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2017. 04. 07  
今日は創世記3章です。お手元の聖書をお読みください。(3章は大変内容豊かで、?もいっぱいでしょうから、また機会を見つけて丁寧に分かち合いましょう。)

4~6節「蛇は女に言った。『決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。』女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。



エデンの園で、人は何不自由なく、何の疑いもなく、神様の愛に包まれて暮らしていました。

自由な愛において、純朴に神を信頼し、神との約束を大切にして生きていました。

でも、そういう「神と共に生きる人」を皮肉に見つめる世慣れた蛇が、「本当にそれでいいの?」と揺さぶりをかけてきます。

それは、神様の愛を疑わせるものでした。

結果として人は、神の言葉より蛇の言葉を信じました。そして神との約束を破り、蜜月は破局を迎えました。


「神様との約束を守っていては、本当の幸せを手に入れることはできないのではないか?蛇の言葉のほうがより現実的で人間的ではないか?」という疑いや傲慢は、私たちの内にもあります。

そういう思いで善悪の知識の木の実を見つめた時、今まで気にもしていなかったものが、おそろしく魅力的に思えたようです。

神を裏切ることは、いつでも人にとって魅力的に思えるのです。
 
神はそんな人の裏切りに、「何をしているのか」と、激しく怒られました。

怒るのは、悲しむのは、本気で人を愛しておられるからです。


共に祈りましょう。

主よ、アダムとエバの時から今も変わることなく、私たちの内に、あなたを信頼しきれぬ思いがあります。あなたを疑い、自分の心にしたがって生きていこうとする傲慢があります。主よ、赦してください。あなたを悲しませることがありませんように。そして、あなたの尽きせぬ愛に気付かせてください。
2017. 04. 06  
今日は創世記2章です。お手元の聖書で、ぜひ全体をお読みください。

*********
人は神によって、塵から造られました。それゆえ人間は、決して神と同じではありません。

塵にすぎないものであって、高ぶってはならないのです。

しかし人はまた、被造物の中で唯一、神のかたちとして造られた尊厳ある存在であって、神にわずかにだけ劣る(詩篇8篇)とさえ、聖書に示されています。

神は人間をそのような尊厳ある存在として、まことに大切にお取り扱いくださり、エデンの園に住まわせてくださいました。

そこは、神が人と共に過ごすために用意してくださった、満ち足りている場所でした。

その美しい園を耕し守ってますます喜びの場所に整えていくということも、人間に期待してくださいました。

それは決して奴隷の労働ではありませんでした。

神が人間に用意してくださったのは、完全なる愛の関係でした。

そして、愛とは自由なものです。

神は私たちに、自由な自分の意志で、神との約束を守ることを求められました。

それが、人に求められた神への愛でした。

「主なる神は人に命じて言われた。園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。(16,17節)」

この最初の「契約」は、そのような神との愛の約束として理解するとよいです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたによってまことに尊厳ある存在として創造され、また期待されている私たちであることに驚きます。そのような期待を裏切り、あなたを愛さず、悲しませ続けるわたしたちの罪をおゆるしください。今日の日に、どうかあなたの恵みによって、私たちの尊厳を回復してください。
2017. 04. 05  
今日からしばらくリジョイスの執筆を兼ねて、創世記1-11章をともに分かち合いましょう。

今日は創世記1章です。お手元の聖書で、ぜひ1章全体をお読みください。

1~5節の御言葉です。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」


神は最初の光を創造されて、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれました。

そのあと、この命の光がしみとおっていくようにして、世界の基が整えられていきます。

そして、「夕べがあり、朝があった」と6度繰り返され、最後は満たされた安息に至ります。

「夕べがあり、朝があった」その順序が問題です。

朝をスタートとして、夜に向かうと考えるのが世の常かもしれない。

人間の生涯もしかりです。黎明の少年期を駆け抜け、日の光の満ちる昼の最盛期を過ごし、哀愁のただよう黄昏時をもって、死という人生の夜にたどりつく。

しかし、聖書においては、夜で終わる物語はないのです。

夕べの後に、朝がくる。絶望の夜が来ても、必ず希望に満ちた朝がくる。

新約聖書においてもそれは同じです。

イエス様が十字架で死んだその時、真昼なのに真っ暗になったと記録されています。世界を暗闇が覆ったのです。

でもそんな十字架の絶望の夕べのあとに、復活の命の希望の朝が来たのです。

今日の一日もまたそのようにして、必ず光の朝へと至るのです。


共に祈りましょう。

愛する主よ。今日もこの宇宙を命の光をもって照らしてくださるあなたの恵みの中で、希望を失うことなく、人生に取り組むことができますように。主よ、今日もお守りください。信仰の弱い者ですが、どうか光で照らしてください。
2017. 04. 04  
4月に入ってようやく春めいてきましたね。裏の土手の散歩道は菜の花が満開で、まもなくそこに薄紅色の背景が書き足されることでしょう。

3月の間、配信をお休みしました。その間、全国学生会修養会の講師や、全国中学生キャンプでの奉仕などの働きに取り組みました。

大会や中会の書記としての会議もいくつもあって、なかなかに目の回るようなスケジュールではありました。

しかし、主の憐れみによって健康が守られて、大切な毎週の礼拝説教の奉仕も守られました。

教会のみなさんの祈りを、強く覚えておりました。わたしもまた、教会を覚えていつも祈っておりました。

ローマ書15章のパウロの言葉を思い出します。

パウロは、貧しいエルサレム教会のための募金活動に明け暮れ、それをエルサレムに届けて後、あなたがたのところに行きたいと思っていると、ローマ教会の人々に伝言するのですが、その時にこのようにお願いしています。

「ローマ15:30 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください」

「わたしのために、わたしと共に祈ってほしい」と言う事ができる伝道者は、本当に幸いです。

そして、そのようにして祈りにおいて伝道の働きに参与できる教会は、本当に幸いです。


共に祈りましょう。

主よ、4月からまた新たな思いで、わたしたちの信仰生活に励ませていただきたいと願います。互いに祈りあい、励まし合い、あなたに用いていただくことができますように。

4月から進学・進級する子どもたちのためにも祈ります。主の憐れみによって、やさしくたくましい心と体が備えられ、よく学び、遊ぶことができますように。

プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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