そして、「またある意味で乳飲み子は、支配的でさえあります」とも教えてくれました。

支配的に、わがままなほどにひたむきに、純粋に乳を求めます。それほどに、与えられた命を生きることに夢中なのです。


私たちもまた、神から「新しい命」を与えられた者です。

「神の変わることない生きた言葉によって」新しく生まれさせていただいたのです(Ⅰペトロ1:23)。

だから、だからこそ、生まれたばかりの乳飲み子のように・・・。


共に祈りましょう。

主よ、乳飲み子のように、ひたむきに、純粋に、熱心に、夢中になれますように、信仰の喜びに私を貫いてください。
2016. 10. 08  
土曜日はカルヴァンの祈りを紹介しています。また、来週は改革派教会の大会があるために、配信をお休みいたします。

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全能の神よ、私たちは、この世における私たちの人生行路の間、あなたの御霊の教えとご支配とを、日々に必要としています。

どうか、まことの謙遜をもって、あなたの御言葉と内なる聖霊のお働きとにより頼むことができますように、わたしたちを砕いてください。

どうかわたしたちの、無知、盲目、また愚鈍さを自覚させてください。

悪魔と不敬虔な者たちとの狡猾さによって、わたしたちが決していかなる脇道にも引きずられてしまうことがありませんように。

常に、あなたの御翼のもとに隠れることを得させてください。

あなたが、わたしたちの職業の全行程を一貫して、わたしたちを導き給うてくださることを感謝します。

どうかわたしたちが、あなたの真理から脇にそれることがないように、あなたの真理に確く立たせてください。

そしてそれから、あなたの御独り子の血によって、わたしたちのために獲得された天の光栄に到達させてください。

アーメン。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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