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2016. 11. 16  
私たちは「旅人であり、仮住まいの身なのだ」と言われています(Ⅰペトロ2:11)。

それは、この地上の生涯を最後の場所としない者だということです。

私はホテルではよく眠れないほうでして、「旅人」の落ち着かなさを思います。あまり荷物を多くするわけにもいきませんから、最低限の衣服だけもって移動する。

「仮住まい」というのもまた落ち着かないものですね。移動することを見越して、荷ほどきもしないで。

私たちは、そういう「旅人、仮住まいの身」だから、今与えられている人生が、どれほど心地よくとも、そこに落ち着いてしまうわけにはいかないのですね。

私たちには、帰るべき故郷があるからです。行かなければいけない場所があるからです。

天国に向かって、永遠の命に向かって旅する旅人です。

アブラハム、イサク、ヤコブ・・私たちの信仰の父祖たちは、まさしくそんな旅人でしたね。ヘブライ書11章に書かれています。

「この人たちはみな、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。・・彼らは・・天の故郷を熱望していたのです。(ヘブライ11:13-16)」

帰る家のない、さすらいの旅はむなしいものです。しかし私たちには、帰るべきところがあるのです。

共に祈りましょう。

主よ、私たちの本国は天にあるとの希望を、心から感謝します。はるかに仰ぎ見る輝きの御国に、迎え入れられるその時まで、いつも喜びの声をあげながら、旅を続ける者であらせてください。

2016. 11. 15  
日曜日の礼拝では、Ⅰペトロ2:11-12の言葉を分かち合いました。

「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」

日曜日の礼拝の後で、「先生、今日の説教は私のためにしてくださったのですか・・?」と、何人かの方が伝えにきてくださいました。

不思議な思いになりました。そのように思わされるほどに、御言葉に心をつかみとられたのでしょうか。

もちろん、私はみなさん一人一人のことを、かなり具体的に祈り覚えながら説教準備をしています。

でも、本質的に連続講解説教というのは、その日与えられた聖書の言葉を、そのまま受け取り、そのまま取り次ぐということを目指しています。

だから、説教というのは、説教者である私の思いを語っているのではありません。

もしも「私のために語られた」と思うなら、それは、あなたのすべてをよく知っておられる神様からのメッセージです。


「愛する人たち、あなたがたに勧めます」と、神様が語り掛けてくださったのです。

実は、説教準備をしている中では、この「愛する人たち、あなたがたに勧めます」という呼びかけには、あまり注目していませんでした。

しかし、実際の説教の中で、この呼びかけを口にした瞬間に、胸にこみ上げてくるものがありました。

私たちは、「愛する人たち」として、神に覚えられている・・。

信仰の先人たちが、「愛する人たち」と、遠い未来に生きる私たちのために、言葉を残してくれたのだ・・。

私もまた、私の「愛する人たち」のために、この神の命の言葉を取り次ぎたい・・。

そんな思いがこみ上げて、涙が出そうになりました。


共に祈りましょう。

主よ、私たちのすべてを知っていてくださる主よ。あなたから「愛する人たち」と呼んでいただく、この身の幸いを感謝します。主よ、あなたの呼びかけに正しく向き合うことができる心を、私たちに備えてください。
2016. 11. 12  
土曜日はカルヴァンの祈りを紹介しています。10回目です。

******
全能の神よ。あなたは私どもに、決して私どもをあざむき失望させることのない、確かな礼拝の規則を与えてくださいました。

またあなたの御子は、私どものために、もろもろの智慧と無垢なる敬虔との完全な教師となってくださいました。

そうでございますから、神よ、どうか私どもを、御子が私どものために命じたもうところに、ことごとく、従順に従わせてください。

右にも左にも曲がることがないようにしてください。

私どもが、福音の単純さに満足して、与えられた聖なる召命の道を進むことができるようにしてください。

ついに全く道のりを果して、あなたが主イエス・キリストによって約束してくださいましたように、あなたの光栄のまったき状態にいたることがゆるされる日まで。

そのまったくすばらしい状態に、この存在が完全に聖化されるほどに、それをたのしみ得ます日まで、私どもを進ませてください。

アーメン。
2016. 11. 11  
「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、ご自分の宝の民とされた。

主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちがどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。

ただ、あなたに対する主の愛のゆえに・・主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」


これは、旧約聖書の申命記7:6-8の言葉です。

旧約の神の民イスラエルの人々に対して、モーセがこのように伝えました。

今、新約の時代に生きる私たちも、神様から「聖なる民、宝の民」として選んでいただいたのだと、昨日も確認しました。

それは、私が立派だったからでもない。強く、有益な人間であったからでもない。

弱くて、みじめで、泣いてばかりいるような者なのに・・・。

いや、むしろそのような者であるからこそ、主は特別に心引かれ、救いの手をさしのべてくださいました。

私たちは弱くとも、主は強いのです。


これらの言葉の後に、この9節の御言葉が続きます。

「あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。」


共に祈りましょう。

主よ、今自分のみじめさを泣いている者がいましたら、どうかその魂を救いあげて、心に澄んだ風を送ってください。今、祈る言葉を失っている者さえも、宝の民として、大いなる愛の中でお取り扱いください。あなたを信頼するとはどういうことかを教えてください。
2016. 11. 10  
昨日まで、仙台出張とその疲れで、配信をお休みしてすみませんでした。

今週は、Ⅰペトロ2:9-10の言葉と共に生きています。

この御言葉は、旧約時代の神の民イスラエルと、新約時代の神の民であるキリスト教会をつなぐ大変重要な教えです。

聖書全体を読み解くための、一つのキーポイントと言ってもいい。そして、ここに書かれているすばらしいメッセージは、私たちの存在を根源的に意味づける、最も深い慰めに満ちています。

私にとっても、この数年、最も大切にしている言葉のひとつです。

その重要性が、まだよくわからないという方もいらっしゃるでしょう。

ならば、何度でも読んでみてください。大事な言葉なのだと意識して、何度も何度も口に出して読んでください。私は分かるまでに、10年かかりました。しかし、皆さんに十分に伝えられるほどには、まだまだ分かっておりません。


今日もみんなで、この御言葉と共に生きましょう。

「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

あなたがたは、『かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐みを受けなかったが、今は憐れみを受けている』のです。」


共に祈りましょう。

主よ、この日本という、あなたを知らない国で、あなたとの特別な関係へと招かれたこの身の不思議を思います。昨日、世界の歴史にまた新たな展開がありました。いよいよ時代は混沌へと向かうかもしれません。主よ、今この時に、あなたの民として生きるとはどういうことか、私たちによく悟らせてください。
2016. 11. 05  
昨日は疲れてお休みしてしまいましたが、おととい、東関東中会設立10周年記念信徒大会が無事に終了いたしました。

「たくさんの方と共に賛美し、聖餐を味わい、感動して元気が出た」と伝えて下さった方もいます。

これはゴールではなくスタートです。10周年宣言に沿って歩みだしていく、中会の再スタートに主の祝福を祈り続けましょう。

*****
土曜日はカルヴァンの祈りを紹介しています。9回目です。

全能の神よ。あなたは御心のままに、あわれみをもって我らを御許にひきよせ給い、また我らの救いのために、あなたの御言を聖別してくださいました。

されば願わくは、我らをして、喜びをもって、心よりあなたに従いまつることができるようにしてください。

また、我らが従順に、御言から教えを受け取ることができるようにしてくださり、あなたが我らの救いのために計画していてくださることが、我らの滅亡となることがないようにしてください。

あなたが我らを、天つ生命の望みに再生させるために与えて下さる、朽ちぬ生命の種子が、我らの心に深く根ざし、実を結び、そうしてあなたの栄光があらわされますように。

我らをあなたの家の庭に植え、我らを成長させ、繁茂させてください。

また、我らが、我らの主キリストによりて、我らのために天に備えられている幸福なる生活を享受するまで、我らの全生涯を通じて、実をあらわすことができるようにしてください。

我らの主キリストの御名によりて、アーメン。
2016. 11. 02  
明日は、東関東中会の設立10周年記念信徒大会です。印西の東京基督教大学のチャペルを会場に、約300人の方が集まって、礼拝し、聖餐を共にします。

午後からは、10年の歩みを主に感謝し、12の教会それぞれの展望を分かち合います。

凝った映像を作成している教会も多いです。勝田台教会では、かわいい子どもたちの賛美を予定しています。楽しみです。

ずっと祈って準備してきたものですから、主に祝福されたよい会となることを願います。

私は明日は朝早いので配信をお休みしますから、この信徒大会のテーマである「新たな献身へ」を、今朝確認しましょう。

「新たな献身へ」という主題は、自らを新たに主にささげる決意へと、わたしたちを導こうとしています。


「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカによる福音書十二章三二節)


この聖句が、10周年信徒大会の基調をなしています。

嵐にもまれる小舟のように、この困難な時代にあって私たちの群れは小さく弱く、歴史の中でほんの砂粒程度の存在感しかないものです。

しかし、「小さな群れよ、恐れるな。」

私たちに与えられている働きと使命に、ただ忠実であり、思い悩むことなく、ひたすらに神の国を求めよ。

そうすれば、必要なものをすべてご存知の神が、すべてのことを備えてくださる。

だから、「小さな群れよ、恐れるな。」



共に祈りましょう。

愛する主よ、あなたによって生み出された東関東中会が、あなたによって導かれて、ここまで歩んでくることが赦されました。心から感謝します。主よ、私たちの教会が生み出されたことの意味と使命をよく悟らせてくださって、新たな献身へと向かわせてください。あなたの喜びにひたすらに仕えることができますように。
2016. 11. 01  
昨日は久しぶりに休日をいただいて、今話題のアニメ映画「君の名は。」を観て来ました。

幅広い年代層に支持されていて、とてもいいよと教えて下さる友人が多いです。たしかに、観に行ってよかったなと思いました。

人によって、いろんな受け取り方をする映画だと思います。

青春恋愛ものとしても楽しめるし、深い思考にもいざなわれる。さまざまなイメージを喚起されるという、ユニークな映画だと思います。

私はといえば、自分でも変わった受け取り方だとは思いますが・・・、妻との突然の出会いからはじまった、イエス・キリストとの出会いに思いを馳せていました。

この罪の世に生まれ落ちてきてから、私がずっと探していたのは、この人だったのかと気付いた時の、感動を呼び起こされました。

それが誰だかは分からなかった。でも、ずっとずっと会いたくて探していたのは、この方だった・・・。

あのザアカイが、イチジク桑の木の下から、イエスに名を呼ばれた時にも、胸に去来したのはそんな思いではなかったでしょうか。

あのサマリアの女が、水を汲むために一人で通ったあの井戸のそばで、「私に水を飲ませてくれないか」と声をかける、あたたかなイエスのほほえみを見た時も、そんな出会いの始まりでした。

私たちは、神のもとからはぐれてしまった遠い遠い記憶を失いながら、どこへ向かえばいいのか分からず、何かを求めてあてどなく探し続けている迷える羊なのでしょう。

でも、そんな私たちを、ずっと捜していてくださった方がいるのです。

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのである。(ルカ19:10)」

こうして、会うべき方に出会うことができた羊は、本当にしあわせなのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたと出会うことがゆるされたことが、こんなにもうれしいのです。主よ、今日も私の一日を支え励ましてください。あなたの喜びに仕えることができますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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