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2017. 03. 04  
今週も今日まで守られましたね。明日は聖餐式がありますから、祈りをもって備えてください。

来週から3月いっぱい、配信をお休みさせていただきます。講演や出張が続きますので、ご了承ください。お祈りいただければありがたいです。

土曜日はカルヴァンの祈りを紹介しています。20回目です。

*******
全能の神よ、あなたは、あなたが父として私たちを愛し顧みてくださることを証ししてくださり、私たちをあなたご自身にお招きくださいました。

ですから、神よ、どうか私たちが、森の中の野獣のようになることなく、自分をおだやかにあなたに従わせ、あなたが私たちを召したもうところどこにでも、従うことができるようにしてください。

どうか、あなたが私たちの父でいてくださることを、真実に感じることができますように。

かくして神よ、どうか私たちが、この世を巡礼者として旅する日の続く限り、あなたの御手の保護のもとで生活することができるようにしてください。

かくしてどうか、ついに天の御国に集められるとき、あなたと御独り子イエスとに、かたく結合されてあることができますように。

アーメン。
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2017. 03. 03  
私はクリスチャンになってからもう18年になりますが、初めの頃に大変抵抗があった言葉があります。

それは「従う」という言葉です。

福音書を読んでいますと、イエス様は「わたしに従いなさい」ばっかりおっしゃいます(マタイ8:22、9:9、16:24など)。

イエス様を信じるということと、イエス様を自分の主人として受け入れて従うということはセットです。

ですから、「イエス様に従う」ということは避けて通れません。

とはいえ、その言葉に触れるたびに、とても厳しいものを感じてひるむような思いが、私の中にはずっとありました。

しかし最近は、そんな言葉が一番胸にしみるのです。うれしいのです。



イエスに従うということを考えると、どうしても私たちは気負ってしまって、自分は生ぬるくてダメだとがっかりしてしまったり、逆にどこまでも従っていこうとがんばったりしてしまいます。

でも、実はそうじゃなくて、イエス様のほうが私たちの行くところどこにでもついてきてくださるというのが先にあるのですね。

イエスという方は、十字架においてすべての苦しみを背負ってくださった方です。

あらゆる孤独と苦しみを味わわれた方だから、私たちが孤独で泣く時も、苦しくて苦しくて立ち止まる時も、いつもイエスが共にいてくださる。ついてきてくださる。

そういう私と、あなたも共に行かないかと、イエス様は招いていてくださるのです。

それが「わたしに従いなさい」ということです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も信仰と希望と愛を与えて下さり、あなたと共に歩む喜びをましくわえてください。職場にあって、家庭にあって・・それぞれの場で生きる苦悩があり、信仰の戦いがあるかもしれません。主よ、我らとともにいてください。そしてあなたに従って、いつも良き判断をすることができますように。
2017. 03. 02  
昨日、夜の祈り会で、出エジプト記3:14に触れました。聖書の中でも、最も重要な場面のひとつです。

「神はモーセに『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。[わたしはある]という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。』(出エジプト3:14)」

ここで神様は、モーセに名乗り出ておられます。「わたしは『わたしはある』という者である」と。

イエス様も『わたしはある』と名乗られました(ヨハネ8:24、58など)。

これは、神様のお名前と言ってもいいでしょう。そうしますと、実に不思議な名です。

過去・現在・未来にわたって「ありてありつづけられる」主の存在の確かさを、また「万物をありてあらしめる」創造の力を、あるいは「ご自分のありたいようにある」神の自由を表している、などなど言われます。

そういう、おそるべき、人知を超えた神の神秘を覚えさせられます。

同時に私たちは、この神様の名乗りに、「わたしはここにいる。あなたのために、あなたと共に、わたしはいる」という語りかけを聴き取りたいと思います。

私たちの神はいつでも、「わたしはあなたと共にいる」と名乗り出てくださる神です。

アブラハムにも、モーセにも、ダビデにも、イザヤにも、12使徒にも、パウロにも・・、いつでも三位一体の神は、「わたしはいる、あなたのためここに」と名乗りでてくださったのです。

キリスト教信仰というのは、つきつめていえば、「神が共におられる」ことを信じることとも言えます。


共に祈ります。

主よ、今日も「わたしはある、ここにいる」とのあなたの声が聞こえます。主よ、私たちの一日を守り励まし導いてください。今、悩みの中にある方々を励ましてください。今、大事な試験に臨もうとしている者を励ましてください。


2017. 03. 01  
昨日は深夜に帰宅し、朝起きることができませんでしたので、ハイデルベルク信仰問答の第1問を分ち合うことにします。

生きること死ぬことについて、自分はこれからどのようであればいいのだろうかと、今、考えている方がおられるかもしれません。

そういう時に、いつもヒントにしていただければと思うのが、ハイデルベルクの第1問です。

洗礼を願われる方に、いつもこれの暗誦をお願いしています。ここに、大切なことが全部書かれているからです。

「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」と問われます。

オランダでは、人が間もなく天に召されようとする時に、牧師がその枕もとで、この問答を確認するのだと聞いたことがあります。

信仰者は答えます。「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。」

まもなく自分は死ぬのだということをはっきり意識しながら、そのように答えるのですね。

牧師はそれを受け止めて、「そうです。安心して、主におゆだねしなさい」と伝え、その人の体と魂とを神のもとへと送り出すのです。

私たちが平安のうちに生涯を全うし、死んでいくことのできる、ただ一つの慰めというものがあるのです。

では改めて、問と答を記します。

問「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」

答「「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。
  
 この方はご自分の尊い血をもって、わたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。
 
 また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。

 そうしてまた、ご自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後、この方のために生きることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。」


共に祈りましょう。

主よ、今日もわたしをあなたの手の中で、あなたの完全な慰めと守りの中で導いてください。私自身の、また愛するお一人お一人の体と魂を、大いなるあなたにおゆだねします。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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